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北西欧バラッド概論まとめ

こちらは某配信アプリにて行った講義のまとめ+αになります。
ヘッダ画像はウィキペディアさんからお借りいたしましたものを加工しました。有難うございます。


序文

わたしが初めてバラッドに触れたのは大学時代の文学概論の講義でした。そこで面白いと思って資料もノートも残したまま今に至ります。
配信アプリでは実際に音楽を流して解説しました。
今では入手できない音源が多い(SILEASの楽曲など)のでそこはご了承ください。お聞かせできなくて残念です。

バラッドとは

口伝で伝わった作者不明の物語歌である、と、16世紀半ばにイギリス、G.H.ジェラルドが定義しました。
それまでは踊りに関わる口伝の叙事詩を指していました。
ジェラルドの定義づけ以降もバラッドと民謡の違いについて論議が続きます。現在も、かどうかは申し訳ありませんが分かりません。

少なくともバラッドについての研究は今もあちこちで続いておりまして、ネットで論文を色々読むことが出来ます。日本語もあります。
日本では1975年刊、原一郎先生の「バラッド研究序説」という本が優れた研究書であるとわたしは恩師にご紹介いただきました。
ただ古すぎて在庫がなく入手できなかったのが悔やまれます。

※音楽分野でのバラードとはやや違います。バラッドは作者不明という条件がつくフォークソング(民俗音楽≠民族音楽)であり、ミュージシャンのバラードは学術的バラッドには含まれません。例外として作者が明確な「創作バラッド」というものもあります。

バラードとの違い:バラードは音楽分野のいちカテゴリーで、学術的な研究対象ではない。ゆったりしたテンポ、静かな楽想、美しいメロディラインやハーモニー、そしてラヴソングを中心とした感傷的な歌詞を音楽的な主軸とし、楽式的には、ピアノなどによる静かなイントロとエンディングに向けての劇的な盛り上がりが特徴。

民俗音楽と民族音楽の違い:コトバンクによりますと、
 専門化された職業的音楽家によらない音楽、たとえばわらべうた、民謡、民俗芸能の音楽などを指す。規範形式がなく伝承者の社会的環境や時代、個人的趣味などによって種々のバラエティを示すのが特徴。
 これに対し民族音楽は、ある民族の音楽文化全体を指す。
(民俗音楽は例えば平安時代や江戸時代などに流行した音楽、民族音楽は日本民族特有の音楽といった意味合いの違いがあります)

余談「創作バラッド」

ドイツはロマン主義の頃にバラッドに似せて作られたものがある(ゲーテなど)が、学術的に扱われるのは作者不明のものに限る。
(余談:ゲーテの「魔王」はドイツ語訳されたデンマークのバラッドが土台。訳者ヘアダーにより妖精ELFがハンノキERLに誤訳。よって「妖精王」が「魔王」(正確には何らかの悪魔、超自然的存在を表す)タイトルになった。ライヒャルトが有節形式で、シューベルトが通作形式で作曲。ゲーテはライヒャルトのものを好みシューベルトの曲は嫌った。
また、同じくゲーテが手掛けた「野ばら」は154曲以上あるとされ、ウェルナーとシューベルトのものが人気を博し普及した)

※有節歌曲形式(ゆうせつかきょくけいしき)とは、
歌詞が進むごとに異なる旋律を付けるのでなく、ひとつの旋律を何度も繰り返すように曲が付けられているものを言う。

※通作歌曲形式(つうさくかきょくけいしき)は、
ひとつの旋律を何度も繰り返して別の歌詞を付けるというようなことをせず、歌詞が進むごとに異なる旋律を付けてゆく形式である。詩が規則的な節に分かれず、劇的、叙事的に発展する場合によく採用される。

学術的な変遷

・文字として残されていない伝え聞き(口伝)の口承文学……民間伝承(日常的な言葉、簡易)
・音頭取りが出現し皆で踊りながら歌う音楽的なものに……音楽的(リフレイン、漸増反復、短い有節歌曲)
・16世紀頃から文字に書き留められるようになる(書承文学)……文学的
・収集されるようになって農村などの残存分布などが研究され始める……民俗学的

※バラッドの技法について注釈
口伝なので単純な表現の常套句も使われる
リフレインとは折り返し句のこと(イギリスにはないものも多い)
物語の筋が2行続いてリフレインが入るのを、二行連句という
漸増反復は前の文の一部を繰り返したもの
有節歌曲とは、第一節と同じ音楽が各節につけられて繰り返し歌われるもの

※1400年代に印刷技術が開発されてから、印刷されたバラッドが登場している。それまでは如何なるニュースでも、都市・村落間を旅人が伝えて回るしか無かった。従って作者不明の口伝時代~踊り歌時代までのバラッドは(尾鰭のついた)事実を報道(伝聞)したものもかなりあったとされる。

バラッドの分布

ヨーロッパ、そして移民時に渡ったアメリカが主な分布・継承地域である
日本ではこれに似たものに謡曲(ようきょく)があると言われています。

本来バラッドは踊りに合わせて歌うもので、簡単で日常的な言葉を使用していた。民間伝承つまり口伝えのため、決まった形にならず、筋や表現が変化していくものだった。

デンマークやイギリスのバラッドは1000年頃にフランスから伝わったもの、
北欧ではイギリスルートとドイツルートの説がある。

1400年代の印刷技術開発の影響で、15世紀後半から17、18世紀のものが多いとされる。1600年以前に遡って追跡できるものはごく少数

楽曲紹介1 スカボロー・フェア(エルフィンナイト)

ここで世界一有名なバラッドと言われる楽曲をご紹介します。

スカボローフェア(エルフィンナイト)ナンバリングは「チャイルド・バラッド2A」です。サイモン&ガーファンクル版は歌詞にアレンジがかかっており、「詠唱」という歌とミックスされています。「詠唱」は戦争の歌でありバラッドには関係ないので、今回は純粋にスカボローフェアを歌う楽曲をご用意しました。但し歌詞全文は歌われていないので注意が必要、所々アレンジもあります。(歌はケルティック・ウーマンのものです)


スカボローフェアの歌詞です

妖精の騎士、常人にはできっこない無理難題を吹っ掛ける(riddle ballad)。踊りの囃子歌(burden)でもあり求婚歌でもある。
妖精/男性が「縫い目もなく針も使わないシャツを作れ」と歌い、女性が「ならば海と浜の間に土地を用意してください」など無理難題を同様に返せたら、妖精は異界へ逃げていきます。男性からの求婚は失敗ということになります。女性がうまく返せなければ相手の言いなりとなり、異界に連れていかれてしまいます。求婚の場合婚姻成立です。
なので、魔除けのハーブと名高い、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムの名前を唱えている説があります。

元のバラッドでは、「わたしの肩掛け飛んでった」というフレーズが用いられ、肩掛けは民族衣装の正装を表し、ひいては貞操、安全を表しました。
薬草のフレーズには「バ バ バ リリィ バ」という、意味のない合いの手が入っていました。

収集者チャイルドについて

フランシス・ジェイムズ・チャイルド(1825-1896)アメリカの文献学者。
デンマークのバラッド収集と同時期にバラッド収集を行っている。
(デンマークでは500編、欧州最大数が収集されていましたが、研究が進むにつれて数は増えていくので今は不明です)
チャイルドはスヴェンド・グルンドヴィの著書をモデルにして、バラッドを分類して番号をつけ、変種を並べて比較しました。これをチャイルド・バラッドと呼びます。

チャイルドの収集したバラッドの多くは印刷されたブロードサイド・バラッドです。

※ブロードサイド・バラッドとは、16世紀に出現した一種の瓦版、びら刷り号外のこと。ニュース、個人的声明、発言、政治的広告など、イラスト入りも。街頭で安価で売られ大衆文芸発表の場でもあった。

チャイルドは自身の独特な基準で「伝統的」バラッドと後のブロードサイド・バラッドとを区別したとされるが、採用指針を明らかにする前に亡くなる。それゆえにどういった基準でバラッドを選別したのかが正確には分からなくなり、論議を呼んだ。

→M.J.C.ホガート(イギリス)の定義(1950)が現在では採用されています
・作者不明
・非人格的物語詩(歴史的な特定の誰かの話ではない)
・二行或いは四行の短い連で書かれる
・たった一つの状況設定とドラマティックな展開という語り口
・対話体が高い比率を占める

チャイルド以前のバラッドコレクション

チャイルドやグルンドヴィがバラッド収集の最初という訳ではありません。
他の国の包括的なバラッドコレクションも既にあった。

トマス・パーシー司教が1765年にバラッドのコレクションを出版している。
パーシー司教がバラッドを収集するきっかけはピープス日記(サミュエル・ピープス、1660年~1669年記載)
1700年代 ヘルデル(1744-1803)ドイツのバラッド収集の火付け人など

チャイルドの出版物

最初に1857-58年「イングランドとスコットランドのバラッド」という8巻のバラッド集を出す。各バラッドのバリエーションを1つだけ紹介しているもので、学術的な出版物としては、後に出した5巻のバラッド集に取って代わられます。

チャイルドのコレクションはチャイルド・バラッド何番という記述がされるようになるが、洋楽CDのブックレットなどで和訳時に「子供のためのバラッド」と誤訳されていることがままあるのでお気をつけてください。

チャイルド・バラッドのテーマ

謎かけ
超自然物
恋愛悲劇
宗教
ロビンフッド、アーサー王もの(フィクションヒーロー)
歴史
準歴史
滑稽譚
などが取り上げられています。

1600年以前のバラッドは11編だけ(全部で305編中)

グルンドヴィについて

スヴェンド・ヘルスレブ・グルンドヴィ(1824-1883)デンマークの文学史家、民俗学者。
デンマークとアイスランドのバラッド収集を手掛ける。
14歳(11歳の説あり)の時に父親が1656年の古いバラッドの手書き稿本を買ってくれたことが切欠でバラッド研究に興味を持つ。
イギリスを旅行し、イギリスの似たような歌謡について知り、バラッドの分布の広さについて印象を受ける。

グルンドヴィの定義
・中世のもの
・ある特定の明確な主題内容を持ち
・一つの決められた韻律で構成された歌謡
模倣歌もバラッドとして扱う(現在)

英雄歌謡 民族大移動の時代
魔性歌謡(超自然もの)
騎士歌謡(恋愛もの多し、歴史歌謡含まれる)
宗教歌謡(黙示録的・聖人・奇跡)
謎かけなどのほら吹き歌謡

グルンドヴィはデンマークの民俗学を確立した人です(民俗学が出来たのは1800~)

補足

ドイツのバラッド研究 ジョン・マイヤーの定義
「口伝え、作者不詳、個々の人々が個々の歌を自分のものであるかのように扱える歌である」

……などなど、各地でバラッド研究や分類付けが盛んにおこなわれています。

「チャイルド・バラッド」と、ゴシップ・ニュースなどを扱った「ブロードサイド・バラッド」、「創作バラッド」「民間伝承バラッド」「民謡」は現代では厳密に区別されています。

楽曲紹介2 愛しのウィリー

愛しのウィリー歌詞

こちらは歌詞だけになってしまいますが、シーリスの楽曲です。
チャイルド・バラッド215番「ガムリ―川で溺れたウィリー」が下地とされています。
日常的悲劇、最愛の奥さんに乞われ水辺に薔薇や百合を植えようと花を探しに行って岩の裂け目に落ち溺死したウィリーを悼む歌。
若く軽やかな男性と麗しい女性の登場は常套句です。

元の詩では「唐突な始まり」というバラッドの典型的技巧が使われている。ウィリーとは何者か、場所も時期も一切不明である。原詩は反対された結婚を花嫁の母が呪って、婚礼のため川を渡った際に花婿ウィリーが溺死する内容。ウィリーという名前はチャイルド・バラッドによく出てきます。

楽曲紹介3 メイ・コルヴィン


メイ・コルヴィン歌詞

こちらも楽曲がありませんが、シーリス版です。メイ・コルヴィン自体は色んな節で様々に歌われているので、動画も見つけやすいと思います。
チャイルド・バラッド4番「イザベラと妖精騎士」が元とされています。
五月の森の中 貴婦人イザベラを8人目の嫁にしようとして王女7名を殺害してきた妖精騎士が返り討ちに遭う物語。

世界各地に類話が分布している。デンマーク版では男はウルフ(狼)の名を与えられ悪者として描写されている。

欧州ゲルマン語圏、フランス語、フランス―カナダ語圏、他のロマンス語圏、スラヴ語、フィンウゴール語族(ヨーロッパ北東部からシベリア西部にわたるウラル語族の一族)、非ヨーロッパ語地域の同タイプの歌謡は1280種のヴァージョンがあると言われている。スカンジナヴィア、イタリア、ポルトガル、ポーランド、北アメリカにも分布

最初は「超自然もの」「女殺し」の区分に入れられ、男は妖精騎士、つまり異界の者とされてきたが、論議が交わされるにつれて「日常的現実の世界」での出来事に扱われていく。グルンドヴィの言葉を借りれば「憧れの物語世界の代わりに、痛ましい殺人事件がある」

類話に青髭物語Bluebeardブルーベアード(1697、フランス:ペロー再話・編纂)などがあるが、グルンドヴィはグリムやデンマークの昔話のほうにもっと近いものがあると主張。主題の起源をさかのぼるとインドのリグ・ヴェーダに繋がるが、グルンドヴィは出自を指摘する気はないと発言。
ドイツでの歌謡現実指向の動きが西から東に向かっている点から、オランダの形がバラッドとしては本来的だと言うにとどめた。オランダからフランス、ブリテン島に行くルートと、ドイツを経てスカンジナヴィアに流れるルートが考えられている。

リグヴェーダはインドの最古の宗教文献。紀元前十数世紀頃にインド西方に移住したアーリア族の自然現象を歌った叙事詩が基。以来一千年の間に成立した。

チャイルドの言葉
「あるひとつのヨーロッパの口伝が存在していた、半分人間、半分魔性の存在がいて、若い女性を誘い寄せてやまないという不可抗力的特質を備えていた、しかも手に入れた後娘を殺したくなる、だが最後には自分の手に負えない娘に出会い彼女の力と勇気のお陰で男は命を落とすという推論である」

こうして超自然テーマから連続殺人犯の口伝に分類が変化していったわけです。

余談「類話、青髭」

フランス民話のいちヴァージョン 1881-92年に収集されたものです。
ペロー版はネットにありますので短めの亜種を選びました。
お読みになりたい方は「ペロー 青ひげ」で検索してみてください。

昔、オーヴェルニュの頂に、幾つもの大きなやぐらを設けた実に見事な城がありました。
跳ね橋を通らなければ中に入ることは出来ず、更に跳ね橋はとても素早く吊り上げられるので、この土地では、城内に入ったものは誰一人として出てきたことが無いと噂になっていました。世間では呪いの城とまで呼ばれていました。

この土地の人々は城の近くを通らないようにし、また、城主にうっかり出くわすのを大変に怖がっていました。
城主は大変な力持ちの巨漢で、とても邪悪な男でしたが、城を出る時にはいつも鉄の鎧を身にまとい、黒い馬にまたがっているのでした。
彼は青い光沢のあるふさふさの髭を生やしていたので、青髭と呼ばれていました。彼はいつも孤独で、友人らしい人間などは誰も見かけたことがありませんでした。

女性はとりわけ、城主に出会うことを恐れていました。というのも青髭は、好んだ女性がいれば見境なく城に連れ帰り、連れ去られたが最後、女性は二度と村に戻れないと噂されていたのです。

ある日、バリエ爺さんの娘の美しいカトリーヌは、森に枯れた枝を拾いに行きました。その日、彼女はウキウキしていました。
土地の中でもきっての美男子で、その上誰よりも心の優しい若者と婚約したばかりだったからです。
二人の婚礼は、取入れの後に行われるはずでした。
娘は歌を口ずさみながら、森のすぐ手前を、トロワ・ソリテールの小径まで、邪悪な青髭のことなどすっかり忘れて歩いていきました。
枯れ枝の束を作り終えて父親の家に帰る支度を整えていると、突然、目の前に青髭が現れました。
青髭は娘を捕まえて、馬上の自分の前に無理やり乗せると、風のように城に帰りました。
彼は娘を、絹や金銀でおおわれた調度品のある部屋に連れて行きました。

――これは全部お前さんのものだ、カトリーヌ

青髭は娘に言いました。

――だってお前さんは3日後には私の妻となるのだから。婚礼の支度をしてくれたまえ。お前さんの晴れ着の生地はここにある。何一つ使い惜しむことはない。我らの婚礼の日にはお前さんに美しい花嫁になって頂きたいからな。城内の礼拝堂に行って祈るのは構わないが、逃げ出すことは考えない方が良い。やぐらは高くそびえ、堀も高い。ほおら、犬の吠え声が聞こえるだろう? あの犬がお前さんを襲ったら、間違いなく食い殺されてしまうよ。
それに、お前さんは父親の家からうんと遠くにいるのだから、一週間かけても自宅に戻ることは出来ないはずだ。お前さんは疲れ果てて死ぬか、私がお前さんを見つけ出して殺す時間があるか、どちらかと問われたら、後者だな。

哀れな娘は、父親と婚約者の元へ戻して下さいと頼みましたが、青髭は聞き入れませんでした。青髭はこれから遠くへ出かけて司祭を探し、婚礼を執り行わせてから殺すのだと言い残すと、娘を置き去りにして出かけました。

カトリーヌはすっかり怯えていました。彼女は、青髭が何人か、妻を迎えては数日後に殺してしまったという噂を何度も聞いていました。
娘がさめざめと泣いたのも当たり前です。愛する婚約者にも二度と会えないでしょう。

――お祈りをして、結婚ではなく、死に装束の準備をしよう。

娘は決めました。彼女はこうこうと光る礼拝堂に行きました。大きな蝋燭には残らず火がともっていたのですが、祭壇の前に、3つの墓石を見つけて、娘はぎょっとしました。怖い気持ちが背筋を伝わってきます。カトリーヌはひざまずき、祈り始めました。しかしその祈りは涙と嗚咽で途切れがちでした。

――可哀想なカトリーヌ!

不意に声が聞こえました。そして二番目の声も

――可哀想なカトリーヌ!

三番目の声は酷く悲し気に

――可哀想なカトリーヌ!

そう繰り返すと、同時に3つの墓石が持ち上がりました。

――わたしにそんなに同情して下さるなんて、皆さんはどなたさまですの?

カトリーヌが尋ねると、死に装束をまとった3人の女が墓から出てきて答えました。

――私たちは青髭に殺された三人の妻です。もしあなたがうまいこと逃げおおせなければ、貴女は四人目の妻になるでしょう。

――でも、どうやって逃げることが出来ましょう。

カトリーヌはききました。

――跳ね橋は吊り上げられ、やぐらは高くそびえ、堀は深く、犬がわたしを食い殺しに来るでしょう。父の元へはとてもとても長い道のりですから、一週間かかってもたどり着けないと聞いています。

――青髭が私を絞め殺したこの綱をお取りなさい。そうして、城壁にそって滑り降りるのですよ

最初の妻が言いました。

――青髭が私に使ったこの毒薬をお使いなさい。犬に投げ与えれば、犬はこれを食べて息絶えるでしょう

二番目の妻が言いました。

――青髭が私を殴り殺したこの太い棒をお取りなさい。長い旅の杖としてこれで体を支えるのです

三人目の妻が言いました。そして三人の妻は口をそろえて付け加えました。

――お急ぎよ。青髭が戻ってきたらあなたは殺されてしまうから。幸運を祈っています、カトリーヌ。さようなら。

三人の妻は墓石の中へと消えていきました。

カトリーヌは綱と毒薬と棒を掴みました。中庭で彼女はまず、襲い掛かってきた犬に毒薬を投げました。犬はがっついて毒薬を食べてしまい即死しました。娘は綱を結わえ付けて城壁にそって滑り降りました。野原に下りるが早いか、カトリーヌは駆けだしました。彼女は呪いの城から遠ざかろうと気がはやっていたのです。でもやがて疲れてきたので、棒を杖にして長い道のりをてくてくと歩き続け、父親の家にとうとう戻りつきました。父親は炉端で泣いていました。てっきり娘は狼に喰われたものと思っていたからです。

ひと月後にカトリーヌは婚約者と結婚しました。二人は大変に幸せで、沢山の子供をもうけました。
彼女は二度と森へは行きませんでした。
聞き知ったところによると、青髭は娘が城を逃げ出したことを知って立腹し、捜し回っていたそうです。娘を追い、城に連れ戻して、拷問して殺すつもりで追ってきていたとのことでした。3か月もの間青髭はその土地を走り回ってあちこち娘を捜し回っていました。が、ある日青髭の死体が見つかりました。丁度そこは青髭がカトリーヌを見初めた場所でした。青髭を殺したのは妖怪狼、ルー・ガルーという話でした。それからずっとずっと後になっても、トロワ・ソリテールの小径では、夜になると唸り声とすすり泣きが聞こえるそうです。住民たちは、めんどりが鳥小屋に居る時間、つまり、日暮れを過ぎたら決してその道を通りませんでした。青髭の城があった場所には長いこと妖怪や幽霊が出ました。それは邪悪な城主に殺された女たちや、司祭たちだという噂でした。

(1981年刊行 フランス幻想民話集より)

余談「ルー=ガルー」

 ロワール河は、上流の辺りではまだ細い小川でしかありませんでしたが、この小川がくねくねと曲がって麓を流れている丘の上に、モンシュック城の廃墟があるのでした。このお城のくすんだ塔は、かつては八十キロ四方を眺めまわすことができたのでした。

 モンシュックの領主たちのお話、特に、残虐行為や農民に対する非情さは、現在であっても語り継がれています。農民たちは歴代の領主、特に、最後の領主を思い出すと身震いが止まらなくなります。最後の領主は数多の罪の罰を受けて、妖獣に変身させられたのであります。これはまた随分長い間、お祖父さんの更にお祖父さんが話した頃から伝わっている古いお話で、お婆さん達が夕食後の団欒で話し聞かせてきたことは、こんなお話でありました。

 最後の領主は、旅人や商人を見つけると脅かして金品を奪い、理由もなく農民を殴ったり、見せしめだと言って吊るしたり、またある時には女性子供をも的にして面白がっていたのでした。お金持ちだと思う相手の足を火あぶりにしたり、若い娘たちを攫って殉教者に仕立て上げることもままあったのです。大胆不敵で残虐非道なその振る舞いは、自分より弱い立場の貴族に対しても容赦のないものでした。今でもこの地方に住んでいる近在の貴族の一族から美しい若い娘を攫って、その髪の毛で吊るし、娘が抵抗するのを罰するのだと言って、ゆっくり時間をかけて拷問して苦しめ抜いて殺したりもしたのです。

 そんなある日、住民たちは、モンシュック男爵が突如消え去ったことを知りました。同時に、土地の人々の間で、不思議な動物についての噂が漠然と広がり始めていました。その奇妙な動物は、様々な理由で手間取って帰りの遅れた旅人を襲ったり、家畜を大量に殺戮したというのです。

 やがて、目撃談も多く広がり始めました。その動物は狼よりも大きく、目から稲妻のような光を放ち、口から炎と煙を吐き出していたと言うのです。また風のようにすばしこく走るので、何キロも離れた場所に居ても、姿が見えるというのでした。この妖獣はたちまちのうちに人間や動物を食い殺し、また女性子供を粘り強く追い回し、家畜の番をしていた若い娘たちを攫って、結果的にこの地方を荒れ果てさせてしまったのでした。

 人々はこの地方から妖獣を追い払うために、九日祈祷や、様々なお祈りに縋りました。猟師たちはあの妖獣には弾丸も通じないことを知っていたので、妖獣に立ち向かうものは誰一人いませんでした。ゆえに妖獣は何年もの間、この地方を荒らして回りました。

 妖獣はヴルーソットの森の中央の四つ辻を気に入っていました。そこには今でも、ラ・クレー=デ=リュナと呼ばれる大きな街道が二本通っています。妖獣はそこで、旅人や、帰りの遅れた農夫を待ち伏せしていたのでした。

 森に入り込むことが仕事の木こりたちは、木の下に子供の手足が散乱しているのを見つけることがありました。住民たちの間では、生き物の肉片とか首や腕や衣装や子供の片足が見つかったのは、あの四つ辻だとか、森の中のあの空き地だとか、そんな風に伝えられるほど、伝説は色濃く記憶に残されているのでした。今でも、妖獣に苦しめられた家の名前がすらりと出てくるのです。

 ある夜のことでした。仕事を終えて帰路についた一人の年老いた木こりが、自宅である小屋から鋭い悲鳴を聞きつけました。駆けつけると、自分の娘が妖獣に捕まっており、妖獣は娘を攫おうとしているところでした。木こりは飛び掛かって、斧を振るい、一撃で妖獣の腰を打ち砕いて重傷を与えました。

 これは伝説が正しければなのですが、妖獣がもたらした被害と、モンシュック男爵の残虐行為には共通点があったと言われています。妖獣ルー=ガルーは、傷つけられると、突然男爵その人に変身し、消え入りそうな声で木こりにこう言ったと言われています。

――我に一撃を加えてくれて感謝する。というのも、我が罪の罰として、永遠にこの姿で彷徨うべく、呪いをかけられていたからだ。この呪いから自由になるには、キリスト教徒の誰かが我に手を下し、血を流してくれる必要があったのだ。

 そして妖獣であった男爵は息絶えたと言われています。

 しかし、信仰を持たない人々や、自由思想家や、ユグノ達は、木こりが一撃を与えた妖獣というのも、結局のところ怪力と大胆不敵さに際立った一匹の老いた狼であろうと主張しております。更に、この狼の為したことは、大革命以前の飢饉によって引き起こされたものに違いないと言っているのでした。

 あなたはどうお考えですか?(フランス民話)

楽曲紹介4 バーバラ・アレン

バーバラ・アレン歌詞

こちらはジョーン・バエズの楽曲です。
チャイルド・バラッド84A「バーバラ・アレン」に似ています。
原版では酒場でウィリアム(原版ではジョン)がバーバラを莫迦にする描写があります。そのせいか、バーバラは頑なにウィリアム(ジョン)の愛を拒み復讐します。しかし、楽曲版では、墓から薔薇と茨に生まれ変わった二人が絡み合って天国で結ばれるという終わり方をします。

まとめ

年代や地域に限らず、民俗学を学ぶ上で必要なのは、当時の世相や風潮を尊重することです。現代の価値観や先入観にとらわれることなく、当時の文化は当時の常識・風俗・風習の上に成り立っていると考えるべきだと思うのです。

例えば昔は男女平等はなかったし、女性は単身遠出をすれば襲われて当然、しかし中絶は宗教的に許されない(ので嬰児殺しの歌も多い)。嬰児とは生まれたばかりの赤子のことです。

親の認めぬ恋人と出来て未婚の母になれば火炙りの刑に処される法律が中世スコットランドにはあったし(家系を穢したとされた)、結婚の際は女性の処女性ばかり重要視されたりします(男性の童貞性は問われません)。それは当時の文化や常識がそういうものだからであって、その是非は兎も角、それを否定することに意味はないと思います。

常識とはそもそも後世に残らない無形文化であり民俗学の重要な一部でもあります。だからこそ残された手掛りを元に当時の世相や常識を探る必要があり、古い価値観を尊重したうえで研究を進めていくのが重要だと自分は考える次第です。

バラッドという民間伝承歌について楽しんでいただけていたら何よりです。

おまけ 映画「処女の泉」について

こちらはネット配信で視聴可能な可能性の高い映画です。1960年、イングマール・ベルイマン監督がバラッドを下地にした映画を制作しました。白黒映画ですが非常に興味深いので一見をお勧めします。また、映画視聴後に下記noteを読んで色々と考えさせられたのでこちらもよろしければ是非。
https://note.com/okamasayuki/n/n41ab5759a2f7

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