虫の知らせ

3日に身内が天に召されたそうです。

わたしは今日知りました。わたしの携帯のキャリアはauで、ちょうど3日に母に状態を聞こうと思って電話したときに、auの障害に気がつきました。虫の知らせがあったのかもしれません。

あまり母に電話をする、ということはなかったため。

最近は状態がどうかと、普段よりはマメにはかけていましたが、あまりかけるとウザがられるというか、母も話すのがつらそうだったため、ある程度の距離を保つというか、うざがられない程度に電話をしていました。

というか、まぁ、電話をしても状態がわからないというのもありましたが。

その人は、母にとっては光のような人でした。わたしにとってもそうですが、想いの大きさは、それは母のほうが大きい。みっちゃん、みっちゃんと、母に話しかける姿は、わたしにとって本当に幸せな光景でした。

今でも耳に残っています。

いつか母とその人を、東京ドームのジャイアンツ戦に招待しようと計画をしていました。わたしも母もその人もジャイアンツファンで、その人とはいつも一緒にプロ野球中継をみていました。

だから、3人でドームに行こう!と計画をしていたのに。

その計画は夢のまま終わってしまいました。「いつか」というのは、本当に曖昧なもので、なんでもっと早く、と思いましたが、コロナが落ち着いたら、というのはありました。

だから、今回の入院でも回復してほしかった。

また一緒に過ごしたかった。夏に帰ったら、また一緒にご飯を食べたかった。でも神様は「今」という時を選ばれました。

母の悲しみが癒えるように、祈ることしか、今のわたしにはできません。

叔母が、今日まで母のそばにいてくれました。母が悲しいのは今日からかもしれません。なのでこの訃報は叔母から聞きました。

このようなご時世なので、お葬式は家族葬。もちろん母は呼ばれません。

息子さんが、うちにあった荷物を取りに来たときに、たぶんお香典を渡していたと叔母が教えてくれました。

短い闘病でした。

1ヶ月なかったと思います。ICUから一般病棟に移り、結局はどのような経過を辿ったのかはわかりません。回復を期待できない状態だったのかもしれないし、でも新聞を読めたり、電話はできる状態だったし。

その人はよく、お孫ちゃんをうちに連れてきてくれていました。

わたしに子どもがいないので、母にとっては、本当の孫のようにかわいがっていました。そのお孫ちゃんたち(双子ちゃんなのです)にも、もう会えないんだろうな。

母はいろんなものを失ってしまったと思うと、心が痛みます。母の気持ちを考えたら、わたしがそんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、母が素直に話をできる人は、どこかにいるのだろうか。

わたしにも叔母にも無理なのです。

母にとっては強い人であらねばならないから。奇しくも今日は七夕です。どうか、母の魂に、その人の魂が寄り添っていてくれたら、と思います。

いつかわたしが、母の支えになりたいです。

いろんなことを考えてしまって、今日は長い夜になりそうです。織姫と彦星が逢えるといいなぁ。

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