【掌編小説】夜明け前
徐々に明るみを帯びていく空。
透き通っていく半月。
明けの明星が、東の空できらきらきらと輝いている。
「もうすぐじゃない?」
「だね」
白んでいる水平線の向こうを見つめてささやいた。
つぶやくほどの声でも、意思疎通ができる距離で君と歩いている。
昨日よりも近くなったような、そんな距離感だった。
「良い空気。いつもこうならいいのに」
夜分に草木が浄化した空気を吸い込んで君が言う。
澄み渡る大気に、人も車もない、僕らだけの世界。
毎日がこんなにも心地良かったのなら、どれだけ生きやすかっただろうかと思うほどの。
けれど。
「経済が回んないから、ダメだね」
「風情が無い人」
もっともなことを言いながら、君は、つないだ僕の手をぎゅうっと握り込む。
君の爪が食い込んで、昨日の夜の痛みとリンクした。
「君って力強いよね、意外と」
「あなたはひ弱すぎるの。もっと体力をつけてよね」
「……」
返す言葉もなく、ポリポリと頬を搔く。
新聞配達のバイクが、僕らを追い越していった。
「あなたってさ、」
黙ったままでいると、耐えかねたように君が口を開いた。
「大人になったら愛人とか作ってそうだよね」
何を急に言い出すのか。
この子はバカなのかと思った。
「作らないよ、君以外に」
「サイテー」
いっしょになってバカになった僕の肩に、君が体当たりする。
「それに、もう大人だ」
口の端を片方だけ上げて、自嘲気味に笑う。
18歳から成人として認められることになり、僕らは言われるがままに大人になった。
けれど実際は、制服を私服で隠しただけのガキンチョでしかない。
擬態も満足にできないくらい、大人のことを知らない。
「……たしかに、階段は登っちゃったよね」
「……」
君は、僕と違うことを考えていたらしいけれど、そこには触れないでいてあげた。
「でもさ、背伸びすることないんじゃない? 明確な境界線なんてないよ」
君は空を見上げて言った。
朝と夜の境目が曖昧な、紫色の空。
「私はまだ、子どもでいたいな」
ぽつりと漏らす君は、僕よりも大人に見えた。
上を向くことで強調された君のデコルテが、いやにセクシーだった。
「あ」
その時、視界の左側が明るみを増した。
大きな橋の上から見える水平線が、白く染まっていく。
「……そろそろ帰ろうか」
「朝陽を見るんじゃなかったの?」
「なんか、お天道様に見つかるとマズい気がしてきた」
「そんなに悪いことした?」
「イケないことをした気分では、あるよ」
「……たしかに、それはそう」
僕らは顔を赤く染めながら、ふふっと笑い合う。
「あのさ、明日も会えるかな?」
別れ際、名残惜しくなって僕は問う。
「夏課題は? 終わってないんでしょ」
「ひとつ終わらせるごとに会えるってのは、どう?」
「……いいんじゃない」
君はそれだけ言うと、僕に背を向けて歩き出した。
遠のいていく君の背中に、「また連絡するよ!」と声をかける。
君は振り向くと、「あっかんべー」をしてから大きく手を振った。
君の後ろ姿が見えなくなるまで見送って、僕も歩き出す。
車が走り出し、人影がちらほらと現れ、鳥のさえずりが意識をはっきりとさせてくる。
世界は朝を迎えたのだ。
僕らの関係性は、定義されないままで。