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秋の夜長

毎日育児お疲れ様です。

秋の夜長とは言うけれど、
それは自分が移ろう自然に身を委ねたらの話でありまして
常に時間感覚を意識している育児中には
全く恩恵に肖れないものだなぁと感じる今日この頃です。

そんな中でも朝晩は空気がひんやりしてきて
夜お風呂上がりにゴミ捨てなど行こうものなら
かなりのクールダウンになるほど。
うちの方はこの時間になるとわずかな街灯以外は消灯。
空気が冷えるとなんだか澄んできて
星空もより鮮明に見えたりする。

ゴミステーションはすぐそこなので
ゴミ捨ての時間は1分少々といったところだが
束の間のチルタイムとでも言っておこう。


秋の夜長とは無縁だ、みたいなことを言っておきながら
日が短くなったなとは思う。
夕方、これまでより日の落ちる時間が早くなったし
南中高度も下がって庭の畑に伸びる影も
夏場と比べるとだいぶ長くなった。

自然の移ろいはきちんと感じるだけの
気持ちの余裕は出てきました。

娘ちゃんは明日で2ヶ月。
夜のミルクで起きるのは1度だけで済むようになったし、
日中もちょこっと遊んでころんと寝かせておくと
1人でおねんねできるようになった。すごい。

そうなると親もまったりする時間が作れるようになったので
先日は自分のケアを。
今日は少し掃除と作り置きのおかずを5品ほど仕込んだ。
お供はあいみょんの『猫にジェラシー』と髭男の『rejoice』。
アルバム2枚聴きながらおかずづくりなんて
僕にとっては最高に趣味に没頭する時間。

猫にジェラシーはかなり心惹かれる曲と
共感するには、もう自分が落ち着きすぎてしまって
ピンとこない曲とって感じ。
でもそれがいい。
アルバム1枚通して聴いて
全部の曲を同じ熱量で好きになるのも素晴らしいが
あいみょんみたいにバラエティに富んでいる楽曲群に
触れる機会を作ることもアルバムの良さだと思うんだよな。
知らない世界より知ってる世界が広い方が楽しい。
この先どこかのタイミングでそれを好きになる日が来るかもしれないしね。

rejoiceは通しでは3,4回聴いているんだが、
改めて歌詞を咀嚼しながら聴いてみたくて。
楽曲ごとの良さについて語りたいところではあるのだが
あまりに語りたいことが多すぎるので今日のところは省略。

ただ、Finderの入りが前作からの接続感を感じさせながら
困難や絶望を乗り越えて
再出発を高らかに宣言する楽曲が続く序盤の構成、
大人になって(敢えてここは抽象度を高く表現する)
日々の生活や家族、支えてくれる人への気持ち、
解像度が高まって円熟した楽曲の中盤、
そして「熱中するものがある限り何歳でも青春だよな」
って思わせてくれる後半の楽曲の並び。
なんだろう、映画を見ているみたいなんだよな。
日常のことで特別じゃないけれど壮大なテーマ。

前作のEditorialでは生と死、諸行無常を感じた。
メンバーがみんな家庭を持った影響も多分に表れた楽曲。
自分も家庭を持って、
年齢も30歳の声が近づいて聞こえるようになって
死生観というものはやはりついて回るようになった。
これは何も自分や妻が病気を抱えているとかではなくて、
家族としてこの先を生きていくにあたって
当然目を背けることができない儀式みたいなもので。
そこの葛藤であったり、だから目の前の美しいもの
大事なものを愛おしく過ごしていきたい
という素直に向き合う気持ちに心が震えた。

今回のrejoiceはそのテーマに向き合いつつも
達観したような雰囲気さえ感じる。
3年の時を経て、彼らの経験がこの楽曲とアルバムをそうさせたんだな。
自分もそうやって生きていくんだと思うと日常の彩りを愛おしく思う。

…なんて考えているうちにもう日付が変わろうとしている。
秋の夜長とは。

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