【ブルアカ】考察:なぜグリゴリウスではなくグレゴリオなのか
こんにちは。
きっとほとんどの先生は、グレゴリオの登場を初めて知った時こう思ったことでしょう。
英語表記はグレゴリウスなのに、
なんで日本語名はグレゴリオなんだ……?
これは、いよいよ始まる総力戦グレゴリオに向けて、誰もが思うであろう謎を考察する記事です。グレゴリオ開始までに時間的余裕が無いため、マエストロについてはあまり考察せず、とにかくなぜグレゴリオなのかを考えていきます。
なお、マエストロが登場したあたりのメインストーリーやお仕事ストーリーのネタバレがありますので、未読の方はご注意ください。
「グレゴリオ」や「グレゴリウス」とは?
さて、まずグレゴリオとグレゴリウスという言葉に聞き覚えがない方もいらっしゃると思います。
「グレゴリオ」と「グレゴリウス」はどちらもラテン語に由来する言葉です。「グレゴリウス」が基本の形であり、「グレゴリオ」はラテン語がロマンス諸語(スペイン語やイタリア語)に変わる途中の言語、俗ラテン語での形です。
グレゴリウスという名前がキリスト教系の話で出てきた場合、それは大抵、グレゴリウス1世のことを指します。
グレゴリウス1世は四世紀ごろのローマ教皇で、ラテン教会(カトリック)における四大教父の1人です。教父とは賢くて偉い神学者のことで、その中でも特にすごかったのが四大教父です。
ラテン教会の四大教父は
・ヒエロニムス
・アンブロジウス
・グレゴリウス1世
・アウグスティヌス
とされていて、その全員が聖人として尊敬されています。
お気づきになりましたか?
そう、ヒエロニムスとアンブロジウスはすでにブルアカに登場しています。なので、グレゴリウス1世をモチーフにした総力戦のボスが出てくることは、とても自然なのです。
また、グレゴリオという名前はグレゴリオ聖歌に由来すると考えられます。グレゴリオ聖歌はグレゴリウス1世が編纂したとされる聖歌のひとつです。
となると「普通に考えれば」、グレゴリオもこのグレゴリウス1世だと判断できそうです。
しかし、本当にそうでしょうか?
実は、グレゴリオ=グレゴリウス1世と考えたとき、不可解な点がいくつか浮上します。
グレゴリオ≠グレゴリウス1世?
グレゴリオについて分かっている情報はさほど多くありません。よって、必然的に考察できる点は2つ、外見と名前です。
そして、そのどちらにも大きな謎があります。順番に確認していきましょう。
外見
グレゴリオは、巨大なパイプオルガンと、その中央から頭が炎になった人の上半身が飛び出る見た目をしています。
頭が炎の人(以下本体と呼称)は、キャソック風の服を着ています。また金属製の首飾りをつけており、さらにその上から紫色のストラをかけています。
パイプオルガンは、とてもありふれた形をしています。パイプの束がいくつか纏まって壁のようになり、中央には鍵盤があります。
本体については、カトリック教会の神父風だということ以上はありません。問題は、パイプオルガンの方です。
オルガンは、筒に空気を送り込んで音を鳴らす楽器です。原理が簡単なので、昔から似たような楽器はいくつもありました。オルガンの原型と言える水圧オルガン「ヒュドラウリス」が作られたのは、紀元前3世紀ごろです。
ところが、パイプオルガンが教会で使われるようになるのは、それからずっと後のことです。最初にパイプオルガンがヨーロッパにやってきたのでさえ8世紀ですし、それから教会でよく使われるようになるのは更に数世紀後になってからでした。
もちろん、グレゴリウス1世の時代にパイプオルガンなどあるわけがありません。そもそも、グレゴリウス1世の時代、5世紀ごろは、楽器はそれほど重視されていませんでした。ラッパさえ使わない、伴奏無しのアカペラで歌われるのが普通の時代です。
これはグレゴリオの外見と大きくかけ離れた事実です。グレゴリオがグレゴリウス1世なら、その時代に無いものと合体していることになり、とても奇妙な存在になってしまいます。
名前
やはり名前もおかしいです。
グレゴリオとグレゴリウスがラテン語から来ていることは前述しました。そう、英語の名称っぽくGREGORIUSと書いているこれは、英語ではなくラテン語表記なのです(ちなみに英語表記のグレゴリウス1世はGregory Iです)。
同じ総力戦でも、ペロロジラは英語表記と見られます。PERORODZILLAはPeroroとGodzillaを合わせたかばん語で、Godzillaはゴジラを英語に訳すときにGodを捩じ込んだことで生まれた単語です。
総力戦ごとに名前の付け方が違うのは、デカグラマトンやカイテンジャーなど勢力が多数存在するので仕方ありません。しかし、アルファベット表記の言語が理由なく英語以外を使っていることは、かなり奇妙に思えます。
これらの点を考えると、現状ではグレゴリオ=グレゴリウス1世と確定するのは難しそうです。
とはいえ、四大教父のことなどを考えると、アンブロジウスとヒエロニムスに続いてグレゴリウス1世が出ること自体はかなり自然です。
正直、グレゴリオがグレゴリウス1世以外をモチーフにしているとは考えにくいです。
よってこれらの違和感と、グレゴリオがグレゴリウス1世であることを両立させる必要があります。そのためには、いくつかの前提を考慮しなければなりません。
前提1:ミメシスは元となった存在のコピーではない
マエストロは模倣なる技術を用いて、シロ&クロやゴズ、ユスティナ聖徒会やヒエロニムスといった、強力な敵キャラクターを生み出してきました。
ではこれら模倣された存在は、元となった存在を複製して作られたコピー品なのでしょうか?
それは違います。マエストロはこれらが複製であるとは一言も言っていません。
総力戦シロ&クロの前口上にて、マエストロは「この閉鎖された遊園地には、かつての多くの人々の幸せが、歓喜が残滓として残っている。そしてそれらの複製が今、ここに顕現した」と述べました。
これは、シロ&クロが遊園地のマスコットの複製体ではなく、遊園地に残っていた幸せや喜びの感情の複製体であることを示しています。
また、ユスティナ聖徒会の複製を行う時も同様のことを話していました。「……されど、あの守護者たちの「威厳」を複製できるというその一点には興味を惹かれた。それに免じて、今回はそなたらを助けよう」
これもまた、ユスティナ聖徒会と聖女バルバラが同名の人物の複製体ではなく、彼らの持つ威厳という感情の複製体であることを示しています。
これらの例から、複製とは、物体Aからコピー体A'を作る行為ではなく、物体Aに関連する感情から物体αという別の物を作り出す行為だと考えられます。
出来上がった物体αは物体Aと似ていますが、違う部分もあります。なぜなら、これは元になった物のイメージを模倣して作っただけの物だからです。
ただし、肝心のヒエロニムスは複製であると明言されていません。しかし、少なくともヒエロニムスが聖ヒエロニムスという人物を元にしていないと考えうる根拠は存在します。
前提2:ヒエロニムスは概念である
まずそもそも、マエストロは太古の教義が受肉したものを、関わる名を借りてヒエロニムスと呼んでいるとしています。名を借りたということは、太古の教義=聖ヒエロニムスではありません。
とはいえ、ヒエロニムスは総力戦で「ウルガータ」などのEXスキルを使います。聖ヒエロニムスと関係ある名前を持つEXスキルを使うということは、やはりヒエロニムスは聖ヒエロニムスと言えるのでしょうか?
これは、同じくEXスキルの「獅子の救済」の存在に否定されます。
「獅子の救済」は生徒たちの下に大きな魔法陣を出してくるのが特徴の範囲攻撃です。
「獅子の救済」という名前は、聖ヒエロニムスの伝説から来ています。
あるとき聖ヒエロニムスは、足にイバラのトゲが刺さって傷ついているライオンを見つけました。聖ヒエロニムスがライオンの足からトゲを抜いて手当てしてやると、ライオンと聖ヒエロニムスは仲良くなり、共に暮らしましたとさ……という伝説です。
問題は、これが実際には聖ヒエロニムスがやったことではないことです。「ライオンからトゲを抜いて仲良くなる」という伝説は複数あり、当時のローマに限ってさえ数件ありました。
昔話を類型ごとにまとめたATU分類にも、ATU156「ライオンと仲良くなった男」とタイプが割り振られています。
最も古い類型はアンドロクレスの伝説です。
逃亡奴隷のアンドロクレスは、逃げた山の洞窟で足にトゲが刺さったライオンを見つけました。アンドロクレスがトゲを抜いてやると、ライオンは大人しくなり、2人は友達になりました。
その後、アンドロクレスは捕まってしまい、ついに闘技場でライオンに食い殺される刑を受けてしまいます。しかし、闘技場で放たれたのはあの時助けたライオンでした。皇帝はアンドロクレスとライオンの友情を認め、処刑を中止して赦免しましたとさ、めでたしめでたし……という伝説です。
聖ヒエロニムスの伝説は、このアンドロクレスの伝説がイソップ物語に「ライオンと羊飼い」の寓話として取り込まれ、さらにそれが中世ヨーロッパで最も読まれた聖人伝「黄金伝説」で聖ヒエロニムスの話として取り込まれたことで生まれました。
つまり、ヒエロニムスが聖ヒエロニムスという人物を元にしているとするなら、入っていたらおかしい話なのです。
これはマエストロが、聖ヒエロニムスという人物ではなく、教徒たちが信じる聖ヒエロニムスという概念を重視しているからだと思います。歴史的に見て事実であるかどうかよりも、どう思われているかの方が重要なのです。
このことは前提1にも通じます。マエストロは複製によって、感情を元に新しい存在を作り出していました。感情とは人が対象に対して抱く思いのことですから、やはりどう思われているかを重視しているようです。
では、2つの前提を踏まえたとき、グレゴリオはどんな存在と思われるでしょうか。
仮説:グレゴリオは「グレゴリオ聖歌」のイメージが元になっている
私はグレゴリオが、「グレゴリオ聖歌」のイメージを元にした存在だろうと考えました。
グレゴリオ聖歌は最初の方でも出てきましたね。グレゴリウス1世が編纂したとされる聖歌です。カトリック教会でもっとも重要視される聖歌で、西方教会では八世紀ごろからずっと歌い続けられています。
……勘の良い方はもうお分かりかもしれません。
このグレゴリオ聖歌、実はグレゴリウス1世が編纂した物ではありません。
グレゴリオ聖歌は、フランク王国カロリング朝の王ピピン3世が、ローマ・カトリック教会との関係強化のため、ガリア式の典礼の聖歌からローマ式の典礼の聖歌に変えたことで、ガリア式とローマ式が混ざり合って生まれたものです。
グレゴリオ聖歌が完成したのは、ピピン3世の関係強化により、その子供であるカール大帝(シャルルマーニュ)がローマ皇帝の戴冠に成功し、かの神聖ローマ帝国が誕生したころです。なぜグレゴリオと名付けられたかは諸説ありますが、重要なのはグレゴリオ聖歌がグレゴリウス1世と関係なく生まれたことです。
元がグレゴリオ聖歌だと考えれば、グレゴリオがパイプオルガンと合体していることも納得がいきます。
というのも、パイプオルガンの歴史はグレゴリオ聖歌と同じピピン3世から始まるからです。
8世紀ごろ、東ローマ帝国のコンスタンティノス11世がピピン3世に贈ったパイプオルガンこそ、ヨーロッパに初めてやってきたパイプオルガンだったのです(正確には紀元前に水圧オルガンが入ってきていたのですが、こちらは衰退し途絶えていました)。
ピピン3世やカール大帝が版図を広げるにつれ、グレゴリオ聖歌とパイプオルガンは共にヨーロッパ中へ広がっていきました。
聖歌を記述するために文字譜がネウマ譜になり、何百年もかけて五線譜が生まれます。
パイプオルガンも数々の教会で使われるようになり、小型化されて庶民も楽しめるようになりました。
元々は典礼に楽器は使われていませんでしたが、神聖ローマ帝国にルネサンスが広まった頃には、典礼とパイプオルガンは切り離せないものになっていました。
現在でも、グレゴリオ聖歌はたくさんの信者たちに歌われ、同様にパイプオルガンもたくさんの教会で演奏されています。
ゆえに、グレゴリオ聖歌といえばパイプオルガンだと考えるのは当然なのです。
しかし、グレゴリオ聖歌がグレゴリウス1世と関係なく生まれたなら、やはりグレゴリオ≠グレゴリウス1世なのでしょうか?
その疑問には、前提1と前提2が答えます。そう、大事なのは感情と信じる思いです。
グレゴリオ聖歌は、実際がどうあれ昔からグレゴリウス1世が作ったものだと信じられてきました。現代でも信じている方は数多く、あるいはカール大帝の時代にある神父がグレゴリウス1世の天啓を受けて作られたと信じる人もいます。
マエストロが重視するのは、事実ではなくイメージです。グレゴリオ聖歌がグレゴリウス1世に作られた物だという強いイメージがあるなら、それは事実よりも重要なことでしょう。
よって、グレゴリオはグレゴリオ聖歌、そしてグレゴリオ聖歌を作ったグレゴリウス1世のイメージを元に製作された、と考えられます。
結論
グレゴリオは
「グレゴリオ聖歌を作ったグレゴリウス1世」
のイメージが元になっている。
名前がグレゴリウスではなくグレゴリオなのは
一番重要な「グレゴリオ聖歌」から名前が取られているから。
アルファベット表記がグレゴリウスなのは、
日本語以外ではグレゴリオという名前がグレゴリオ聖歌に使われていないため、
より一般的なラテン語の表記に合わせたから。
(ちなみに、ラテン語や俗ラテン語では、グレゴリオ聖歌のことをCantus Gregorianusというそうです)
あとがき
ご覧いただきありがとうございました。もしこの記事を読んで、ブルアカへの認識をより深いものにできたなら幸いです。
思い返すと、イメージや信じることという概念は、前の記事でも取り上げたものでした。なんだか繋がってきたような、そうでもないような気がしますね。
7月4日 11時過ぎ
古びてきた扇風機の風にあたりながら
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