第83回 弥生時代・後編
魏志倭人伝によると、邪馬台国の南には
男王の卑弥弓呼が治める狗奴国があって
邪馬台国と不和で戦争状態にあったそうです。
卑弥呼と、卑弥弓呼・・・
仲良く出来そうですけどね!
さて、卑弥呼亡き後、名も出てこぬ男王が
担がれましたが、国中がこれにNOを突き付け
お互いを誅殺し合い
1000人あまりが死んだそうです。
これはたまらんと、再度
卑弥呼の親族(宗女)で弱冠13歳の少女の
台与(臺與)または、壱与(壹與)
(西暦235年生まれ)を
女王に担ぎ上げると
嘘のように国は治まった様です。
崇神天皇の正体が卑弥呼と台与を併せたとか
皇族と関係があるという説が
台与にも及んでいるみたいです。
卑弥呼の様に謎が多い半面、台与はそんなに
メジャーな感じがしないんですよね・・・。
何か、検索結果に可愛いとか
出てくるんですけど、情報提供者の中に
タイムトラベラーでも居るのかしら?
で、新女王の台与もまた、大陸中国で
魏に代って成立した晋の武帝、司馬炎に
良き外交関係を求め、朝貢してたそうです。
晋書、四夷伝によると
武帝の父、文帝、司馬昭が魏の政権にあった
西暦255年から265年の間、台与の使者が
何度もやって来て、泰始の初めには
通訳を重ねた入貢があったといいます。
西暦266年に台与によって
男女の奴隷? 三十人を献上し、白珠五千孔
青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢いだと
いう処で、魏志倭人伝は終了しています。
御存じの通り、その後の歴史で再び
邪馬台国の名は出てくる事はありませんので
どうなったのかは、分かりません。
もしかしたら、名を変えて次の古墳時代にまで
影響を与えてるのかもしれないですね・・・
いやぁ、歴史って本当に面白いもんですね!
では、また会いましょう
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!
(知ってる人いるのかな・・・。)
(有難う御座いました、音量にご注意ください!)