井伏鱒二「黒い雨」の中の『闇屋のおばさん』についての書評①
何度も書いているが、井伏鱒二の「黒い雨」の舞台となっているのは原爆被爆地の広島と、広島県東部の神石郡小畠村やその周辺の山村の人々で、それに拘る閑間重松(重松静馬)と妻のしげ子、姪の矢須子(安子)の家族の原爆体験記録が主に創作として書かれている。
その中で今日は(第10章・176p~)『故充田タカ』の被爆死後の火葬の時で重松が「白骨の御文章」を唱えるという事を考えてみたいと思う。
まず、私が井伏鱒二の「黒い雨」を度々、取り上げるのは私の故郷が小畠近隣の山村でもあり、重松静馬氏の娘さんの夫でもある小畠在住の重松文宏氏との電話での交流や原爆記念誌の初版を贈っていただいたという経緯もあるからだ。
さて、問題の箇所であるが、静馬が被爆者の火葬の時に僧侶の代わりに浄土真宗の「白骨の御文章」を唱えるのだが、その帰路に「御文章の教えは心に沁みなくて….自分が汗をびっしょりかいているのに気がついた。」と書かれている。
その「白骨の御文章」とは、どのような経なのかも知見が必要なのではないだろうか。まず、下にその文章を記してみる事にする。
さて、読者のみなさまは、この「白骨の御文章」を理解されされたでしょうか。ちなみに、この「白骨の御文章」というのは遺体(仏)の方へ向かないで生きている参列者のほうへ向いてから諷誦するのです。
ちなみにこの時の主な参列者は静馬氏の工場のまかないの在木カネであるが、カネは闇屋としてのタカと懇意にしていて、タカの野辺送りの際には礼を言っていた。
(つづく