原発労働者は核防護など意識して作業はしない。
下の画像は原発労働者が管理区域内(原子炉)で作業に従事しているところを写された写真家でもある樋口健二さんが現場で撮られた世界的にも知られた写真の画像だが、彼らが果たして作業中あるいは恒常的的に「核防護」など国や原子力機関が定めた法的問題を意識して作業しているだろうか。
そして、昨今、事件で表面化した東海村のJCO臨界事故後の写真も撮られたのも樋口さんだ。
これらに写されている彼らが核防護など意識していたなどとは到底思えないし、彼らは被害者である事を認識すべきではないか。又、昨今、福島第一原発で三次下請けなどの作業員が汚染水を浴びた事件があったが、東京電力や原子力規制委員会などはアノラック着用を怠っていた事などを理由に作業員を責め立てているように思えるが、彼らが政府や原子力機関、あるいは東京電力、規制委員会が定めたルールや法律を考えて日常の作業に従事しているだろうか。それはあり得ない話しである。彼らの日常での思いは家族や恋人の安否などだろう。
そして原発での下請け作業は入所の際に講習と〇Xの試験が行われるが、その目的は本当の意味での放射線教育ではない事を私は肌をもって知っている。2007年の中越沖地震後から東京電力の柏崎刈羽原発の構内で東京電力が発注した作業をド下請の作業員の一人として作業し、作業が終わった時点でIDも没収され電車で帰らされた。
そして、派遣されていた労務会社に帰ったあとの数日後の健康診断で、それまで無かった、心臓病が見つかり解雇となり、そして数年後の2006年の6月に手術するはめになった。手術の内容は、喉元から横隔膜まで胸骨を含め切断され、胸開器で肋骨を開き大動脈弁の置換とそれに付随する人工血管の置換である。そして、肺にも異常が見つかり、難病指定されている、サルコイドーシスが疑われ肺の細胞の一部を厚労省に送られた。
さらに、その翌年には脳出血まで発症し、左上下下肢麻痺という診断が下り、この歳になって大量の薬を服用し、いまだにリハビリの身で日常生活に困難を極めている。
知っておくと良いと思うが原発労働などこんなものだ!! ちなみに、上記の写真家の樋口さんとは知り合いで、何度かお話しさせていただいている。
私も原発で働いていたときには今は亡き妻や子どもの事なども考えこのような歌を口ずさみ考えていた。原発の無いフィリピンの歌である。
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