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新年。アートディレクター独立23年目の書き初め。
2025年、始まりました。
初めまして、アートディレクター&グラフィックデザイナーの冨貫功一(トミヌキコウイチ)と申します。主に音楽関連(CD・DVD・BDジャケット等)及びそれにまつわるあらゆるグラフィックのデザインをしております。近年は音楽関連以外にもジャンル問わずお仕事させていただいております。
以前からnoteには登録していたものの、どう活用してよいか考えあぐね、そのまま放置して時が経っておりました。今年は何か新しいことを始めてみようとふと思い立ち、そういやnoteがあったな、、、と。
こちらでは私の本業であるグラフィックデザインでの仕事について、思ったこと感じたことを徒然に、時には趣味の話なども交えながら自由気ままに書き綴ってみようと思います。どうぞよろしくお願い致します。
自己紹介
まずは簡単な経歴を、、、と思ったのですが、これがなかなかどうして長くなりそうです。50年以上生きてますからね、そりゃ長くなります笑。
なので、いずれまた当時のエピソードは小分けに書いていけたらなと思いますが、
90年代〜00年代当時の音楽業界・デザイン業界の様子をちらっとでも感じられたら幸いです。
大学卒業〜就職先は一大ブームを巻き起こした音楽制作会社へ
1969年アメリカ・サンフランシスコ生まれ(ですが、帰国子女ではない)。
東京造形大学を卒業し、グラフィックデザイナーとしてビーインググループのデザイン部門である、株式会社Be Planningに入社。
時は90年代前半、WANDS、ZARD、T-BOLAN、大黒摩季、そしてB'z、etc…数々のビーイングに所属するアーティスト(ビーイング系と呼ばれていた)が音楽業界を席巻していました。そんな「ビーイングブーム」と言われるほどの一大旋風を巻き起こしている会社に奇跡の入社です。
元々音楽関連、言ってみればCDジャケットのデザインをしたくてグラフィックデザイナーを目指していたのもあり、Be Planningへの入社は自分の夢への第一歩でした。
入社してからのエピソードはそれだけで一冊分の本になるくらい(「新卒駆け出しデザイナーがいかにして有名アーティストのCDジャケットを手がけるようになれたか」みたいなタイトルで笑)なので、ここでまたいつか書きたいと思いますが、とにかくこの会社ではあらゆること、CDジャケットをデザインする上でのイロハを学ばせてもらいました。もちろん大ブームの真っ只中の会社に所属しているわけで、御多分に洩れず激務この上なかったです笑。ですが、若さと夢と希望、当時はこの3点セットで乗り切れたんですよね笑。
転職先はソニー・ミュージック
あまりにも濃密なビーインググループでの勤務を丸2年。そしてそこで知り合ったソニー・ミュージックの営業の方から「うちでデザイナーの欠員が出たからトミー受けてみない?」とのお誘い。これはステップアップだ!と、その頃にはひとりでアーティストの撮影からデザインまで全て任されるようになっていた自分は自信を身体中からプンプンさせながら転職。なんとか面接に合格しソニー・ミュージックコミュニケーションズ(以下SMC。現・ソニー・ミュージックソリューションズ)へ勤めることとなります。
ですが、その自信も入社してすぐにへし折られます。当たり前ですが、ソニー・ミュージックのハウスデザイナーたちの層の厚さ、レベルの高さ、キャリア含め、たかだか2年くらいの若造がしたり顔で肩を並べられるような環境ではなかったのです。自信は全て打ち砕かれ、すると今度は恐れと不安から萎縮してデザインもイマイチになるという悪循環に。
先輩デザイナーのアシスタントをしつつ、この頃社内ではMacによるフルDTPに移行時期で、様々なデジタルの勉強も並行しながらとにかく苦しく必死な時でした。ちなみにBe Planning時代はまだアナログによる版下制作が中心で、写真の取り扱いに一部Photoshopを使用しながら版下とMOに入れた画像データ(時にはプリントやポジフィルム)を一緒に入稿、と言う流れでした。この辺りもいつか書いてみたいと思います。
Be Planning時代はアーティストのCDジャケットデザインをADのような立ち位置で制作していましたが、SMCでは当時出始めた「PlayStation」のゲームパッケージ、映画(ソニー・ピクチャーズ)のビデオパッケージのデザインなどが中心で、なかなかアーティストの仕事には関わることができませんでした。
それでも、デザインの仕事自体は面白いので、まずは信用を勝ち取るべくどんな些細な案件でも営業チームから頂けた仕事には全力で応え、社内でのフットワークの軽さを意識しました。これは独立して22年経った今でも大事にしていることのひとつ。
たとえ他のデザイナーが断った仕事も積極的に手を挙げ、顔を広げていく。そうして徐々に顔を知ってもらえるようになり(とにかく大きな会社ですので、営業チームもいくつも存在しています)、ついにレーベルセクション(CDをリリースしている部門)にもつながりができ始めました。
プロのデザイナーとしてアーティストと対等に向き合う
最初にチャンスが巡ってきたのはとある企画モノ色の強い男女混合アイドルグループのCDジャケット(8cmシングル!)の仕事でした。しかもそれぞれ国籍が日本・タイ・韓国・中国という多国籍グループ。さらには撮影がタイ!
当然のことながらこの話はまず社内のベテランデザイナーへ行きました。ところが先輩デザイナーたちが次から次へと断ったようで、ついに私のところに話が。
言うまでもなく「やります!やらせてください!」一択。前職でも海外撮影の経験はありませんでしたが、このチャンスを逃すなんて考えられない!
今思えば先輩方は(企画モノの新人の1枚こっきりの仕事でしかもタイで撮影なんて、わざわざ行けるほど暇じゃないよ)と言う気持ちだったのでしょう。それが幸いし、たとえ先輩方が断った仕事でも私としては流れを変える大きな仕事に思えました。担当ディレクターさんとの仕事の進め方、タイでの撮影。この仕事での手応えは大きく、レーベルスタッフからの信用も得られたことを実感しました。
続いてレーベルから舞い込んできた仕事が「新人男性2人組のデビューシングル」。親しくさせていただいた営業が推薦してくれたのですが、この仕事で初めてと言っていいくらい、「アーティストと対等に向き合い、お互いを尊重し、デザインを楽しむ」ことができたのです。
Be Planning時代、アーティストは「雲の上の存在」と言うような位置付けで、スタッフも(特に私のような駆け出しは)一線を引いて距離感を持って接することが望ましく、親しげに口を聞くのも憚られる感じでした。もちろん、タメ口などは当たり前にダメですが、それでもお互いプロとして対等な立場でいる、という感じよりもどちらかというとアーティストの意向を「お伺いする」という一段下がったイメージで接する感じが当たり前でした。
新人とはいえアーティストと「同じ目線」で対話する、私の考え、やりたいことも遠慮なく言える、そういった今考えると至極当然の、大したことでもない話なんですが、それがソニーに入ってアーティストと接して受けたかなり衝撃的な出来事だったのです。
そしてこの「お互いを尊重する」「対等に向き合う」ことに自信を得た自分にとって、この後また大きな出会いが待っています。
自分の世界観を出せるアーティストとの出会い
「あるアーティストがバンドを解散してソロになる。社内コンペでデザイナーを決めたい」ある時レーベルの担当ディレクターから声がかかります。自分のポートフォリオはもちろん、趣味で作っていたコラージュブックも添えて提出。結果、このコラージュブックが決め手となり、私が担当デザイナーとなります。
そのアーティストとは、誰もが知る日本が誇るヴァイオリニストであり、今も第一線で活躍されている方。
打ち合わせで彼のご自宅へ行き、そこでデビューアルバムのイメージ、これからやりたいこと、私のコラージュに大変興味を持っていただけたこと、などなど語り合い意気投合。話は尽きず、そのまま彼のご自宅のすぐそばにあった「明洞」(笑)で呑みながら話は深夜まで続きました。
歳が近いことがポイントだったらしく、「今までのバンドではジャケットデザインを大御所デザイナーさんが手掛けられていたので、なかなか自分たちの思うようにやれないところがあった。自分のソロでは同世代のデザイナーと一緒に作り上げたい」という言葉をいただき感激。
以来SMCを退職するまでの8年、そして独立してからも10年以上ずっと関わらせていただき、まさにこの方がいなかったら今の自分はなかったでしょう。
彼がジャケットでやりたいイメージを受けて、私が提案をする。絵も描かれる彼のセンスとイマジネーションが私を刺激し、自分ももっと自分の色を出してぶつかっても良いのだ!と思わせてくれる。そうして話し合い、撮影し、デザインし、一緒に作り上げた1枚1枚のジャケットの思い出の深さはとても計り知れません。
こうしてSMC在籍8年、中堅デザイナーとなりアシスタントもでき、先輩方も独立などで抜けていく中で、気づけば上から数えたほうが早いポジションになっていました。時代も2000年代突入、空前のCDミリオンヒット連発の時代です。私も数え切れないくらいのアーティストのCDジャケットデザインを手掛けます。一緒に机を並べている同僚デザイナーたちも、ライバルではありながらみんな深夜遅くまで仕事しているせいか謎の一体感・連帯感もあり笑、大変な状況でもどこか楽しかったのを覚えています。
このまま会社でデザイナーを続けてもいいよな。それくらいSMCという会社は正直とても居心地のいい、魅力的な会社でした。やがて役職も付き、管理職になるのもありです。
ですが、社会人としてグラフィックデザイナーになるときに抱いた「いつか独立して自分で作った屋号でひとりでやっていく」夢もまた忘れられず、2003年3月、ついに退職しました。
そして2003年4月1日、「ROOTS」という屋号でフリーランスとなり、2年後の2005年1月には「有限会社ROOTS」として法人化、現在21期目に入りました。
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たくさんの人と出会い、関わり、喜び、泣き、笑いながら、その根底にはデザインの楽しさと作ることの悦び、そして大前提として自分を信じてくれたクライアントさんアーティストさんへの感謝があります。
独立して22年。今もこうして音楽に関わる仕事を続けていられることに改めて心から感謝しています。
すみません、気づけば大変長い自己紹介になってしまいました、、、最後までお読みいただいたあなたやあなた(いるかしら)、本当にありがとうございました。
歳のせいか昔話は長くなりがちですが、この歳だからか「何かを残しておきたい、継承していきたい」と最近強く思うのです。
もちろん、上から目線や自慢話をしたいわけではなく、デザインの楽しさや時には苦しかったこと、気づいたこと感じたことを、あくまで個人的な視点ですが書き記しておきたいなと。
制作の裏側やメイキング物を見たり読んだりするのって楽しいですよね?私は好きなんですが、ここでもそんな発信ができたらなと考えています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
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