小説舞台の神石高原町で「黒い雨」上映会


 井伏鱒二の原爆作品「黒い雨」の上映会が私の郷里でもある広島県神石高原町で8月19日に開催され、町内では、井伏の没後30年に合わせて、地元ゆかりの作品を紹介するパネル展も開かれている。上映を前に、町が昨年度募集した「黒い雨」の読書感想文で最優秀に選ばれた津山高専1年、高石快晴さん(15)が『「原爆は戦争が終わってからも、多くの人を苦しめている」などと感想文を読み上げ、歴史を語り継ぐ大切さを訴えた。』と、朝日新聞広島総局が伝えた。上映会を企画したのは、同町小畠地区にある「歴史と文学の館 志麻利(しまり)」である。

  井伏鱒二の「黒い雨」は確かに創作である事の箇所は拭えないが、場所や人名、行動などについては、ほぼ間違ってはいないし、「黒い雨」にも主人公の人たちは接していた。その証言は「閑間重松」(重松静馬)氏の妻でもあった「重松しげ子」さんが神石郡原爆被害者協議会が発刊された記念誌において被爆体験記で書かれている。もちろん矢須子(安子)さんも黒い雨に接している。安子さんは1945年8月6日においては広島市宇品にある日本通運で会計係の見習いとして働いていて、原爆投下時においては叔父でもある静馬氏や叔母のしげ子さんの安否を気遣い自宅があった千田町方面に歩いていたが、猛火に包まれている状況から会社に引き返した処へ重松夫妻が迎えに来て、3人で爆心地を抜けて静馬氏の職場があった古市へ避難したのが事実であろう。その全行程のあいだで「黒い雨」に接している。
 ちなみに以前にも書いたが、安子さんの出身校は深安実業学校で、今の広島県立神辺高校で私の母校でもあった。
 尚、安子さんは帰郷後に山野村に嫁ぎ2児をもうけられたが、35歳にして、原爆による心臓病で亡くなられている。

 そして、映画は今村昌平監督による作品だが、井伏鱒二の主張するポイントはついている。但し、撮影場所のメインは小畠村に似ている岡山県の山村が使われている。下の動画でほぼ全編が視聴できますが、年齢制限が設けられていますので、YouTubeで直接ご覧下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?