井伏鱒二の「黒い雨」への批判に応える③

前記事②の続きになります。

 さて、本日は井伏鱒二氏の「黒い雨」が記録文学か原爆文学かと問われると最近、私は反戦・反核を強く訴える優れた原爆文学であり、また文芸評論家でもある、黒古一夫氏が言うように井伏鱒二氏の「黒い雨」は一度読了したくらいでは、原爆の惨禍の強い訴求力に慣れることができないのです。
 また、「黒い雨」の反戦思想は前記事にも書きましたが原爆記録文学としての重松日記を資料(史料)の一部として利用している点でしょう。いわゆる「重松日記」は第一級の原爆史料としても間違いは無く、また、核=原爆に対する思想【反核思想】も被爆を体験した者でなければ読み手を納得させないだろうと私は思うのです。また、井伏鱒二氏の「黒い雨」は痛烈な戦争呪詛とも考えられるでしょう。そして、被爆者差別に対する憤怒は作品の核心を撃っていると考えられるでしょう。それら故に「黒い雨」に対する批判として科学的とか物理的とかには相容れないのです。たとえば、日本平和学会が下記の件で批判を根強く記載していますが、原爆文学として成立している以上、強く私は反論するものです。

 尚、井伏鱒二氏の「黒い雨」を読むにあたっては、前作なども熟読するべきでしょう。私がお奨めできるのは「カキツバタ」なども、いかがでしょうか。


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