井の中の蛙、大海を知れ

たまにはこんな文章を書いてみても良いか、と思った。あまりに私らしくないと思うけれど、それを笑ってもらえれば丁度いい。コーヒーでも片手に、YouTubeを垂れ流しながら読んでもらえると有難い。

結論、恋人ができた。

私は人生において碌な恋愛をしてこなかった。しなかったというよりできなかったのだと思う。好きと
いう感情はあまりに不完全なもので、存外すぐに消えてなくなってしまう。恋愛をきちんと終わらせた記憶がない。全て自然消滅だった。

私が恋愛弱者であることには分かりやすい理由が2つほどあった。まずは自己嫌悪が激しいこと。そして蛙化現象を起こしてしまうことである。

自己嫌悪、というより自分に自信がないと言った方が正確かもしれない。私は自分の容姿にコンプレックスしかない。顔はもちろん整っていない。眉は太いし鼻は低いし目は奥二重で小さい。身長も低いし胸はないのに腹だけは立派に出ている。足は太くて短いし、体毛が濃いのも長年の悩みだ。恵まれた容姿に生まれていたらとこれまで何度考えただろう。

しかし私が本当に嫌いなのは私の性格だった。特別容姿が恵まれていなくても幸せな恋愛をしている人は世の中ごまんといるだろう。私は性格にも誇れる部分がない。コミュニケーションが下手。ガードが堅くて誰にも心を許せない。すぐに人と自分を比べて自己嫌悪を加速させ、そのくせ努力もせず嫉妬心だけ募らせる。プライドだけは一人前で、周りと比べて劣っていることを認めたくない。人の不幸でご飯を食べる。他人の悪口で安心する。大袈裟でもなんでもなく、私は容姿も性格も醜い。

蛙化現象を起こしてしまう理由はこれだと思っていた。例え人を好きになっても、その相手から好意を向けられると『気持ち悪い』と思ってしまう。

"こんな醜い私を好きになるなんて、どうかしている"からだ。

私を好きになる要素が見当たらない。
思えばこれまで好意を向けてくれた人たちは、どこが好きか言ってくれたことがなかったように思う。
だから尚更。

俗っぽい言い方をすれば、「遊ぶには手軽なブス」。
そう思われている、と、思い込んでいる。

好意を向けてくれていた人たちからご飯に誘われても断った。帰りを合わせようとしてくるなら早足で逃げた。話しかけられそうになったら忙しい振りをした。決して嫌いだったわけではない、なんなら好きだった。向こうに好かれるまでは、確かに好きだった。

反対に私に好意をまったく持っていない相手にはどんどん気持ちが膨らんでいった。今思えば気持ち悪いが、『振られてすっきりしたいから』という理由で脈がないのを分かりきった上で告白したこともあった。もちろん断られた。優しい言葉で断られたのは救いだったように思う。

そんな経験を積み重ねて、まともな恋愛をしないままそれなりの年齢になってしまった。もう恋愛に夢を見るような歳ではないことも分かっていた。だから、恋愛を諦めた。

とにかく自己嫌悪と蛙化現象がどうにかならないことには確実に恋愛はできない。せっかく好意を向けてくれた人たちを、理由もなく遠ざけて傷つけるだけになる。こんな面倒なことならしなくていいと思った。

そんなことを考えていた時期はしきりに『30歳になったら適当に死ぬ』と言っていた気がする。両親はまったく本気にしていなかったが、私は割と真剣にそう思っていた。老後に夢もないし、出世欲もないし、どうせ時間も金銭的余裕も体力も吊り合わないまま人生は終わる。恋愛をせず家庭を作らないなら本当に生きる理由がないと思っていた。若さだけで楽しく生きられる20代を終えたら、どこかから飛び降りて適当に死のうと思っていた。


どこからその考えが変わったのか、わからない。

クサい話だが、恋愛はするしないでどうこうなるものではなくて、気づいたら落ちているもので。
好きな人ができた。

初めは私からアタックした。相手は私からの好意になかなか気づいていないようだった。私の押しの強さに徐々に掻き乱されて、気づいたら両想いだったらしい。彼がいつから私を意識していたのか、明確なところはわからない。でも、お互いわかりやすく両想いになっていった。

人生で初めて、好きな人から向けられる好意が嬉しかった。
彼からの好意だけは気持ち悪いと思わなかった。
自己嫌悪がなくなったかと言えばそんなことはまったくもってない。私は未だに醜い人間のままだと思っている。

彼がくれた言葉でずっと胸に残っているものがある。

「欲しい言葉をくれるから、話していて心地が良い」

そんなふうに言われたのは初めてだった。
ただ好意を向けるだけでなく、好きなところを具体的に伝えてもらったのも初めてだった。
私は自分のことが大嫌いだけれど、その言葉をもらった時に、自分の、相手の気持ちを考えて言葉を紡ぐところが好きになった。

背が低いのもずっとコンプレックスだったけれど、一緒に服を買いに行った時に、「自分に合うサイズを一生懸命探しているのが可愛い」、「丁度いいサイズが見つかってはしゃいでいる姿も可愛い」と言われた時に、この身長も悪くないなと初めて思った。

顔が可愛い、は流石に好みが変わっていると思ったが。

言葉にして伝えられる好意は少しも嫌ではなかった。

私は端から蛙ではなかったのかもしれない。
本当の恋を知らなかっただけなのかもしれない。
……あまりに痛々しいので後半は忘れてほしい。

自分の好きになれないところを、好きになれるように変換して、言葉にして伝えてくれる人がいること。
それがこんなに幸せなことだとは思わなかった。

付き合いたてで舞い上がっているだけと一蹴されてしまえばそれまでだし、正直否定はできないのだけれど。
蛙化現象なんて言い訳で心に壁を作っていただけで、本当に好きな人の前ではそんなものは無力だった。好きなものは好きで、それ以上でもそれ以下でもない。

好きな部分を伝えてもらう度に、私も同じだけ、否、それ以上に彼の好きな部分を伝えたいと思っている。言葉にするのは恥ずかしいけれど、私ばかりもらってばかりでは不公平だし、彼に幸せにしてもらった分だけそれを返したい。

痛々しい惚気はこの辺りにしておこう。
とにかく、蛙は自らが蛙でないことに気づいたらしい、というただの気づき。


……万が一別れたらすぐ消す。ないと思うけど。

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