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リーダーが悩みをさらけ出すような組織は終わっていると思うが、自分はあえてそうしようと思う。

このシリーズでは学生団体なんて糞喰らえと思っていた若者が、大学入学後、期せずして学生団体を作り上げ、その長となってしまった際の珍道中を現在進行形で書き綴っていこうと思います。なので今後の予定は未定です。悩みと出来事の数だけ記事が上がります。どうぞお楽しみに。

なんの団体なんですか。ラーメン部ではありません。

昨年はラーメンを作るために、小麦を育て、ニワトリを卵から孵し、麺切り包丁を鉄から打ちました。一杯ラーメン作るのに一年ちょっと掛かりました。
といってもラーメンを作る団体ではありません。

何をしてるのかというと0から何かを作る団体です。
今はTシャツを作るためコットンを栽培し、カルボナーラのベーコンを作るために猪を狩猟し終わったところです。

自分で始めたことですが、正気の沙汰とは思えません。
しかし企画は着実に実を結び、始めて一年経つ頃にはなぜか東京ビッグサイトの展示場にいました。



どんな方が見てくれるのか想像は尽きませんが、ひとまず自分が運営している組織のメンバーに向けて書こうかと思います。

ただ人の不幸は蜜の味といいますし、人の振り見て我が振り直せともいいます。なので直接関わりのない方も、僕の四苦八苦を見て楽しんでもらうなり、一緒に考えて成長しちゃうのもありです。なんにせよ誰でも楽しんでもらえるように書いていくつもりですので、よろしくお願いいたします。


まず大学生という輩について大学生が語る。

唐突ですが、学生団体にどういうイメージを持っていますか?僕は正直あまりいいイメージはないです。そもそも学生という生き物に対してあまり好感を持てません。

なぜかというと、口と志と頭だけは大きいくせに、実力も行動も責任感もないからです。特に大学生などというのは、授業料を支払ってもらい、仕送りをもらっている身分で、アルバイトをした程度で自立したと勘違いし、大学で片手間に学んだ知識で、社会が!正義が!世界が!などと恥ずかしげもなく喧伝するさながら裸族兼暴走族のような存在です。その上、世間では「学生さん」などと甘やかされて、つけあがっていて手の付けようがありません。

そんな人間たちが集まった学生団体などというものは、トイレットペーパーの芯ほどの存在価値もない、ただのわがままエゴ集団で、あまりの青臭さに鼻をつまみたくなるような肥溜めのようなものだとすら思います。

そして僕はその肥溜めのてっぺんで胡坐をかいている、いわばう〇ちの親分のようなものです。


学生団体なんて大したことがない。だがしかし、学割はいらない。

「学生団体なんて所詮お遊び」そういう方もいるでしょう。僕もそう思います。もちろんそう思ってない方もいるでしょう。しかし、そういう方に賞賛をいただくことがあっても、「”学生の割には”すごいね」と言われてしまうのも事実なのです。もうすでに評価が学割されてしまっているわけです。一人前と認められていないからこそ、映画や運賃も学割になっている面もあると思いますが。

もちろんフルタイムで働き、お金をもらった真剣な場で勝負を続けて経験を積んできた人達と対等に評価されようなどというのは、おこがましいのかもしれません。しかし体は同じくらいできあがり、むしろコンディションは人生で最高、そして有り余る時間があり、学生という身分の特権と背負うものの少なさでいくらでもチャレンジが許されるアドバンテージを持ちながら、学割されるのは腹立たしい。これは自分自身に腹が立っているのです。”学生だからこそ”もっとできるだろう、と。ハンデもあるがそれに負けないアドバンテージもあるのだから、対等な場で評価される前提でやっていきたいのです。


学生団体だからってなめてはいけない。

しかし、実力と反比例するように運営することが難しいのが学生団体です。
言われたことは当然のようにやってこない、成果物のパッとしないクオリティ、雇用関係でも上下関係でもない相手を、資本も経験もない状態で引っ張って結果を出すのは容易なことではありません。もちろん学生の自分も、ここにもれなく含まれています。引っ張る側も未熟なのだから、絶望的です。

しかし人間というものは、理想と現実の間で苦悩して、間違えて、逃げて、それでも時には歯を食いしばって、少しずつまともになっていくと思うのでこれはこれで仕方がないことです。

今自分にできることは、とにかくジタバタして、くだらないプライドを捨て、動くことだけです。空振りするかもしれなくたって、そこから起きた風でなにかが起きるかもしれないと思って、バットを振り続けるしかないんです。

この記事も空振り前提の一振りです。なにも起きなくとも、少なくとも筋力はつくかもしれないと思って振ってみます。


組織は信じることで成り立っている。

本来リーダーが悩みをメンバーに打ち明けたりするのは良くないと思っています。愚痴なんかであればなおさらです。それは自分自身がリーダーというものは、不確実性の中で決断し、自信を持って指針を示し、道を切り開いていくのが責務だと考えているからです。それをメンバーが信じて進んでいきます。そして結果の責任を負うのです。
ここでもし、リーダーに自信がないことが伝わってしまえば、信じるということが難しくなってしまいます。これは組織として致命傷です。そもそも人の集合体である組織においての活動というのは、不確実性や無数の選択肢の中で、代表であるリーダーの指針を信じてメンバーが行動するという構造なのだから、信じられなくなれば組織は崩壊してしまいます。

ではなぜうまくいかないことを共有しようと思うのか。それはリーダーも人間で(しかも悲しいかな大学生で)、悩んでいて、いつだってその中で意思決定していることを知ってもらうことは、本当の信頼に繋がるのではないかと思ったからです。
様々な苦悩や葛藤の中「答えは分からない」「それでも、これを答えにするしかない」と考え抜いて決断に至る過程を共有することで、「その答えは不確実なものかもしれないけれど、確かにそう信じてやるしかない」と同じ気持ちになってもらえるのではないかと思うのです。

先ほどはメンバーが一方的にリーダーを信じるという構造でしたが、実際はリーダーもメンバーを信じなければ決定はできません。どちらか一方では成り立たないのです。そして信頼とは相手が信じてくれるから、自分も信じられるものです。卵が先か鶏が先か。待っていてもなにも起きません。

自分にできることは、相手を信じること。そして相手に安心して信じてもらうこと。それによってさらに相手に強い信頼を持つこと。この流れを作り、絶やさず、強くすることです。

このシリーズで書いていくこと。

そのために自分のリーダーとしての悩みを共有したいと思いました。これはもちろん愚痴とは違います。また意見も参考にさせてもらうと思いますが、最終的に決定するのは自分であり、責任を負うのも自分です。ここに書くのは、考えても考えてもどうしたってわからない。情けないけど自分の手持ちでは手の打ちようがない。それでも決断しないといけないとなったときです。ただ現状を嘆くのではなく、思考し尽くして、少なくとも暫定的にでも自分の答えは携えてこようと思います。そして思考のプロセスを開示するので、意見や考えをお聞かせ願えればと思います。後日、最終決定と結果をお知らせするので、楽しみにしてください。

以上がこのシリーズの主な目的ですが、他にも書いて人に説明を試みることで思考が整理されたり、同じような境遇の方のヒントになったりする面もあるかと思いnoteでの一般公開という形にしました。

というわけで次回から早速私の悩み第一号、「組織としての統一性を持ちつつ、メンバーそれぞれが意思を持ち行動してほしい」をさらけ出していこうと思います。

組織としての仕事や統一性を受け入れる受容性を持ちつつ、各々の色を出す自主性が必要という一見矛盾と思われるところが見どころになっています。

巷では「言われたこともできねーのか」と怒られつつ、「言われたことだけやってちゃダメなんだよ」と助言をされ、自発的に行動したら「言われてもないことを勝手にやるんじゃない」と叱咤され、戸惑う子羊がいるかと思います。そんな彼らの一助にもなればよいと思います。

お楽しみに。



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