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ワイヤレスイヤホンの左耳
3年ほど前に、6000円で買ったワイヤレスイヤホン。
街を歩くときは、危ないから片側だけを着用するのが私の常。
左右が独立しているので、理論上、バッテリーの持ちも2倍ということで利用してきたのだけれど、この度、ついに左耳がお亡くなりに。
買い替えるのは簡単だけど、まだ右耳側は頑張ってくれてるから捨てるのも忍びないし、もうちょっと使い続けようと思う。
学生の頃くらいまで、「モノを大事にする」というのは、傷がつかないように丁寧に扱うだとか、定期的に掃除をするとか、そういうことだと思っていた。
でも最近は、そういった丁寧な扱い方を経て、耐用年数よりも長く使ってあげることこそが、「大事にする」ってことなのかなと思うようになってきた。
テキストやノートの角が丸くなったり、文房具に細かいキズがついたり、手編みのコースターがくたびれてきたり。
そんな摩耗も、革製品の経年変化のように、味として楽しめるようになってきた。
もちろん、来客用のカップとソーサーみたいなものは、ビシっとした白磁で揃えたりしたいですけどね。見栄っ張りなんでね。
とはいえ、スマホの保護シートやケースだけは絶対に買ったほうがよい!
「多少の傷も味になるから」とかほざいて裸族で過ごしていた一昨年、机からしっかり落として、がっつり液晶が割れて買い替えになったのでね。
悲しい事件だった。
モノを使い込んだことによる表情の移り変わりを、経年劣化ととらえるか、経年変化として楽しむかは、丁寧な手入れと、その人の心の持ちようによるのかも。