あじのきおく23『マドレーヌ』
お菓子作りは難しい。
いろいろと。
少し前まではけっこう気軽に作って友人たちに配っていたが、ネット社会になり素人の作った物を贈ると言う行為は客に受け取る側にそうとう気を遣わせることが多いと知った時、かなり衝撃を受けた。
小学生のころからの流れでつい見過ごしていたけれど、それが許されるのはせいぜい学生までで、社会人となるとよくよく考えないと失礼に当たる、もしくは不快に思われることを肝に銘じるとともに、能天気な過去の己に打ちひしがれた。
大人になると本物の味を知っている上に、衛生面の気づきもある。
しかし付き合い上、くれても困るとはなかなか言い出せないものだ。
過去の…私は…。
過去の私が…大変失礼なことを…っ。
頭を抱えて過去の皆々様へ平伏したくなる。
そのようなわけで作ることからすっかり遠のいて、台所にある多機能電子レンジは買い替えてからオーブン機能を一度も使ったことがない。
しかもうちの家族構成は二人のみで数年前に引っ越してからは実家も遠いし、友達もいないし、もちろん近所づきあいなんて全くない。
作ってしまったら最後、せっせと己の腹に納めるしかないのだ。
ナイナイ尽くしである。
夫にはもうこれが壊れたら次はコンパクトなレンジ機能のみで良くないかと言われていて、そうだよなと思っている。
余談になるが、彼の実家には少し前までトースターのようにつまみをぐるりと回して加熱時間をセットする超旧式電子レンジがありえないことに現役で活躍していた。
それは世に電子レンジが出回ってすぐに義母が購入したもので、仕事から帰って怒涛の家事が始まる彼女にとってたよりになる存在だったようだ。
義母は色々なことに興味持つ人で、テレビ番組で食べてみたい料理が出ると必ずメモを取り挑戦するのが好きで、居間にはよく書き写したレシピのメモがあり、私にも食材と一緒に送られてくることが度々あった。今は高齢となり何度か入退院を繰り返したせいで動きも緩慢になったが、好奇心はそのままでそれが義母の活力の源だと思っている。
さて。
今回私が語りたいのは、マドレーヌについてだ。
ずっと味の記憶だけが残り、追い求めてもなかなか再現できない食感がある。
それは、子どもの頃に母が作っていたマドレーヌ。
私たち兄妹のためというよりも、バザーに出品するために突貫工事のごとく短時間で大量に作ったものの一部だ。
私が子どもの頃、近所のほとんどの家庭の母親は専業主婦だった。
義母のようにフルタイムで働く人はあまりおらず、結婚または妊娠したら退職するのがほとんどで、母も結婚した当初は働き続けるつもりだったが、悪阻がひどくて断念した。
景気がうなぎのぼりだったのも理由の一つだろう。
勤めてさえいれば誰もが必ず毎年昇進し年収も大きく上がり、別荘購入のブームがあったほどにバブリーだったため、生活にゆとりがあった。
しかも母はものぐさな私と違って働き者。
家事の合間を見つけては読み聞かせの講習に通い公民館文庫の立ち上げに関わったり、料理や裁縫教室など習い事に通って様々なスキルを向上させたりと、毎日忙しそうだった。
ちなみに私が二十代前半くらいまで母の作った服を着ることが多く、最後の大作は冬物のコートだったと思う。
それも幼馴染のお母さん自宅で教えていて、母を含めた近所の専業主婦たちが幾人か通い、そこから繋がる人脈があったりして、さらにはバザーに繋がる。
子どもの習い事やボーイスカウト、そして子ども会も活発だったし、今思えば専業主婦とその子供たちが作った焼き菓子や手芸品などのバザーが公民館や団地の集会所などあちこちで開催されていたように思う。
そんなわけで、たまに母がマドレーヌをしゃかりきで焼いているところに遭遇しては、猫の手以下だが手伝ったことがある。
その工程は見ていて楽しいものだ。
両泡立ての生地に粉をふるい入れて、木べらで泡を潰さないようゆっくりまぜ、もったりとした黄色のそれを玉杓子ですくい、専用の敷紙が敷かれた金属の型の上にそうっと流し込む。オーブンが温まったら、生地ののった型を数センチ上に持ち上げては降ろしを数回繰り返して空気を抜き、スライスしたアーモンドを中心部分に数枚散らして天板に並べて庫内に入れ焼く。
私は、この、生地の上にアーモンドを散らす時の、ぱたりぱたりという音を聞くのが好きだった。
ぱたり、と音を立てて舞い降りたアーモンドスライスはゆっくりとわずかながら生地に沈む。
それがなんとなく、楽しい。
もちろん、バニラエッセンスまじりの卵と砂糖、そして溶かしバターの匂いも大好物だったが。
出来上がったマドレーヌのうち少し焼き色が濃すぎるものは自宅にとどめられ、私たちのおやつとなった。
アーモンドが焦げ気味でちょっと苦味があったりもするけれど、マドレーヌはふわふわで甘く、美味しかった。
その後、環境の変化とともに母がバザーに出品しなくなり、マドレーヌも作らなくなった。
なので時々、あの味が無性に食べたくなった私は母に隠れてこっそり市販品を購入するようになった。
しかし。
困ったことに違うのだ。
私の食べたいマドレーヌではない。
分厚くても薄くても、シェル型だろうが丸型だろうが、想像していた味でないのだ。
高級菓子店でも、コンビニスイーツでも、どこかちょっと違う。
高級マドレーヌは材料が高級すぎるのかもしれない。
コンビニスイーツは材料が複雑すぎるのかもしれない。
そう思い至り、ネットで調べたレシピでシンプルなものを何度か試してみたがどれも惨敗。
私の求めるのは、すこしどっしりした食感。
なのに、出来上がるのはどれも微妙に軽い。
これじゃないこうじゃないと嘆きながらも作った以上は頑張って食べた。
ある時とうとう匙を投げ、思い切って母にレシピを尋ねた。
私の記憶では母のノートに鉛筆で書かれていた筈で、実家住まいのころはそれを見ながらひとりで作ったことが何度もあった。
だから、尋ねさえすればいつでもあの味は取り戻せると思っていたのだ。
だが、無情にも母の答えは否。
『見当たらないのよね、そのノート』
模様替えをした時に本などを処分したらしく、その中に紛れていたのではないかと言われ、打ちひしがれた。
いつまでもあると思うな、世のあれやこれや。
こうして、私のマドレーヌ難民は今も続いている。
だんだん拗らせすぎて、私の中のマドレーヌは智恵子の空の様相を呈してきた。
ほんもののマドレーヌはこれじゃない。
どれもこれも違う。
どうして見つからないのだろう。
ねがわくば、数十年前のあのマドレーヌ。
どっしり、もっちりとしたあの甘くて柔らかいお日様のお菓子。
卵に、砂糖に、バターに、バニラエッセンスに小麦粉、ベーキングパウダー。
シンプルなのに難しい。
蜃気楼のようなそれを。
もう一度食べてみたいものだ。
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