私の郷里の話しと船橋の話し
私は現在、千葉県船橋市在住ですが、1951年生まれで72歳になりました。さて、私の生まれ故郷ですが、プロフィールにも書いていますが、原爆小説を書いた井伏鱒二の「黒い雨」の舞台ともなった、広島県東部の神石郡神石高原町小畠の隣の高蓋という山村で生まれ育ちました。
小中学校は木造建屋で夏は標高差で涼しいですが、冬は一変し、厳ししい気温で雪も積もり竹スキーで遊べるくらい積もっていました。
そして、通学していた高蓋小学校は2011年で長い歴史を閉じ閉校となりました。フィナルアクセスに写っているのはコンクリート造りの小学校ですが、ここには中学校があり、プールがあるところに小学校の校舎がありました。両方ともに木造校舎で冬になれば石炭ストーブで暖を取っていました。
現在では人口減少で小中学校ともに小畠にある神石高原町三和小学校、中学校と併合となってスクールバス通学となっているようです。
さて、原爆が広島に投下された時に私の郷里でも多くの入市被爆者や、その人たちを救援に向かわれた人たちも被ばくされて、500名近くの方が亡くなれています。
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そして、上記の井伏鱒二が書いた「黒い雨」にも出てくる福山から高蓋そして小畠に向かう交通手段は当時は福塩線で上下まで行き、上下から油木までのバスがあったのですが、今は福山から東城行きのバスとなっています。
尚、下のバス路線で何度か踏切を渡りますが、すべて福塩線の踏切です。最後の踏切を渡って右折し、さらに左折してからしばらく進むと狭い山間部の道路に入り、さらに行くと高蓋に到着し、しばらく休憩してから東城へと向かいます。そして、高蓋から小畠へは今はバスがあるかどうかはわかりません。おそらく、高齢者の方もおられるので、それなりの交通手段は設けているはずです。
そして、郷里の記念碑と船橋市の記念碑に拘る現在の私。
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さて、読者のみなさまは、どちらの「碑文」を評価されますか。コメントをお待ちしています。