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いろんな学びのステージにいる愛する人たちと
いろんな学びのステージにいる愛する人たちと、どう生きていくか。
愛する家族や友達、恋人。
みんなそれぞれに生き様があって、学びや霊的成長の仕方もそれぞれで。過去世からいろんな人生を経て会得したものもそれぞれで、向かう未来もそれぞれに個性的で。
だからこそ、そこに葛藤が生まれますよね。
私たちは、過去世で得た学びを今世に生かし、目的や使命を持ち、さらなる霊的成長を願って生まれてきます。
でも全部忘れて生まれてくるので、魂は早く思い出して目的や使命のための道に一歩踏み出したいんです。
なので、魂を揺さぶって、たくさん葛藤を抱えて、道を探すように仕向けるための布石を、人生に用意します。それはもう用意周到に!(^^)
持って生まれた能力や肉体が、今世での学びと霊的成長に特化するように(そして他のことに人生を捧げてしまわないよう目的以外の寄り道が行き止まりになるように)したり。
家族、とくに親が、自分より霊的成長の段階が遅く、それによって自分の生き方を模索して目覚めようとする意欲を持たせて、(しかも親との関係が霊的成長を飛躍的に進めてくれるように)スピリチュアリティに意識が向くように仕組んだり。
だから、愛する人たちとの関係に悩み、いったんは距離を置く、というようなこともよく起きるのです。
愛に目覚めた繊細で優しい魂は、そんな自分に罪悪感を抱き、自分を責めたり、そうせざるを得ないように追い込んだ家族を恨んだりします。
そして、自分の霊的成長が、家族と相いれないものであることに絶望します。そのつらさや悲しみは、愛に目覚めた魂であるほど深いものになります。
私も、それについて何年もかけて瞑想をし、クリアリングを進めてきました。
そしてつい先日も、セルフワークをしていました。
その時にね、魂が震えるような開放があったんです。今までなんでこんなに絶望していたんだ!!なんで絶望するしかないと思い込んでいたんだ!!と、文字通り目が覚めたように感じました。
真に許したら、分離が幻想であることに気が付きました。
真に認めたら、それぞれ違うステージの私たちが、愛によって繋がっていて離れようがないことを思い出しました。
真に受け入れたら、まだ未熟な魂である家族が、どれだけ愛おしく尊い存在であり、私の魂を励ましてくれる存在であるかに心が震えました。
だからね、霊的成長が違うからと、あきらめたり、距離を置いたりする必要はないんです。
その人たちがそうであることを、ただ許して、認めて、受け入れていけばよいんです。自分がその人たちを愛するのを、認めて許していけばよいんです。
目覚めを促してくれるために、葛藤を与える役割を担ってくれる家族を、許して、その在り様を認めて、感謝と共に受け入れていけたら、自分が本当に楽になり、自由になります。
すると、自分が霊的に成長し、前へと進んでいくのを、恐れずに受け入れて未来へ向かうことが出来るようになります。
そして、本当に自由に進み始めたら、分離が実は幻想で、どんなステージの違う愛する人たちも、自分の世界を創造しながら、つかず離れず共に在ることに気が付きます。だってそれが家族という在り方の本質だから。魂同士がお互いの霊的成長を見守りながら進む約束をしているのが家族だから。
私も、もっと自分を自由にしていこう。
制限を解き放って、自分の能力を解放していこう。