井伏鱒二「黒い雨」の核心部分
このnoteにいままで、数回、井伏鱒二が記した「白骨の御文章」などについて触れてきたが、その根本にあるのは「戦争はいやだ…」から始まる核心部分だ。もちろん、この原爆小説は姪の「矢須子(安子)」さんの結婚話しと原爆病が中心にあるのだが、その核心部分は主人公の「閑間重松(重松静馬)氏が原爆投下直後に妻の「シゲ子(茂子)」さんや同居していた姪の「矢須子(安子)」さんの安否を気にして、古市の勤務先から千田町にあった自宅(貸家)に戻る途中で見た惨禍の模様を記した箇所だろう。それは201頁~206頁に次のように書かれている。
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(中略)~おお蛆虫よ、我が友よ….
もう一つ、こんなのを思いだした。
~天よ裂けよ。地は燃えよ。人は死ね死ね。何という感激だ。何という壮観だ….
いまいましい言葉である。(中略)「許せないぞ。何が壮観だ、何がわが友だ。(中略)
僕は、はっきり口に出して云った。荷物を川の中へ放りこんでやろうかと思った。戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和のほうがいい。僕は欄干のところに引き返し、荷物を川へ放りこまないでしっかり背負った。この荷包み中身は、正露丸を入れた瓶、移植鏝、古雑誌、ユーカリの葉、乾パン、渋団扇など焼跡に住む人にとって入用なものばかりである。紙屋町の近くまで行くと、マスクをした兵隊らしい男たちが三四個所に分かれて火を焚いていた。近づいて見ると、六尺四方ぐらいな穴ぼこに、鉄道の古枕木を入れて燃やしながら、運んで来た死体を投げ込んで焼いている。枕木の燃えるぱちぱちという音は、炎天のもと焚火に一層の凄みを出している。死体の胴あたりから出る炎は藍白色で細目だが、周囲の赤い強力な焔に巻き込まれて高く立ち上っていた。兵隊たちは次から次へと戸板やトタン板で死体を運んで来て、顔を背けてぽんと穴の中に放り込む。それからまた黙々としてどこかへ去って行く。兵隊はトタン板の四つの角をぐるぐるに折り曲げて持っている。上官からの命令で動いているのだろうが、どんな感慨を催しているものか、その表情では分からない。重圧感のある兵隊靴だけが感情を表に出しているようだ。穴ぼこに死体が多すぎて焔が下火になると、穴のほとりへどしりと死人を転がして行く。その弾みに、死体の口から蛆のかたまりが、腐乱汁と共に、どろりと流れ出るものがある。穴のそばに近づけすげた死体からは、焔の熱気に堪えきれぬ蛆が全身からうようよ這い出して来る。中には転がした弾みに、関節部に異変が起きたものがある。たとえば童話のピノキオが、関節部の止釘を抜き取られたことのような始末になってしまう。ピノキオは板と止釘とで組み立てられた玩具だが、それでもなお脛を何かに打ち付けると、自分が木であるからして痛さを感じるそうだ。況や死体は生前には人間である。「この屍、どうにも手に負えなんだのう」トタン板を舁いて来た先棒の兵が云うと、「わしらは、国家のない国に生まれたかったのう」と相棒が云った。
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ここまでの文章で気になる箇所があります。もちろん「戦争はいやだ…」から始まる箇所は私の郷里に文学碑として石碑が造らていますが,,,
「天よ裂けよ。地は燃えよ。人は死ね死ね。何という感激だ。何という壮観だ….」という文言はゲーテの『ファウスト』「夜」から引用されているが、確かこれは森鴎外が訳した文体だが、井伏鱒二と森鷗外との関係が無いわけではない。井伏鱒二が中学生のころに、「朽木三助」の名を使い「森鴎外」に手紙を送っていて、それを読んだ鴎外が大変に驚いて事だ。
私はここで何が言いたいかと言えば井伏鱒二はまるっきりの嘘つきではないということだ。前の記事にも書いているが、井伏鱒二の「黒い雨」は重松静馬氏の「重松日記」にあり、核心部分も文章は異なるが同様な事が記してある。その日記部分は「玉音放送」と言われた天皇の敗戦放送の前日の8月14日に書かれた日記であり、「戦争はいやなものだ….」とはっきり書かれてある。当時は、まだ、この言葉は御法度だろう。