繋がり、について。
昨日、ZOOMで「宇宙シェア会」という会に参加した。特に怪しい集団という訳ではない。最近の学びや気づきを宇宙からみた視点(自分を外からみる感じ)でシェアをする会である。
日本を離れちょうど1週間の日。この1週間たくさんのことを受け取った。行く前から何か意味のあることがたくさん起きていて、本当にありがたい世界だなと強く感じているこの頃だったので、 それをありのままシェアした。どのくらい話したんだろうか。わからないけど、きっと側から見るととても幸せそうな顔をしていたんじゃないかなと思う。
私が話終わった後、1人の方から「繋がりをより意識してみると見える世界がもっと豊かになるのでは」という言葉をいただいた。
”つながり”を感じていなかった訳ではないよな〜と頑固な私がフッと現れたけど、話している時にきっと”つながり”というワードが一度も出ていなかったのが真実なんだろう。
”つながり”を感じているつもりになっていたことにハッとされ、今日は特にやることがないからボーッと”つながり”について考えてみた。
私は自分のコップを満たすことをせずに誰かのコップを満たすことで、さも自分のコップが満たされているかのように振る舞っていた。というかそういう癖がある。
それはそれで生き方としては間違っている訳ではないけど、本当に幸せになるために、本当に誰かに手を差し伸べるためにその考え方とさよならをした。
今は野良猫のように生きている。
何か1つに執着するのをやめて、いろんな場所でいろんな人といろんなことをしている。そのご縁にはとっても感謝している。でも、俯瞰してみるとなんとなく「ご縁」というワードに引っかかる。というか「ご縁」というワードに対する私自身の捉え方がズレていたのかも。
これはどうにも文字にしづらい感覚だが、私の捉え方のご縁だとなんとなく自分を大切にしてあげられてない感覚が新しく生まれた。
きっと私が感じているのは「ご縁」という表現よりも「繋がり」だった。
そして、この「繋がり」を感じると、またじわじわとありがたさがやってくる。人だけじゃなく何もかもと繋がっているんだな〜と。
そっか。与えることばかりに夢中になっていた時は、「繋がり」を感じていなかったんだ。「繋がっているから大丈夫」という信頼・安心が足りなかったんだ。
私の生き方は人の何億倍も「繋がり」を感じて生きていくことになる。
その「繋がり」という原点に改めて戻してくれた方とその会にもとても感謝だな。
ベナンのビーチでearthingをした。裸足になって砂浜に寝転がる。なんとも言えない開放的な気持ちになった。少し壮大かもしれないけど、地球と繋がっているそんな感覚。だから大丈夫だっていう。そんな感覚。
今、こうして繋がりを感じやすい地に足を運べているのも、きっとそういうようなメッセージだったのかもしれない。
ちょっとおかしなことを言っているように聞こえるかもしれないけど、この世界はありがたいことばかりだなと心から思う。
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