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表面的なものたち

 私は文系大学院を修了し社会人になって2年目のもの。
 初投稿は日本の会社組織の空気感について書いてみようと思う。

◇打たれ弱い人や繊細な人は社会(特に会社組織)に馴染にくいと言われているが、実際はそういう人たちよりも「物事を表面的にみることができない人」のほうが社会(特に会社組織)に溶け込みにくい。もちろんこれは「物事を深く思考してしまう」という個人の特性を周囲が繊細さと捉えてしまえば=の関係(組織にとって扱いにくい人)ともいえる。私も深く考えてしまう側の人間だ。おそらくnoteをはじめとした投稿サイトを利用し文章を書き読んでもらうことが苦でない人や、人の書いた文章を読むのが好きな人はどちらかといえば深く考える側の人間ではないだろうか。

 組織の雰囲気や文化によるのは大前提としても、少なくとも日本の会社では、ある程度「物事を表面的にみる」スキルが必要になる。要するに上の指示や会社の意向に疑いや否定意見を持たず(持ってしまったとしてもそこで己をコントロールし)右から左に流し、表面上で従う能力が必要になってくるということだ。時間や値段といったありとあらゆる数字に追われている社会人は議論に時間を割かない。思うことがあってもせいぜい同僚に愚痴る程度で、考えをきちんと言語化して上に伝えたり議論の時間を設けることは滅多にない(したくてもできない状況に置かれていることだってある)。哲学的な人は組織(特に営業)に向かないとよくいわれるが、あれはあながち間違っていない。私は文系大学院出身なこともあり、社会人になるまでずっと研究室と図書館を行き来し、日々思考し、言語化し、学友や教授と議論するという生活をしていた。そのため社会人になった途端にそういったことが無駄、むしろしないほうが身のためといった環境に置かれかなり困惑した。

 組織にとって扱いやすい人間とは、あまり深く考えず上に従い業務をこなす人。もちろん業種にもよるが多くの組織が、なぜ?具体的にどうやって?こういう側面もあるのでは?についてしつこく追及しない人を扱いやすく思う。新卒採用※1でアイディアを出せる人・発想力がある人が欲しいと謡っている企業もあるが、それは目先の利益に直結する「深く考えなくてもみんなが理解でき役に立ちそうなアイディア」を出せる人材のことを指す場合が多く、マジョリティから見て役に立たなそうな意見は流されることのほうが多い。

◎だがしかし「物事を深く考えてしまう」タイプの人も、少数派だが同じ会社にいて、それぞれ発散場所や憩いの場をみつけて日々頑張っているのだろう。そう考えると少し元気が出る。仕事脳とプライベートな考え方を使い分けながら社会人役を演じきっている人もいるし、変な奴、扱いにくい奴と後ろ指を指されながらも一生懸命組織で働いている人もいる。

◇会社や組織で日常的に「物事を表面的にみる」能力が求められるからかもしれないが、社会人になった途端に友達付き合いまでもが表面的になる人が増えてくる。時間・値段・仕事量……の物差しで物事をみることが日常化してくるに伴って、向かい合っている相手の内面や歴史が見えなくなり、単純なもの……例えば恋人の有無、結婚の経験、卒業大学名、会社での立場や肉体関係の数など表面的な物差しでしか他人を評価することができなくなるのだ。その恋人との関係性や、結婚に至る個人の経緯、仕事の中身やその人の能力や個性との相性、性にたいする個人の考えなどに興味を向ける余裕もなく、表面的な事実だけで他人を品定めし無意識に比較する。昨今話題の「マウント」※2も、深い思考を無駄とし誰にでもすぐに分かる表面的事実に価値を見出す風潮の産物だといえる。

兎にも角にも、こういった風潮に疲れてしまった私はnoteをはじめることにした。自分の憩いの場を確保する目的と、せっかく培った「物事を深く考え本質をみる」能力を殺さないために。

 これからnoteには日常で考えたことをメモする形で書いていこうと思う。自己紹介として私は現在同性のパートナーがおり同棲している。好きな食べ物は猪肉。大学院では谷崎潤一郎の作品を研究していた。他に好きな作家は団鬼六、阿部公房など多数。好きな画家はジョルジョ・デ・キリコ。好きな漫画家は伊藤順二。好きな音楽家はアストル・ピアソラ。


※1 日本は新卒採用にこだわりすぎていると私は思う。そもそも大学進学自体が就職活動のために存在してしまっている。興味のある分野を専門的に学ぶ場である大学が単位と就職のための機関になっており、大学を卒業してから間もなく企業には入ることが「普通」であり「正しい道」かのような認識になっているように思う。もちろん生きていくために働くことは必要だが、新卒採用で入社しなければ死ぬというわけでもないし、そこでプレッシャーを感じて精神を病むくらいなら(企業勤めが最終目的だとしても)しばらくアルバイトで食べながら第二新卒・第三新卒で入社したって問題ないわけだ。だがしかし、ここでもマウント(というより競争社会)の悪い部分が発揮され、「周りは内定もらっている」「あの子は〇社も内定をもらい大手に入ったのに」と周囲と比べて自分の生き方を決めてしまう若者が増える。そういうシステム。こうして書いてみると、大学進学の時点から既に組織でやっていける人材を生成する構図が社会全体に浸透しているように思う。

※2 巷では女性同士のコミュニケーションを揶揄するときによく用いられる言葉だが、男女関係なく表面的な事実にしか価値を見出せないマウント人間はいると考えてる。男性同士の会話でも性行為の経験数や職場でのポジションによるマウンティングはよくあること。映画を倍速でみて「見た映画数」を競ったり、小説を粗筋だけ読んで理解した気になるのと同様、目に見える数や名前でしか人を評価できなくなった時点で物事の本質をみる力は限りなくゼロに近づいている。


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