遺書[家族へ編](著者:大学4年男)

 眠い眼をこすりながら冷蔵庫を開け、勢いよく飲んだ冷たい水が私に食道の位置を教えてくれた。嫌に生を感じる27時。死の淵を見たような感覚に衝撃を受けた私はこちらの世界に戻ってきていたことを思い出すのに時間がかかってしまっていた。
 地球が破壊されていく様をまるで他の惑星から眺めているかのように。やけに俯瞰から見ていたにもかかわらず、その恐怖は鮮明だった。地球が真っ白に覆われ、これから何が始まるのかなど考えられないほど今に困惑していた私は汗をかきながら目を覚ました。その出来事が何だったのかを考える隙もなかった。まるで三途の川を渡りかけたかのような感覚だった。意識がはっきりとしない中、何かに動かされるように私の体はリビングの冷蔵庫に向かっていた。

 最近は寒いから布団をたくさんかけて寝ると、途中で暑くて目が覚めてしまいます。暑くて起きるときはなんであんなに死を意識させられてしまうのでしょうか。なるべく避けたいものです。久しぶりに見た悪夢でした。その時の色々合わさった非日常的な感覚を表したのが先ほどの文章です。そんなことはさておき前回の続きを書いていきます。

 両親に対してのメッセージから書き始めるのが定番ですが、まず弟に言いたいことを書いてみたいと思います。
 家の中で一番、いや世界で一番私の思考に近く、感覚を共有している人物だと私は勝手に思っています。一方で、この家で最も話が通じない人だとも思っています。私が良い兄であろうと思う程、弟の悪い面に目がいき、注意したくなります。私が注意する人間は後にも先にもあなたしかいないでしょう。思い返してみれば、幼い時から私は兄として無意識のうちに弟を注意すべきだと思い込んでいました。弟は何か理不尽なことがあるとすぐに気を立て、話ができませんでした。すぐに泣き、怒り、話ができなくなるので母はどんどん注意できなくなったように私からは見えました。父は仕事の影響で日中は家におらず、干渉もあまりしてこなかったため私が注意するしかないと思っていました。これこそが私の大きな過ちになります。他人を自分の意思で動かそうとするのは傲慢の極みであると痛感しました。
 しかし、そのことに気付くまでは時間がかかりました。人に迷惑がかかりそうと私が判断した行動は止めるべきだと様々な方法で伝えてきました。家で許されたからそのまま大人になってもやってますという人間になってほしくなかった。その一心です。しかし、限界は来ます。それはそうです。人は自ら納得した時にしか本質的に変われないと私は思っています。注意しても直らないと悟ってしまった去年の夏ごろでしょうか。私はついに諦めがつきました。何度も言っても怒り返されると心が折れてきます。どうすれば良いのか分からず何度も泣きました。
 これまでなら私の気に障った行動を注意し、キレられ、次の日にはなかったことになっています。次の日になればあっさり弟を許してしまう自分が私は許せなくなりました。あんなに嫌なことをされた相手となぜ日が明けただけで笑顔で話しているのか。何も問題は丸くなんて収まっていないのにどうして自分だけが無駄に頑張っているのか。積み重なったものもあったのでしょう。もう関わらない方が双方にとって健康だろうと思いました。それ以降、いくらストレスを感じても、良くないと思う行動をしていても何も言わず我慢しています。同じ家に住みながら直接話すことは完全になくなりました。
 しかし、距離さえ取れれば、都合の良い面だけ見られるのでまた仲良くなれると思います。実際、今でも直接話すことはないもののLINEではたまに話しています。私が感銘を受けた言葉に「きれいなものは遠くにあるからきれいなの」という言葉があります。superflyさんの"愛をこめて花束を"という歌の中に出てくる言葉です。本当にその通りだと思います。近くにいると、どうしても見えてこなかった部分が見えてきます。私は22年も実家にいるので、家族の見たくないような合わない部分もどうしても見えてきます。それはお互い同じなので私もなるべく気をつけていますが。

 でもすごいと思うのが、こんなに私は弟を注意してきたのに、弟の方から私をきつく注意した記憶は全くありません。もしかしたら注意しにくい高圧的な存在だったのかもしれないですが、優しさは確実に持っていると思います。その優しさが他の感情によって影を潜めないでいてくれることをささやかながらやっぱり兄として願ってしまいます。一番めんどくさい相手だったと思うけど、仲良くしてくれて本当にありがとう。

 キリがいいので今回はここまでにします。今回も長い文章にもかかわらず、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。これを読んでくださる皆さんにどこか1つでも気に入ってくださるフレーズがあったら、これ以上嬉しいことはありません。皆さんが見てくださることが大変私の力になっています。誰か1人でもいいねを押してくださる人がいると”書いてよかったなぁ”と本当に感じます。書くモチベーションだけでなく、生きるモチベーションもとても頂いています。これからも見てくださる方がそんな考えもあるのか、読んでよかったと思ってもらえるような文章を書いていきたいと思っています!

 次回は、まだ出すか悩んでますが私の両親に対してのなかなか伝えられない思いについてのお話かもしれません。皆さん興味ないと思うので出さないかもしれませんが、もし楽しみな人がいればお楽しみに!


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