救われない映画に救われるのはなんでだろう
一人で映画を見にいく人はどれくらいいるだろうか、エンターテインメントだから楽しいものじゃないと、友達と見て後で楽しく感想を語り合えるものがいいと言う人はたくさんいる。僕もその気持ちはわかる。だけど、終わり方に少しも希望が見えないまま終わってしまう映画がたまにある。そしてそんな映画に惹かれてしまう。
そんな救われない映画の一つを今日は紹介する。
タイトルはブルーバレンタイン、一回見たらなかなか忘れられない。
ペンキ塗りのディーンは自分とは別の男の子供を妊娠したシンディーを愛した。子供を大事に育て自分のやりたいことよりも家族と共に生きることを第一にシンディーと向き合ってきたが結婚してから数年シンディーの愛は冷め切っている。そんな夫婦の愛の始まりと終わりを描いている。
久しぶりの夫婦のデート
寂れたラブホテルの一室、冷蔵庫もついていない通称「未来の部屋」でディーンが流した二人の思い出の曲が悲しく響いていた。
「君と僕二人きり 他には誰もいらない
二人がまだお互いのことだけを考えられた頃の
富や名声より魂を愛するなら 魂が同じように感じるなら 振り返ることなんてない」
曲の終わりと同時に流れる楽しい思い出、ここでウクレレを手に歌うライアン・ゴズリングの声が渋すぎてこりゃ惚れるよってなってからまた冷え切った部屋にシーンは戻る。切なすぎる。
男女で二人のどっちに感情移入するかは分かれるけどお互い悪くはなくて時間の経過によって少しずつ生まれた溝を埋めるものがなかっただけなのだと思う。映画を通して流れる音楽はgrizzly bearというアメリカのアーティストがほぼ担当している。
https://youtu.be/l8P7_VEtDjU
Amazon primeで見れるので登録してる人はぜひ見てみて欲しい。
さて、なぜ最後に人間関係が崩壊してしまう終わり方、希望のないこの作品を紹介したかということだけど人間の心は刺激のない生活が続くと退屈さを感じてしまうように残念ながらなってしまっているからじゃないかと、じゃあそこに救われると感じるのはなぜなのか。それは自分の内に抱える人間らしさ、シンディーが家庭を第一優先に自分のやりたいことを犠牲にしているディーンに物足りなさを感じてしまうその他人には軽々しく言えない部分を見してくれているから、自分のこの倫理と矛盾する気持ちにも理解者がいることに救いを感じるのではないだろうか。安定が自分にも周囲にとっても最前の選択であることはわかっているはずなのに。