映画は変わらない
映画はいつも変わらない。感想が変わるのは自分が変わるからだ。
12モンキーズで主人公が言う台詞は正しくそうだ。映画はいつだって内容は変わらない。時々何度見ても「今日は負けちゃうかと思った!」と云ったトチ狂った気持ちを抱くこともあるが(マッドマックスを10回見ていたときの私だ)、それでも内容は変わらない。でも見たときに抱く気持ちは変わっていく。
私の中で大きく感想が変わったのが「となりのトトロ」だ。子どもの頃は単に「トトロ可愛い〜!ねこバス乗りた〜い!」といった感想だった。でも24歳になって見たときの感想は違っていた。私はトトロで泣いた。
この話を友人にすると友人からは「いやトトロに泣くシーンなくない?強いていうならメイちゃんがいなくなったとこぐらい??」と言われた。確かに私はそのシーンでも泣く。ただ、泣き始めるのはさつきがお弁当を作るシーンなのだ。
さつきは早く起きて妹とお父さんの分のお弁当と朝ごはんを作る。その後は妹の髪を結んであげて、幼稚園に行きたくないとグズる妹へお弁当に好物を入れているからと励ます。
正直これは子どもがすることではない。親が、大人がすることだ。さつきは小学6年生だが、非常にしっかりしている。設定上、お母さんは病気がちであるため、恐らくしばしば、さつきはお母さん代わりを務めていたのだろう。しかしそれは、さつきの「子ども」の時間が奪われているということだ。
正直、私は「子ども」というのは基本的に甘ったれて愛されて幸福を享受している存在であれば良いと願っている。大人はそのサポートをしてあげる存在でありたいと考えている。なので、あのお弁当のシーンはお父さんへ怒りも抱く。「さつきにさせるんじゃなくて貴方がやれよ!しかも何か手伝わんかい!!」と。もう途中から「私が代わりに作っといてあげるからさつきはメイちゃんと仲良くラジオでも聞いてなさい!」と云った気持ちになる。桜でんぶのお弁当も私が作る。お父さんへは怒りを込めて胡麻塩で「アホ」と書いたお弁当を渡す。そんな風に考える。
こんな風に思うようになったのは、私が大人になったからだ。大人になるまでに幸福を享受していられるよう周りの大人たちが頑張ってくれたおかげだ。そしてそんな大人を見ていたからそういう大人でありたいと思う。私のそれまでの人生があるから変化した感想だった。
きっとこれからも映画を見るたびに感想は変わっていく。それは自分が変わっていくからだ。今までの軌跡が私の思いを作っている。
だから見た映画の感想を書いていこうと思った。感想が変わったときに自分の思いがどうして変わったのかを考えるために。願わくば良い変化であると良い。
ただ、結局暴力マシマシの映画も好きなので「スリルが足らねぇ!もっと過激に!!」とかいう最低の変化になるかもしれない。なんということでしょう(流れ出すビフォーアフターのテーマ)。
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