枝垂れも見頃20190416

届かぬ言葉と知って投げる

「馬を水場に連れて行くのはたやすいが、馬が喉が渇いていないと水を飲ませることは出来ない」という言葉を、わたしはいつも胸に刻んでいます。

今、ネッ友さんの中に、メンタルを若干、病んでいるかたがいます。
とても気を遣うかたで、自分が他者にとって不快な言動をしていないか、嫌われていないか、陰口をたたかれていないか、すごく気になるのだそうです。

最初にわたしは「愚痴なら聞きますよ。ため込むのは良くないです」とお声をかけさせていただきました。ですが、「頑張ります」とのお返事。
「そうですか。頑張り過ぎないでくださいね」と申し上げると、「頑張るの好きなんです」とのお返事。でも、お辛そうです。
「誰しも完ぺきではないので、誰かに好かれたり嫌われたりするのは当たり前ですよ」と申しても、「嫌われるのは怖い」とのお返事です。

要するに、所謂「でも、でも、だって」を繰り返しておられるのです。

わたしは、「ああ、このかたは、今は人の言葉を吸収できる状態にないのだな」と判断しました。わたしが何を申し上げても、アドバイスをしても、意味はないだろうと感じました。水辺の馬と同じです。喉が渇くまで、水を飲ませることは出来ないのです。逆に言えば、喉が乾いたら、自分から水を飲むでしょう。ネッ友さんも、自分から他者の言葉を受け入れるようになるでしょう。

そうなるまでに何をすればいいのかは、わかりません。ネッ友さんが努力して、ご自身を自分の意志で変えていくしかないのだろうとは思います。わたしには、ネッ友さんに、そこまでの影響を与えるだけの力はありません。ただ見守って、「あなたは充分頑張っていますよ」「無理をしないでくださいね」と繰り返すだけです。

届かない言葉だと、分かっています。所詮わたしはネットの向こうの相手なので、影響力だって微々たるものでしょう。でもいつか、いつかネッ友さんに、わたしの言葉が届く日が来るのを信じて、待つしか無いのです。

こういう時に、「こんなに忠告してあげているのに!」みたいな方向には、いかないように気をつけています。わたしは善意をおしつけたくないのです。相手が期待通りに動いてくれないのは当たり前です。わたしは自分の判断でネッ友さんに関わっているのであって、頼まれた訳でもありません。そっと水場に連れて行った、ただそれだけなのです。
あとは、ネッ友さんがいつか、馬が水を飲みたくなるように、他者の忠告に耳を傾ける余裕が出来てくれたらいいな、新しい考え方を吸収したい気持ちになってくれたらいいな、と祈るばかりです。


ネッ友さんを尊重したいので、わたしの忠告なんて、本当はどうでもいいのかもしれません。身近な別の人がもっといい忠告をしてくださるかもしれませんし。ただ、わたしに出来ることは、ネッ友さんがいつか心身ともにお元気になられるよう、祈るだけです。

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