DOKI DOKIしながら生きている。 #1
「また3人でできる曲が増えたなっていう感じ」
曽我部 ははは。うん、確かにあの日はパンパンだったね。チケットが800枚以上。その人数だと、リキッドは本当にパンパンになるから。今回のツアーは、「やりきった!」って感じ。
前のツアーのときは、途中で換気したり、座りだったりしたけど、今回は規制も少し緩まって。曲数もめっちゃできたし、久々にこういうツアーができたな、ツアーやったな、ライブやったなっていう手応えはあったかもしれない。
曽我部 ツアーが終わったあとにアルバムが出るのは決まってたから、(「風船讃歌」を)アンコールでやろうと決めた。大阪と名古屋でもやった。
──その「風船讃歌」が1曲目に収録された『DOKI DOKI』だけど、これがまたエネルギーに満ちた素晴らしい一枚になっていて。
曽我部 うん(笑)。 まあ、なんつーのかな、また3人でできる曲が増えたなっていう感じで。
「シンプルに3人でいい曲を録ろう、と」
──いつぐらいから、どんな流れで作っていったんでしょう?
曽我部 「ノー・ペンギン」って曲ができたのが、去年かな? エレキコミックの舞台のオープニング曲として作ったのね。それが最初で、その頃は「ノー・ペンギン」が1曲目のアルバムを作ろうと思ってた。「ノー・ペンギン」が1曲目のアルバムっていいなあと思ってた。
そのころからレコーディングを始めて、断続的にずっとやってた。それほど迷いがなかったからおおむね順調だったよ。曲を作って3人で録るっていう、シンプルな感じで。
その中で配信リリースした「おみやげを持って」や「ライラック・タイム」があったり、夏には『冷し中華 EP』があったり。
でも、アルバムは別物で、自分たちのロックを10曲って考えてた。
──前作の『いいね!』のタイミングでインタビューしたときは、「自分で納得できる曲ができるペースが落ちてきている部分がある」って話していたけど、今回「迷いがなかったから、おおむね順調」というところでは、どんな理由があったんだと思う?
曽我部 「納得できる曲ができるペースが落ちてきている」って、俺そんなこと言ってたんだ(笑)。まあ、遠からずだけど・・・(笑)。でもまあ、今回はシンプルにただいい曲を録ろうと思ってたっていうのと、とにかくこの3人で作るって決めてたから迷いがなかったのかな。これがいい曲なのか、いいテイクなのかの自問自答があるだけで、これが正しい方向性なのかとかを考えることはあんまりなかった。歌われているテーマがどっちに行くのかなというのは、注意深く見てたけどね。
『いいね!』ができる前、当初はあれとはまったく別のアルバムを作ろうとしていたから。(丸山)晴茂くんが亡くなったあとのちょっとブルーな雰囲気がそこにはあったりした。
そういうのをいろいろ振り切って、『いいね!』にたどり着いた。
「どういうアルバムかは、15年から20年ぐらい経つとわかる」
──実際に完成した『いいね!』は、すごくフレッシュで、新人バンドが「せーの」で音を出すような楽しさが感じられる“デビューアルバム的な魅力”があったと思うけど、それに対して今回の『DOKI DOKI』は?
曽我部 う〜〜ん・・・。あんまり考えずに作るから、自分がどういうことを歌おうとしてるのかなって、いつも自分に興味がある。
こういう曲を作ろう、ああいう曲を作ろうって、今はあまりないかな。ただふっと出てきたものを形にしている。もちろん、そこに日々感じていることが反映される。
──作り終えた今も、『DOKI DOKI』がどういうアルバムかは自分でも捉えられてない?
曽我部 まだ全然わかんない。なんか、15年から20年ぐらい経つとわかるというか。
だから、例えば『東京』とか『サニーデイ・サービス』っていうアルバムのことが、今はわかるよ。ああ、こういう世界観でこんな色合いと温度でって。
でも、作ったばっかりのときはあんまりわかんない。自分でわかんなくても、どういうふうに聴かれるのかなあっていう興味はある。聴いてくれた人の感想から、ああ、そういうレコードなんだって思ったりする。
「懐かしい感じがするって言われる」
──世の中は本気で最悪だと思うことも相変わらず多いし、本当にどうしようもないけど、それでも何とか飲み込んで生きてったらいいことがなくはないしなって、自分にとっては正しく健康的に前を向かせてくれるアルバムというか。別にそういうことを感じさせることを具体的に歌っているわけじゃないけど、そう思わせてくれるなーって。
曽我部 ああ、大久保くんはそう感じるんだね。うん。こういうふうに聴いてほしいってないからさ。
SNSとかを見ると、「懐かしい感じがする」って書かれていることとかある。
──「懐かしい感じがする」という感想は、どう受け止めるんですか?
曽我部 「ああ、懐かしい感じがするんだー」って思う(笑)。
でも、納得できるっていうか、そう書いた人が実際にいくつかわからないけど、もしかしたら俺の大学生の娘ぐらいなのかな。そういう年齢の人からしたら昔の人が作ってる音楽だし、ただ懐かしいだけじゃなくて「懐かしいけど、すごいエネルギーを感じた」って言ってもらうこともあるし、嬉しいなって思うよ。
デビューしたばっかりのときに「懐かしい感じがする」って言われたら、「自分たちは懐メロじゃないし、’70年代の音楽をベースにしたオリジナルを現代に対するカウンターとして提示してるつもりなんだ」って言うと思うけど、今は「懐かしいか、なるほどね」って思う。だって、50代が作ってる音楽だよ?!
なぜか昔から知ってる感じがするとか、それも素敵じゃん。
──そういう声もある一方、サニーデイが好きな僕の先輩は、「曽我部くんは、どうしていつまでもこんなに声が若いんだろうなー」ってよく言うんですよ。
曽我部 それはたぶん……なんだろうね(笑)。生まれつき?
声だけじゃなく、顔とか体もそうだけど、その人の心とかどう生きてるかなんじゃない? 欽ちゃん(萩本欽一)とか浜ちゃん(浜田雅功)とか、今も声が若いじゃない。
あと、子どものころに声優さんとかびっくりしなかった? 「え! この人が悟空の声なの?」って。でも、悟空を演じているから若いのかもね。
別に若く声や容姿を保とうとは思ってないし、どっちかっていったら年齢とともに枯れてきてトム・ウェイツみたいになったり、晩年のレナード・コーエンみたいになるのもいいなと思ってるんだけどね。
でも、自分で聴いてもフレッシュだとは思うかな。思うんかい!はははは。
「Jポップの殿堂入りしたいの(笑)」
──若さという意味では、ある種の青春感がずっとあるのも、そんなに意識してないっていう話なのかもしれないけど。
曽我部 青春感ってよく言われるんだけど、そんなに俺らだけが特別に青春してるのかなって不思議。というか、疑問。青春感は、スピッツにもあるでしょ。みんな青春してるよ?
──インディペンデントな活動の仕方とか、全国各地のライブイベントにも細かく出演していくスタンスとか、焦燥感のある楽曲とか、キャリアを重ねても大御所感を持たないところに“永遠の青春感”を感じる部分があるんじゃないかなと思うけど。
曽我部 例えばスピッツやエレカシは、それぞれスピッツ像やエレカシ像を確立してると思うんだけど、俺らはサニーデイ像をそんなに確立できてなくて。たまにあっちこっち行っちゃうじゃん? それがいいのかわかんないけど、どうなっていくかわかんない感じがある。それが売れない理由なのかな(笑)。
──俺は、それが魅力の一つだと思ってるんだけど。
曽我部 いやあ、そんなことない。俺は、イメージを確立して売れたいよ。Jポップの殿堂入りしたいの(笑)。
──Jポップの殿堂入りってなんだっていう話もありますけどね(笑)。
曽我部 昨日は、SEVENTEEN AGAiNが主宰しているイベント(<リプレイスメンツ2022>)で(川崎クラブ)チッタに出てたんだけどさ。たまに呼んでくれるの。
そのライブイベントは投げ銭制で、20バンドぐらい出るんだけど、そういうところ行くと普段はあまり出会わない、知らないバンドを見る。それがすごく良かったりする。
昨日も、時速36kmっていうバンドを見たんだけど、すごく良くて。下北のバンドだって言ってたから、負けられないなって刺激になるよね。
お客さんも、自分とは世代が離れてるしさ。同じバンドだからやることは一緒だし、年齢のことはそんなに重視してないんだけどね。
で、おとといは<SHIN-ONSAI(2022)>って音楽フェスに出てて、そこには自分たちの世代がいっぱいいて。向井(秀徳)くんがいて、岸田(繁)くんがいて、堀込(高樹)くんがいて、みんな20年以上前から知ってるけどあんま変わってないんだよね(笑)。Tシャツにジーパンで、缶ビール持って(笑)。「あれ? 井上陽水みたいになってないな」って思ったりもするけどね(笑)。だって、「リバーサイド ホテル」のころの陽水さんとか、俺らより年下でしょ?
──30代ですね(笑)。
曽我部 そのときの陽水さんよりみんなもう年上だけど、誰もあのときの陽水さんみたいになってないっていう(笑)。なんも変わってない(笑)。
「はいつくばっても生きる。そこに魂がある。お金を払ってその姿を見てもらう」
──どうなるかという意味では、「サニーデイ・サービスはこれからどうなっていくんだろう? どんな曲を歌うんだろう?」っていうところにスリルがあって、そこがずっと見ていたくなる部分だったりもして、それこそそれが音楽の面白さだと思うんだけど。
曽我部 まあねえ・・・。でも、俺はあんまり変わっていくってことは重視していないかな。前はちょっとそういう意識はあったけど・・・。
例えばニール・ヤングとかも、ニール・ヤングっていう人の生き方を聴いているだけで、音楽が変わっていってほしいとも思ってない。今、この人はこういうふうに生きてんだなみたいな。手紙だよね。リアルな手紙が届く。それがあればいいと思ってる。
ロックバンドの魅力って、ライブのエネルギーというか、熱量じゃない? たとえ静かな熱だとしても、その人のむき出しの生命、魂、心臓がステージに「ぽん」とあるだけだと思うから。だから、音楽的にどうとかはあんまり意識しない。もちろん、やりたい音楽があったらそれはやるけどさ。
とにかく、一生懸命できるかだよね。一生懸命に生きて、一生懸命に音楽に打ち込んだ結果、いろんなタイプの音楽、方向性に進んでいくのもありだし、もう本当に真っ直ぐな道を歩くのもありだし、その違いはどっちでもいいなって思う。
あのさ、(アントニオ)猪木さんが亡くなったじゃん。
──亡くなった日、弟からLINEが来たよ。「お兄ちゃん、大丈夫? 母さんも心配してる」って。
曽我部 ショックで寝込んでるんじゃないかって(笑)。でも、そのぐらいね。
──大きな存在ですからね、猪木は。
曽我部 猪木が死んで、いろいろ思い出した。追悼で(モハメド・)アリ戦の映像が流れてて見てたんだけど、やっぱり猪木の顔。本気で戦うって、こういうことかもなって思った。勇ましくかっこよく戦うんじゃなくて、はいつくばって、でも絶対に負けないみたいな。
昔、父親に「プロレスは結末が決まってるものだ。本気でやったら死ぬだろ」って言われて、「そんなの嘘だー!」って泣いたんだけど、やっぱり嘘だってあらためて思った。猪木のプロレスが本気じゃないなんて、絶対に嘘。絶対に本気じゃんって思う。
試合の行き先が決まってようが、決まってなかろうが、そんなの全然関係ない。本気かどうかっていうのはそういうところじゃなくて、その人の目つきを見たらわかるもの。猪木が死んで、そういうことを思い出したな。
──猪木の目は、本当にすごいからね。あの目だけでどこまでも惹きつけられる。
曽我部 だから、そういうことかなと思うけどね、バンドとか音楽も。本気の生き様、真剣に生きてるっていう事実だよね。はいつくばっても生きる。そこに魂がある。お金を払ってその姿を見てもらう。
でも、見てくれている人も(はいつくばっても生きているという意味では)まったく一緒だから。俺もまた輝く何かをその人たちから受け取って、自分もまた輝いていたいと思うかな。
俺らの場合、ロックの前に、音楽の前に猪木がそういうのを見せてくれた。危なくて本気で、人間の究極の目つき。すぐに思い出せるもんね、猪木が相手をにらんでる目。ああいうものをセックス・ピストルズやニール・ヤングにも感じたんだろうと思う。そう考えると、猪木の人生のテーマはプロレスとか格闘技がどうこうという以上に、「生きる」とか「生き抜く」だったのかもしれないね。
インタビュー・文 大久保和則
写真 水上由季 池野詩織(バナー)
第2回「長ーい戦いの途中にいるから勝負はまだわかんない」