【フースラーメソッド】クソ難解な「うたうこと」を、一度真剣に解読してみる_前置き
どうも、筆者の賀茂茄子です。
このタイトルを見て本記事を見て頂いている方には、細かい説明など不要かなと思うので前置きは飛ばします。知らない人は、とりあえずどこかのネット記事で「フースラー」「発声」「うたうこと」「アンザッツ」とかを検索して来て下さい。
※以下言い切り口調になります。
※特に断りのない限り、「うたうこと(日本語訳)」=原著
「F・フースラーは「歌声」を'どのように'書いているか」=解読本と呼びます。
次の記事はこちら↓
本記事で伝えたいこと
本記事はその1のため、まずは大枠を書いていく。今回伝えたいことは以下の3つである。
①原作の「うたうこと」は、日本語訳が下手すぎて役に立たない。
②「うたうこと」が凄い点とひどい点はなんなのか?
③「F・フースラーは「歌声」を'どのように'書いているか」を読むにあたって注意したいこと。
ではそれぞれ記述していく。
①原作の「うたうこと」は、日本語訳が下手すぎて役に立たない。
特に声楽家でもないトーシローの私が「うたうこと(以下原著)」を「役に立たない」と言い切るのは、著者らに対して失礼だとは理解している。
だがあえて言わせて欲しい。もうちょっと正確な翻訳をしてこの本を出せなかったのかと。
翻訳がひどいことに気が付いたのは、「F・フースラーは「歌声」を'どのように'書いているか(以下解読本)」(著者:移川澄也 氏)を読んだからだ。この本は約600ページにもなるのだが、原著における日本語訳の不正確さと、正しい解釈の解説にそのほとんどを割いている。
例を出す。最も原著で問題のある訳の1つに「当てる」という表現がある。これは「Placement」を訳したもので、どちらかというと「位置させる」や「(その場に)置く」とするべき語句だ。
※読解本P.376などを参照。
この「当てる」を読者が読んだ時、例えば一部の読者は「まるで声をボールを当てるかのような感覚で発声練習」をしてしまう危険性はないだろうか。そうでなくても、誤った感覚で練習をしてしまうのでは無いだろうか。
本来は「音を特定の場所に置く」ことがPlacementの意味であり、アンザッツでは「音を置いたか所で振動を感じる」ことが非常に重要である。※後日記述します。
その他にも様々な誤訳や思い込みによる訳があり、とてもじゃないが原著だけで内容を理解するなど不可能である。そこで解読本の出番だ。
今からもし本を買う人は、解読本の方を買うことを強くお勧めする。なお解読本でさえ非常に読みづらく、少なくとも学術論文を読んだことが無い人にはお勧めできないことを強く申し上げておく。
※↓以下はアフィではなく、単純なリンクです。まあどこで買っても良いと思います。
さて、ここまで読んでもらった読者の方は気づかれたかと思う。本記事は読解本「F・フースラーは「歌声」を'どのように'書いているか」を、まるで
聖典
かのように取り扱って記述している。個人的に一つの本の情報を元に、偏った情報を載せるのは好きではない。だがそのように記述していく。
それはなぜか?
この本以上に原著を丁寧に読み解こうとした本やネット記事を、私は一度も見たことが無いからだ。
本記事および解読本で言っていることが、完全に正解だとは一切言わない。読者の方々においては、私が上記のスタンスで記事を書いていることを前提として、読み進めていってほしい。
②「うたうこと」が凄い点とひどい点はなんなのか?
批判も多々あるが、一般的に「うたうこと」は名著として取り扱われている。だがこの記事を読んでいる人の中で、一体何人の人がこの本の真価を説明できるだろうか。多分説明できないのではないだろうか。
まあそういうことなのだ。現代日本では、皆が凄いと言っているから、理解できていないけれど何となく凄いと言っとかないといけないという風潮なのだ。
でなければだ、youtubeに死ぬほどフースラーメソッド動画が上がっているはずなのだ。なのにもかかわらずそうはなっていない。これは非常にマズイ状況だ。
もちろん私自身も原著の真価を、正確に、堂々と語れる自信は全くない。が、それでも凄い点はいくつか挙げられる。例えば以下のような点だ。
Ⅰ:この本の内容を理解していれば、どんな人が教えても、一定の成果が上げられる作りになっている。(※人体解剖学に沿って、人体の反射を利用した方法論を展開しているため。)
Ⅱ:非常に具体的に練習方法が記載されており、内容をきちんと理解すれば道を踏み外すことはない。
Ⅲ:世間に蔓延っている誤った発声方法を、根拠を持って否定している(ため、誤った練習方法を行いにくい)
さて、上記の凄い点を見て、こう思った人がいるかもしれない。
いや、そんな印象私は受けたこと無いぞ!
と。それが普通の反応だ。原著を読んだだけで上記のような感想を抱ける人はほぼいない。
なぜなら先にも述べた通り、「原著の翻訳があまりにもわかりにくい上に誤訳が多い」からだ。正直辞書とにらめっこして英語(orドイツ語)版を読んだ方がマシだと私は思う。
また翻訳は関係なく、フースラーの書き方自体にも問題、とまでは言えないが、理解させる気があるのか?という箇所が多数ある。
あえて例えを持ち出すなら、「大学教授が大学院生向けに書いた本」と私は表現する。ある程度の下地が無いと、この本を理解するのは不可能だ。
まず原著(英語版もドイツ語版も)の文章構造が死ぬほどわかりにくい。
例えば声楽に必要な大項目として「A」「B」「C」という要素があるとする。普通の感覚なら「A」の項目を一気に書いて、次は「B」・・・という感じで書くのが普通だ。一般人の感覚だ。
だがこの本は、「Aについてレベル1を書く」⇒「Bについてレベル1を書く」⇒「Cについてレベル1を書く」⇒次に「Aのレベル2を書いて」・・・というように、各要素がバラッバラに書かれているのだ。
これで一般人が理解できると思ったんかこのクソボ〇が!
しかも実は重要な要素なのだが、本当にサラッと書かれている箇所が多数存在する。読者からするとどれが重要なのかさっぱりである。一般人からすると、ここは大事なんだよ、とても大事なんだよ!くらい言ってくれないと理解できないと思う。
また個人的な意見だが、行間を読む力を必要とされる。「ああ、前のページで言ってたことを組み合わせると、こう解釈するしかないな」という箇所が多々あるのだが・・・。一言言っておく。
全ての人があなたほど声楽に通じていて、かつ大学レベルの読解力があると思うなよ。そんな能力のある人、0.01%も存在しないからな?
最後に。この本のみならず、特に大学教授が書いた本の特徴なのだが、全ての情報を並列で書かないで頂きたい。結局何が言いたいのか、主張が何なのか、素人からするとさっぱりである。
私は、あなたたちほど、頭が、良くないんだ。
本項目で言いたいことは以上だ。
③「F・フースラーは「歌声」を'どのように'書いているか」を読むにあたって注意したいこと。
さて、先ほどから述べている「解読本」である。こちらかなりの良著であることは確かなのだが、それでも読むのがとても難しい。
「特に大学教授が書いた本の特徴なのだが、全ての情報を並列で書かないで頂きたい。」
と先に述べたが、この本も例に漏れていない。何が重要なのか、注意深く読まないと理解できないのだ。
言うなれば原著(英語版など含め)は「音楽+人体解剖学を専攻している大学博士課程」が読める本。
一方解読書は「音楽専攻の大学生」もしくは「別分野が専攻だが、論文を読むことになれた大学4回生、もしくは修士課程」が、何とか読める本だ。難易度はかなり下がったが、それでもとてつもなく難しい。
今必要なのは、せめて
「一般的な高校生」
が読める解説文だ。本ブログはその文章の作成を最大の目的とし、綴っていきたいと思う。
それでは本日はここまで。また次回のブログでお会いしましょう。
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