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chap.16 喜怒哀楽②

前回書いたように、日本では色々な方の支えがあり身体の調整ができていました。

次は6月にドイツに戻ってからの話です。

ドイツに戻ると、今までシェアハウスしていた家には自分以外誰も日本から戻って来ず、半年間一人暮らしみたいなもんでした。
今まではずっと1人暮らしがしたいと思っていましたが、いざ海外で1人で住んでみると、思いの外メンタル的に来るものがありました。ましてや、三階建+地下一階の家で、1人ではとても十分すぎる家だったというのも原因だったと思います。
このような状況をいつもチームメイトが気にかけてくれ、監督は常々連絡をくれていたし、チームメイトも監督の友人のサポーターの方もいつも気にかけて連絡をくれていました。
一緒に1.FC KÖLNの試合を観に行ったりと、サッカー以外の自分のプライベートをとても気にしてくれた監督でした。
「何かあったらいつでも言ってきて‼︎」といつも言ってくれ、それは移籍した今でも連絡をくれます。

前チームに所属した理由は、コロナやオペで存分にプレイできていなかった中、ずっと自分を欲しがってくれていたからで、試合中やトレーニング中に自分の調子がいくら悪くても、ずっと信じて使ってくれて、前チームの最後の試合は監督の誕生日で、バースディゴールを2点決めれて最後に自分なりにプレゼントができて本当に良かったと思います。

年内最後の試合が終わり、数日後にチームメイトとのお別れの日がありました。
監督に2人で話したいと言い、ちょっと離れたところで話し始めた瞬間に思わず涙が出てしまいました。
ここに書いていない事も沢山あるし、サッカー以外に上手くいかないことは沢山ありました。人間不信、メンタル面、孤独感...。
これを支えてくれたのは監督やチームメイトのお陰であって、その優しさを思い出すと勝手に。
もちろん日本に居る友達や家族も近くで支えてくれましたが、やはりLINEの電話やビデオ通話だけじゃ正直気休めにしかならなくて、毎日のように会っていた監督やチームメイトには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ドイツ1年目から知っているチームメイトも沢山いたし、たったの半年間でしたが、1番濃かったと言っても言い半年間でした。自分の感情の喜怒哀楽が動きに動きまくった半年間でした。

この様な恩を受けて、この半年間は更に勝負の年だなと。
半年でチームを抜けてしまったけど、それでも応援してくれている監督やチームメイトの為にも、もっとガムシャラに、もっと貪欲に、結果に拘ってプレイしていきたいなと思います‼︎

日本にも良いニュースを届けれる様に頑張るので、
応援よろしくお願いします‼︎


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