朝鮮人虐殺と永井柳太郎

 1923年の関東大震災に伴い、特に関東地方では多くの朝鮮の人たちが、その地区の自警団によって竹槍や日本刀、木刀、鳶口、銃などで虐殺されました。その事がその年の12月になって、帝国議会衆議院で内容は以下の「第47回帝国議会 衆議院 本会議 第5号 大正12年12月15日017」永井柳太郎議員の質疑で今でも読むことが可能です。

 この質疑を昨日、著述家の菅野完氏が説明をされてYouTubeで読み上げられました。(ちなみに私には難解)(汗)ちなみに船橋無線送信所の話しも出てきます。
【関東大震災】永井柳太郎の演説を読む【朝鮮人虐殺事件】

 さて、菅野氏が言われるには永井柳太郎は『国家主義者の極右なんだが、関東大震災直後の朝鮮人虐殺は「行政の流したデマが原因」と指摘しとるのよ。』と、さらに、『なお、永井柳太郎は「朝鮮人虐殺は政府が流したデマが原因だから政府は反省しろ」とは言っていない。 永井は「自警団の連中は、政府の流したデマを信じて朝鮮人を殺したんだから、自警団の連中を今になって処罰するのはやめてやれ。可哀想じゃないか」と、山本権兵衛内閣に迫っとる。』と…
 つまり、自警団が朝鮮の人たちを虐殺した事については、許してやれと言っているのです。
 現在、朝鮮人虐殺については昨年、社民党の福島みずほ党首が、同じ永井柳太郎が使用した船橋無線所からのデマ電文を取り上げ追及されていますが、政府は知らぬ存ぜぬと、アホの答弁を繰り返しています。


 何回も船橋がでできますが、千葉県内において最大の虐殺があったのは、船橋市です。それは、船橋は兵站の町で、習志野騎兵隊や海軍の無線所もあって、当時の町民も意気揚々にして、当時、無線所長だった大森良三大尉が町民からなる、自警団に武器を渡すと、無線所の近くにあつた東武野田線を敷設されていた塚田の近くにあった朝鮮の人たちが住む労務宿舎から連れ出し、主に、天沼弁天池付近で虐殺に及んでいるのです。
(尚、下の人数は定かではありませんが、おおよその人数が、船橋で虐殺されたとされています。尚、法典塚田村というのは現在の船橋市です。)
 私はこの人数より多いのではないかとも思っています。尚、女性、子どもたちも混ざっていたとも言われ、現在の天沼弁天池公園が池だった頃ですから、虐殺し、池に放り込んだとも言われています。

 尚、安田浩一さんが出ておられる次の動画も参考になるで視聴されてみて下さい。私もコメントも書かせていただきました。


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