短編小説「理想と現実」
結婚して半年が経った。私はリビングのソファに浅く腰掛け、カーテン越しの薄い日差しを浴びながら、静かに深呼吸をする。わずかな揺れを感じる空気の中で、食洗機が低い唸り声を上げ、夫は寝室でスマートフォンを片手に天井を仰いでいるはずだ。彼はまだ休日の朝を終わらせる気配もない。
結婚式の日、私は純白のドレスをまとい、友人たちに囲まれて微笑んでいた。あのとき描いた未来は、もっと優しく、もっと温かく、もっと笑顔に満ちたものになるはずだった。平日の仕事終わりには、夫が先に帰宅してコンロの前に立ち、味噌汁の湯気がほわほわと立ち上るような情景を思い浮かべていた。週末には二人で小さな公園を散歩して、木漏れ日に包まれながら他愛もない話をして、帰りにパン屋で焼き立てのクロワッサンを買って帰る、そんな柔らかな時間を想像していた。
けれど、現実はずいぶん違う。「疲れてるから」「明日早いから」と言い訳を重ね、夫は家事をほとんど手伝わない。起き抜けにリビングへ行くと、テレビゲームのコントローラーが床に転がり、空き缶がテーブルに放置されている。私が寝ている間に彼は夜更かしをしているらしい。それを見てため息をついたとき、私は自分の顔が不機嫌な妻のものになっていることに気づく。
結婚前、私たちは対等なパートナーになれると思っていた。共働きで、家事も育児も将来は分担して、それぞれの個性を尊重し合いながら生きていくはずだった。だが蓋を開けてみれば、職場でのストレスに追われ、疲れきった身体を引きずりながら帰宅すれば、そこには理想化された家庭像はなく、私だけがコツコツと家事をこなし、夫は自分の好きなことに没頭している。それが恒常化すると、「まあ、私がやった方が早いか」という諦めにも似た感情が、静かに私の中に根を張ってしまう。
とはいえ、夫は悪人ではない。優しさがないわけでも、私を蔑ろにしているわけでもないのだ。仕事の愚痴をこぼせば、一応は耳を傾けるし、私が風邪をひいたときには薬を買ってきてくれた。だがそれは、私が思い描いていた「支え合う」関係とは微妙にずれている。まるで、私が理想としていた心地よいハーモニーではなく、弦の一本だけが調律を外したような違和感。まだそれほど大きな衝突はないけれど、このささやかな齟齬が、将来どのように蓄積されていくのか、考えると不安になる。
私はソファから立ち上がり、キッチンへと向かう。シンクには食器が山積みというほどでもないが、昨夜の夕食の皿とコップがいくつか残っている。「まだ洗ってなかったの?」と夫に問い詰めても、たぶん「ごめん、やろうと思ってたけど寝ちゃった」と曖昧に返されるだろう。その「やろうと思ってた」――その言葉が、最近私の胸の奥に小さな棘として刺さる。思っているだけでは、何も変わらない。実行しなければ、現実は一歩も理想に近づかない。
洗剤をスポンジに垂らし、食器を一枚一枚洗う。「こんなはずじゃなかった」という思いと、「でも、こういうことが当たり前なのかもしれない」という相反する考えが頭の中で渦巻く。世の中の夫婦は、大なり小なりそういった妥協や諦観の中で暮らしているのだろうか。ドラマや小説の中の理想の夫婦像は、所詮物語の中だけなのだろうか。
水を切り、布巾で皿を拭く。結婚に対する理想像はいつ生まれたのか思い返す。多分あれは、大学の頃に読んだ雑誌の特集記事だった。自立した女性が、理解あるパートナーと共に暮らし、互いに成長する。あるいは、先輩女性社員が誇らしげに語った新婚生活のエピソード。「うちの夫は私が残業で遅くなっても、文句ひとつ言わず夕飯作って待ってくれるのよ」なんて話に、憧れを抱いていた。当時は、結婚とはそうした温かな光に包まれた関係が当たり前だと思っていたのだ。
拭いた皿を食器棚に戻し、シンクをさっとすすぐ。なんだか、慣れた手つきになっている自分が切ない。今後、私たち夫婦はどんなふうに変わっていくのだろう。私の理想をもう一度夫に伝えるべきなのか。あるいは、これが「現実」なのだと受け入れ、私自身が肩の力を抜いてしまえば楽になれるのかもしれない。理想は裏切られるために存在するのではなく、目指すべき方向を示す道標なのかもしれないが、その道標を目指して歩くのも、結局は私自身だ。
夫が寝室から出てきた気配がした。彼は軽くあくびをしながら、「おはよう」と私に声をかける。眠そうな目、乱れた髪、そしてまたスマートフォンを手の中で弄り回す彼に、苛立ちと愛しさがないまぜになる。何気ない朝の風景がそこにある。もしかしたら、理想と現実の差を嘆くことは、私が自分で勝手に設定した期待値が高すぎただけなのかもしれない。
私は食器棚からコップを取り出し、彼のために冷たい水を注ぐ。逆光の中、グラスの中で水がきらめく。その透明な光を見つめながら、私は無理なく、しかしはっきりとこう思う。「もう少しだけ、話し合おう。」夫婦はまだ半年、これから少しずつ、互いの曲がった部分を擦り合わせて、少しでも理想に近づけていけるかもしれない。理想と現実の間を埋めるのは、結局生身の私たちの小さな努力なのだろう。
グラスを差し出すと、夫は「ありがとう」と照れくさそうに笑った。その笑顔が、とりあえず今日の現実を少しだけ柔らかくする。