子育てコラム(2)『勉強嫌いの真犯人』
「さんいちがさん、さんにがろく・・・」
小学校では、2年生で九九を習います。
「せんせ~い。九九は もう完璧です!」
「お、それは凄いね」
「じゃ~、念のため確認ね。6×7は?」
「ん~~~。42!」
「正解! じゃぁ、8×6は?」
「ん~~~、42!」
「おしい!48でしたぁ(^^;)」
・・・と、まぁ、こんな感じで(子供たちが間違える箇所は大体同じなので)半分正解させつつ、半分は不正解させつつ、
「自分では完璧だと思ってたけど、そうじゃなかった」
を知らせます。
何はともあれ、
九九表を順番通り言えれば、
山の9合目まで登ったようなもの。
あとちょっとで頂上(急に質問されても正解できるレベル)です。
ただ、、、ここから道が分かれるんです。
「ちゃんと頂上まで登ろう」
という子と
「9合目でいいや」
という子が。。。
では、9合目で満足すると、どうなるのか。。。
想像してみてください。
3年生になると、2桁の筆算を習います。
たとえば、
67×87=
という問題があったとして、9合目で止まっている子は
「まず、7×7は、え~っと、、、」
迷うと、仕方なしに
「しちいちがしち、しちに じゅうろく、、、あ、いや、じゅうし…」
みたいな感じになり、1問解くだけで、けっこうスタミナを使います。
2桁の掛け算を解けないわけじゃない。。。
でも、9合目で満足した子は、たった10問の宿題を終わらせるのに
途中で何度もため息をついて、文句を言って、、、けっきょく、2時間かかりました。。。みたいな話になります。
でも、
「九九は いつも使うんだから、そのうち 迷いなく できるようになるさ」
そう思っていました。
でも、実はそうではなかったことが分かったのは、中学生を教え始めてからです。
方程式を解いている時、
「あ、この子、一瞬 九九で迷った!」
という場面に気付いたわけです。
時間にして0.5秒。
でも、その子は確かに
8×6の答えが、42か48かを迷った…そういう場面があるわけです。
エネルギーをほとんど使わずに済む箇所に、
余計なエネルギーを消費する・・・こういうことが積み重なると不愉快になってくるんですね、勉強が。
英単語でも同じです。
[ baseball (ベイスボール)]
のような単語を覚える時も、最初のころは 「バセバ…」のようにローマ字風に覚えざるを得ないわけですが、その際、
「あ、この子、一瞬 ローマ字を迷った!」
という場面に出くわします。
同じようなことが、「漢字」にしても「音読」にしても起きます。
「読み・書き・計算」で迷うということは、
あたかも、ぬかるみに足を取られ、体力を奪われるに同じ
だと言えます。
要するに歩きにくいんですね。
そして、この「歩きにくさ」こそが、勉強に対する苦手意識の真犯人です。
九九にしろ、ローマ字にしろ、漢字にしろ、音読にしろ、山の頂上まで登った子は、アスファルトの道を快適に歩いていきます。
彼ら(彼女ら)にとっては、ぬかるんだ道をあえて歩く人がいるなど思いもよりません。
「なんで、そんな道歩いてんの?」
って思えるんですね。
ある意味、勉強ができるが故の無知です。
「ここだけは!」という単元で、きちんと鍛えられなかった子は、
結果として、いつも ぬかるんだ道をいつも歩かされる羽目になります。
学校で習うこと全てを完璧にしろとは言いません。
ただ、いつも歩く道(読み書き計算)ぐらいは、
踏み固めておき、快適に歩ける状態にしてやりたいものですね。