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偽善者

私は昭和生まれです。
小さい頃は背も高く体格もよかったからか自然とリーダーシップをとるような子になってました。
小学生の時は、ポツンとひとりでいる子に何故か話しかけていました。
感受性が強く、まわりの子が悲しむと私も悲しくなったり、困っている人を見るとすぐそばにいき声をかける性格でした。
私とは真反対の性格の子からは「偽善者」という名前で呼ばれるようになりました。
偽善者‥って褒め言葉じゃないよね。自分は嫌われる要素を持つタイプなのかな。小学生ながら色々自分の性格について考えました。
中学生になると異性の間では外見が綺麗な子が人気物になりました。ある日、綺麗な子が周りの子をいじめていたので注意すると、その日から異性達は私の前を通るたびに私の容姿をバカにしました。家の前を自転車で通りながらみんな大声で叫んでからかわれました。今考えると異性恐怖症はここから始まったのかもしれません。
高校生では周りの人を避けるように集団が苦手になりました。
小学生では偽善者、中学生では異性からバカにされる。下ばかり向いて歩いていました。
高校をさぼっていると音楽に夢中になり学校へは行かなくなりました。当時、楽器屋さんに行くと自分が好きな音楽を同じように好きな人達がいまさした。年齢は歳下、歳上それぞれでした。
学生の頃は、音楽、バンド仲間が唯一の友達でした。
結局、学生時代どこにいても、寂しそうな人を見ると何も考えずそばにいく性格だけは直りませんでした。耳のかたすみにはいつも「これは偽善なのかな」と問いかける自分がいました。
社会人になると、学生の頃とは少しちがって、独りの人より、もっと酷いいじめのターゲットになる人が出来る事を知りました。当然、私はその人が正しいのか間違ってるのかも気にせず、いじめられてる人のそばへといきました。結局、その人も私もその職場はやめました。
私はいじめの無い職場を探し歩きました。どこにいってもその構図は必ずありました。人間の嫌な部分を見て生きていました。
探し歩いているうちに遂に自分がいじめ、今でいうパワハラを受けました。毎日、罵倒され、カラダをどつかれ、過呼吸で倒れたこともありました。みんなが見ていない所では声をかけてくれる人はいました。でも手をさしのべてくれることは無かった。手をさしのべるとイジメに合うからだから仕方ないよねと思いながら悲しかったです。
遂に自分自身の居場所がなくなりました。
両親だけは変わらず接してくれました。
それからずっと今に至るまで、心療内科に通っています。トラウマってのは薬じゃ治らないんですね。
数年前から、働ける場所は見つかりました。いわゆる働きやすい職場です。
楽しいです。
いじめ、パワハラが無い職場はこの歳になって初めてです。
今は図太くなりました。
でも小学生の時からの偽善者と言う言葉がずっと心に残っています。
偽善者の誠の意味がどこを調べても分かりません。漢字からは人の為に善い事をすると言う意味は分かりました。そして、それだけを続けていても駄目なことも何となく分かりました。自分が出来る範囲のことを行ない自分を責めなくていいのかなと。これは毎日、募金活動をしていた時にある方から、貰った言葉です。
まだよく分かってない偽善者の意味。
前向きな時は偽善者であろうが、なかろうが私は私と思っています。
後ろ向きになる時にちょっと考える言葉です。

ここからは追記ですが、もし偽善者の言葉で悩まれてる方がいらっしゃいましたら声かけてくださいね☺。

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