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三年かけて大学辞めたのに、なぜかまだ大学にいる男の話。

僕は一度大学を退学している。今は別の大学で大学生をしている。こんな背景を持っているといろんな人に聞かれる。

「なんで前の大学を辞めて、今の大学に来たの?」

「前の大学では何をしていたの?」

そんな時僕は口ごもって、しばらくなにをどう言おうか逡巡して、

いつも通り

「まあ、いろいろあったんだよ。」

と言う。

相手は物足りなさそうな顔をしたり、聞いてはいけない質問だったのかと反省してしまったりする。

別に話したくないわけじゃない。ただあまりにもとりとめがなくて、どこから話せばいいかわからないから、話せないだけだ。

とにかくどこに進めばいいかなんてわからなかった自分は壁にぶつかり続けて、気づいたら今の形になっていた。一貫性はないけれど、どれが欠けても今の自分はなかったと思う。ちなみに今もぶつかり続けている。勢いは弱まった気がするけれど。

今まで誰にも自分の大学生活の話をまとめてしたことはない。ここで初めて記そうと思う。

✜✜✜

今回は自分の整理のためにも時系列で事実の確認を済ませようと思う。正直人が読んで面白いのかどうかは分からない上、そもそも自分語りなどは面白くないと思っているので気ままに書きます。大学を辞めた過ぎてじたばたしてる地方国立大学生の実態が知りたい奇特な方は見ていってください。もし深く聞きたいポイントなどあれば言ってください。次の記事でピンポイントでつっこんで書きたいと思います。

思い返せば中々おもしろい出来事も多かったけれど、noteのコンプライアンスや社会的にアウトな感じも否めないのでそれらは割愛します。

強いてこの大学生活に通して言えることがあるとすれば、それは「常にここではないどこか」を探していたということです。どこにもここが自分の場所だと言えるような、自分自身を肯定できるような居場所はなかった。本音を言えば、そうしないようにしていたのだと思う。

僕の大学三年間は苦悩と迷走で混沌と彩られていた。



一年生


・地元の国立大学に強制収容される。地獄の始まり。

・すぐに辞める予定だったのに、入学後一週間で学園祭の実行委員長になる。人生三回分くらいの青春をする。

・M先生に出会う。M先生には、研究室で愚痴を聞いてもらったりダラダラしたり、ご飯やメイド喫茶(授業)に連れて行ってもらったりお世話になる。

・ライオンズクラブみたいなものに所属し地域の社長と飲み歩き、自治体の補助金で「働くとはなにか」などを考え、労働に懐疑的な視線を投げかけるイベントを開催する反社会的な集団に所属する。


・ずっと好きだった女の子に告白する。なにかが違うと直感し、翌日に別の女の子に告白し、付き合うことになる。中途半端なことをして申し訳ないと思っています。そろそろ五年が経ちますが、まだ仲良く付き合っているのであの選択は正解だったのでしょうか。

・海外の大学に逃亡しようとするが金と熱意がなく失敗。

・新興宗教のアジトに約一年間の潜伏。同時期に入った人たちは数か月後には数万円のお経を喜んで買うくらいには布教が上手な人だった。僕は教祖様のビデオをずっと見ていた(見せられていた)が適性がなかったようだ。


H先生が受け持つ、地域での実践的なゼミ形式の授業に参加する。地域との関わりがより増え、大学外で多くのおもしろい人に出会い、刺激を受ける。


・大雪の日の雪合戦を境に留学生たちとその界隈の人たちと仲良くなり始める。

・一瞬彼女に振られて泣く。

・オンライン大学に逃げようとするが、またもや金と熱意がなく失敗。

・唐突に網膜剥離して、入院する。

・消費社会学、確率ゼミ、アフリカ文化論、熱帯雨林概論 etc.今でも覚えているいい授業はたくさんあったなあ。

二年生


・専門の経済学が始まる。絶望的に合わない。地獄シーズン2開幕決定。

・大学を辞めることを心に強く決める。

・ほとんど大学の授業には出なくなる。夜から始まるM先生の大学院の授業に出る。

・アルバイトがてらオランダ人留学生のチューターをする。英語が話せると便利らしいと気づく。

・よくわからない怪しいおじさんのもとで、片道3時間かけてプログラミングのアルバイトをする。一か月後、給料は未払いのまま解雇される。

・大学をやめようと親の説得を試みるが戦争が勃発。調停にて休学が決定。


・M先生の授業でタイに行く。初めての海外。

・ベトナムの工場に送り出され労働。

・ヒッチハイクではじめて旅をする。地理弱者のため、長野に行くつもりが間違えて京都にたどり着き、そこで偶然友人と鉢合わせる。アフリカのおしゃれ民族のファッションショーを見る。帰りは小学生のサッカー遠征バスで無事帰宅。

・高級温泉旅館で企画・立案の経験をする。

・内通者を得て、受験時第一志望だった大学に数日潜って、授業を受ける。まったく魅力を感じず、吹っ切れる。同時に大学に通う意義に対しても疑問を持ち始める。

・東京に滞留し、同世代の真剣に意識の高い人たちの世界に接する。


・休学期間開始。

・引っ越して友達とルームシェアとAirbnbを始める。Airbnbのお客さんは面白い人が多く、いろいろ勉強させてもらった。

・社長に声を掛けてもらいコワーキングスペースでアルバイトを始める。ラッパーから社会起業家まで多様な人々に出会う。今ではここでの人との出会いは自分に少なくない影響を与えているように思う。

・お誘いを受けて、使われなくなった電車の中で本屋さんをする。とてもいいコンセプトの企画だなと思う。


・ある日コワーキングスペースに隣のスナックのおばちゃんが乗り込み、翌日には次期経営者になる。酒場で働くのに、ほろ酔い一缶が致死量の体質が致命的。

・一日17時間労働が始まる。人は疲れすぎると眠れず、唐突に嘔吐することを知る。

・スナックのおばちゃんが22-5時の7時間の労働に対して最低賃金を大きく下回る1480円しか支払わないことに異議申し立て、めでたく労働基準監督署デビュー。

・暇してふらついていたところ、霞ヶ関のおじさんや大手企業の方に企画への参画のお話を頂く。

・なんやかんやで大企業二社の人事の方からオファーをもらう。

・ベトナムのマッサージ屋さんで二週間ワーカーホリックを経験する。

・友人のすすめにより学術的な本を読み始め、衝撃を受ける。

・今自分がしたいことは労働やビジネスではないと感じる。やはり知的な世界をもっと探求したいと思い、復学を決意。親を一瞬安心させる。

・休学終了。この半年でなんだか老けた。


三年生


・引退したつもりだった学園祭のとある委員が数百万単位の金を横領し、その問題解決のために召喚される。かつての同僚の実質上の処罰の決定をするという経験をする。とても悩んだ。

・大学に復帰したものの、やはり経済学には欠片も興味を感じられず、大きなジレンマに悩まされる。教授に学部生が学ぶ学問の意義などを問いかけたりするが、自分の考えるものとかけ離れすぎていてさらに悩む。

・スナックを継ぐために、お酒の勉強をしようと本格的なバーで働き始める。あまりに不向きなこと、厳格なプロ意識を持ったお店で厳しい指導だったためか、鬱状態になる。いい経験をさせてもらいました。

・横領問題の対処や大学での身の置き方の問題と重なり、精神的なストレスが限界値に達していたため、大学のカウンセラーを利用しようとするが、あまりの対処の遅さにさらに鬱になる。地獄クライマックスシリーズ開幕。


・とにかくどこか自由に知の探究ができる場所はないかと探している中で、現在所属する大学のオープンキャンパスに参加する。副学長と話す中での「この大学の卒業生には『自分はなんて馬鹿なんだ』と思えるようになって欲しい」の言葉が決め手になり入学を決意。

・残りの在学期間は通っても仕方がないので退学しようとする。親とまたもや戦争。休学で妥協。

・休学届を出したその足で、家の前から北海道までヒッチハイクし、無賃でじゃがいもを二週間掘り続ける農奴になる。
この時休学届を出す際に面談してくれた先生が経済学部で唯一真摯な受け答えをしてくれた。今でも感謝している。

・北海道からディズニーランドを挟んでそのままヨーロッパに飛び一か月ほど滞在。昔留学に来ていた友達に会う。


・ヨーロッパから帰国直後、学費を稼ぐためにダブルワーク45連勤する。

・46連勤目に職場で足が折れる。


・足が折れてすることもなくなり、受験生であったことを思い出し、勉強を始める。

・と思いきや、仮想通貨にハマりチャートを眺める日々。ぼろ儲けする。

・名古屋で旅行中に唐突にルームシェアをしている友人に家を解約される。

・受験の数日前にインフルにかかる。

・インフルの熱が骨折痕に響く中、受験勉強をする。

・合格する。無事退学。

・合格祝いにインドとスリランカに行く。嘔吐の地獄。そのまま九州に直行しラーメンと温泉で治療。帰りのヒッチハイクの途中であやうくTシャツのプリント屋さんに就職しかける。


大学一年生~(二回目)

・重度の五月病。結局地獄。

・お遊び留学で、真剣に恋をする。彼女とは別の女性に恋心を抱いてしまったことに猛烈に悩む。石田純一に敬意を抱き、一夫多妻制の導入のためにイスラム教徒への改宗が頭をよぎる。

・0からラーメンを作り始める。

・まあ、いろいろあった。

2回目の大学生活も三年くらいたったら書き直そうかなと思う。


✜✜✜


長くなってしまったが、公表できる中での大学三年間の事実の羅列である。改めてとりとめがないと思うし、何が相手に伝わるのかわからないし、これが面白いのかもわからない。とりあえず、今後は最初に書いたような質問をされたらこの記事のURLを送り付けることにする。



あとがき


月並みな言葉ではあるが、人との出会いが自分を作ってくれていたとしみじみ思う。今思い返される自分にとっての大事な瞬間というのは、残念ながら先ほど記したような分かりやすい出来事ではなく、本当に人から見ればどうでもいいような小さな出会いだったりする。これを伝えることを出来ないのは悔やまれるが、自分自身の存在や行動の中で示すことができれば幸いに思う。

かすかに見える連続性と頻繁に起こる断続性の中で形成されてきた自分。支離滅裂に見えてすべては繋がっていて、それは今の0からなにかを作る活動の基盤をなしている。だが来年何をしているかはわからない。それはこれからも変わらないだろう。

根があるからこそ人は翼を持って羽ばたける。僕がここまで自由にやってこれたのもやはりどこかに根を持っていられたからだろう。自分が自分を認められない中で、そんな自分を認めてくれた周りの人たちがいたことに感謝したい。
親もなかなか心が休まらないと思う。今まで、安心しきったイワシだけの水槽より、捕食者を入れて緊張感のある環境のイワシの方が長生きできる理論で説得してきたが、さすがにそろそろ安心させてあげたいと思う。

またここまで大学を退学したかった人間も珍しいのかもしれない。それはやはり大学以前に繋がっているのだと思う。
高校生活はまた地獄の期間で強烈だった。無意識に死のうとするくらいには辛かった。でも限界まで頑張ってたと思う。ほめてやりたい。ここまで自己愛を含むような文章を書くのも、下で最後に書く「孤独」に対する一つの答えだと思うからだ。

そもそもなぜ今こんな記事を書こうとしたかということだが、最近友人と孤独ということに関して話したことが要因の一つに挙げられると思う。それまで意識することはなかったが、思い返してみれば常に孤独はあった。この孤独という感情は寂しいという類のものではなく、分かり合えない(分かち合えない)ことに起因するものだと思う。今は特に自分が求めるものを追及していく中で、どんどん人と分かり合えなく(分かちあえなく)なっていく感覚がある。元来自分が持ち続けてきたこの孤独感というものを、過去を振り返る中で改めて見直してみようという試みだった。また少し前から内へ、内へ、潜っていくことで外に開ける、それは多くの人と分かち合えるものだという直感があり、それに従うものでもある。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

自分のために書いたような文章ですが、すこしでもお楽しみいただけたのであれば幸いです。

では。





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