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Football × Dental × Epidemiology
「それでもパスをだしてやれ」
高校時代の恩師からいただいた言葉です.
中学1年次に地区大会を勝ち進み地元のユースチームと対戦する公立中学チームとして,仲間とともに早々に天狗になり,少しずつグレ,最後の大会は地区予選1回戦で敗退,そのまま朝まで麻雀して監督にブチギレられる.当然,高校の推薦など声がかからず公立高校へ進学し,ここで心機一転.サッカーにもう一度向き合うことを心に決め,3年間猛烈に練習する.1年生から10番をつけさせてもらい,練習をまともにしないチームメートにはパスも出さず自分でドリブルからシュート,これに恩師がブチギレ.
「パスだせよ」
「納得いきません,これが一番確率が高いと思う」
「それなら,今後すべてのトレーニングを必ず先頭で帰ってこい.背中で示せ」
「わかりました」
このやりとりから最後の大会前に恩師から言われたのが最初の言葉です.
高校サッカーを終え,大学進学もスポーツ推薦など声がかかる実力ではなく(にも関わらず,謎の自信からもしかしたら大学でワンチャン,プロもありえるかもと勘違いし),現役で進学することを優先し地元の大学に進学.この総合大学には,体育会サッカー部の他に,医学部サッカー部と歯学部サッカー部が存在し,教育カリキュラムをカバーするための体制が敷かれている.しかし,上記の勘違いをしたまま体育会サッカー部に入部し4年間,留年スレスレの超低空飛行を続けながらサッカー漬けの毎日を過ごす.最終学年は,同大学10数年ぶりの1部残留を果たし,当時の担当教授が快挙に喜びOB費をかき集め,冬場も練習できるようにと大学の体育館を1つ人工芝に改装するという歴史的事業に立ち会うも,1部残留のために仲間内で経験した日々の言い合いや喧嘩などから人間関係は悪化し,もう2度とサッカーはしたくないと思いながら引退.
残りの大学生活をぼんやりと過ごし,「どんな将来を描くか」というよりは,「やっぱりプロにはなれないんだなあ」と思いながら臨床実習も相変わらずの超低空飛行を続ける.サッカーのように無我夢中で打ち込めるものがないなら卒業と同時に薬学部に編入して父親の跡を継ぐかな,と思っていた大学5年の春休みに,サッカーの先輩から「うちの診療所,見学者がいなくて困っているから見学に来てくれ」と声がかかる.
それが,今の職場.当時(いや,今も?笑),ブラックすぎて大学内の評判は最悪,出会う先輩全員に「あそこだけはやめておけ」と言われる始末.実際に見学に行ってみると,厳しい雰囲気はビシビシ伝わってくるものの,とにかく,手技・技術が超一流でした.ここで,はじめて「歯科医師になろう」と決意.その春休みに行われた国試模試では確か,全国2300/2700位で合格者数が例年2000人前後なので,そもそも国試に受かるのかどうかという劣等生状態.なんとか国試には合格し,無事に研修先として当診療所とマッチング(というかブラック過ぎて競合者なし,合格者1名).
その後の研修内容は,とてもこの場では記載できません‥
書ける範囲では
誘ってくれた先輩は,その年に退職‥
お世話掛だった2年目の先輩もその年に退職,飲みによく連れて行ってくれた8年目の先輩も次の年に退職‥
お昼は自分だけ休めず,「昼に休めないのはお前に技術がないからだ」と有り難いご指導をいただく.
当時の理事長からは,「Drなんざ,蹴落としあって5年に1人残れば十分」という有り難いお言葉を頂戴するも,3年目時には一つ上の先輩が13年目という事態に.
また,当院は小児・障害者・有病高齢者などそれまで十分に歯科医療を受けられなかった人たちに適切な歯科医療を提供するという理念が掲げられており(これは本当に素晴らしい理念),そのために麻酔管理の技術・知識を習得する必要がある.そう,民間の一診療所では,麻酔科医を雇うだけの余裕はなく,麻酔器や看護師を含めた医療環境を整備するため,超絶外来診療で稼ぐ必要があるうえに,さらに自分たちで空き時間を利用して麻酔を習得するという二足の草鞋が必須である.そこで,仕方なく先輩方に倣って3年目から大学にて週1回の麻酔研修を開始する.
麻酔の研修でも,人生において大事な恩師に出会う.
当時の病棟医長に,「大学の研修医は温室で育てるから,君はA先生と組んでもらうからね」と言われ,ここでもスパルタ教育を授かる.当時は,麻酔自体にあまり興味がなく,医科の形成で研修を終えた口腔外科医の縫合処置の技を盗もうと術野を凝視していたら,「術野ばっかり見ていて,モニターも見ねえなら帰れよ」と厳しい指導を受ける(注.麻酔領域では,「モニターばかり見ていないで,術野も見ないと大事な情報に気づかない,という定番の指導が本来よく行われる」).
という,昔ながらの古き良き時代が続いていましたが(私は2012年大学卒です),ある時,当院にて以下のスローガンが突然掲げられる.
「学会の指導施設を目指す」
ここで,大きく診療所の方針が変わっていきます.指導施設になるためには,施設として5年間で5人の認定医・専門医の輩出と5年で5編の論文発表が必要だったからです.まず,我々はほぼ臨床onlyの施設で論文執筆の経験がありません.そこで,3名の先生で同時に論文を投稿してみるところから始まりました.結果は,1/3...これでは,指導施設になれない.
ここから,紆余曲折がありながら2年間をかけて1診療所としては初めて指導施設に認定されました.
しかし,認定されたその瞬間から,次の5年後に向けて5人の認定医・専門医輩出と5編の論文執筆がノルマとして科されます.そうです,5年に1人残れば良いなどと言っていては,認定医を1人しか輩出できないのです.ここから,若者を一人も辞めさせず,認定医・専門医まで育てあげ,今まで書いたことのない論文を年に1本書き続ける,というアカデミックなノルマを超体育会系・臨床一筋・ブラック診療所の先生たちが科される日々を送ることになるのです.その時,私はまさに中間管理職として後輩を辞めない程度に指導しつつ論文執筆を行うという役柄にありました.大学サッカー部で一部残留のため,ゲームキャプテンとして後輩たちと日々言い合いをしながら,一方でOBの人たちの苦言やアドバイスにも耳を傾けたあの日々と同じような毎日を送ることになりました.
結果,1回目の更新は無事終えられたのですが,このあたりであることに気づきます.
「」
ということで,臨床研究の可能性を探り始めます.
すると,4年前の4月に研修先であった医科の麻酔科で突然声をかけられます.
「○○君だよね?体育会サッカー部の?僕,医学部サッカー部の同級生なんだよね.しかも,今,頭頸部領域の神経ブロックを研究テーマにしていてよかったら一緒にやってみない?」
まさに,神の一声で私のここ数年でやるべきことが一気に決定した瞬間です.サッカーやってて良かった‥
そして,その中でまたあることに気づきます
「臨床研究をやるためには,統計の知識が必要だけど,相談できるコネクションもない.このままではダメだ」
そこで,麻酔科の先生方に相談したところ
「公衆衛生の先生方に相談している」
「社会人大学院生も受けているよ」
という情報をキャッチし,そのまま麻酔科の教室長に案内してもらい入学を決めました.
そして,今大学院3年目になります.
いわゆるフィールドワークをさせてもらい,疫学研究とは何か,という基礎的なことは教わることができ,論文もなんとか書けそうだと思い始めたころに,またあることに気づきます
「確かに卒業はできるかもしれないけど,体系的に疫学・統計というものを十分に学べていないのではないか」
ここで,mJOHNSNOWと出逢います.
以前から,CEOである廣瀬さんのTwitterをフォローしていて,自分の熱量を下げないためのモチベーターだったのですが,廣瀬さんがmJOHNSNOWを立ち上げると宣言されました.
迷わず応募し,仲間に入れていただけました.その際の自分の志望動機です.
「私の所属する診療所は,これまで十分に歯科医療を享受できなかった人たちに適切な歯科医療を提供するという理念のもと,民間の歯科医院として経営黒字を続けながら麻酔管理施行可能な環境を維持しつづけてきました.先人達はそのために血の滲むような努力をしてきています.現在は,すでに安定した経営が基盤となっており,新たなフェーズに突入しています.このフェーズにおいて私は,臨床研究を推進し診療所および歯科医療の発展に寄与していきたいと考えています.そのためには,自分で研究計画を立案し,データ解析し,論文投稿できるだけの力が必要です.そのためにmJOHNSNOWで学びたい.」
現在,入会して数ヶ月が経過していますが(改めて考えると,まだこれしか経っていないのか),廣瀬さんがおっしゃる通り,期待の4段階上の学びを提供していただいています.
当初,RWD推しの強かった印象がありましたが,私自身はRWDに触れる機会は今後も少ないだろうと思っていました.しかし,私のような疫学初心者にとっても大変学びの深いコンテンツが充実しています.
そして,自習室などを通してフェローのみなさんと共に歩んでいる感覚をとても嬉しく感じています(体育会系・ブラックに慣れているからかもしれませんが).
心理的安全性がこれでもかと担保されているので,安心して学べる環境です.
コンテンツが充足しすぎているので,置いていかれないように日々時間を捻出するのが大変といえば大変かもしれません.できればLIVEで参加できるのが一番良いと実感しています.
来月以降も,1月ごとに振り返りの文章を記載していこうと思っています.
今の目標を最後にかかげます.
○歯科臨床,歯科麻酔につづく三足目の草鞋として,疫学と述べられるように学び続ける.
○後輩が後に続きやすいように道を作り,共に歩んでいく.
この目標にむけて最後の最後に,大好きなArsen Vengerさんという有名なサッカーの元監督の言葉を載せます
(アーセナルというイングランドの名門の監督を長く務められ,日本の名古屋グランパスエイトというチームでJリーグ黎明期にストイコビッチという私の中のベストプレイヤーを率いられた監督です)
Pass should be future. It's not present. It's not past.
by Arsen Venger