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求めることはちがう気がするから、

最近、たとえば身近な人の行動や言動に

「え、なんでこんな言い方すんの。」
「ん?なにその行動。」
とかとか思ってしまうことがあって。

それでとてもモヤモヤが溜まって、
自分自身がしたくない行動をとったり、
あー今の自分めちゃくちゃ嫌なやつだなとかいうこと言ったり、
いや今タイミングじゃないだろって思うのにメッセージ送っちゃったり。
まあそれも一種の寂しいだったりそういう感情からの行動だから、
自分もまだまだ未熟でかわいいな、と思うのだけれどね。

でも振り返ると、相手にこうなってほしいとか、こういう関係でありたい
みたいな自分のもっているものたちでかたくなって、
相手自身を否定してしまっているような気がして。
相手の全てをいいなって思える人でありたいけど、
自分の価値観を押し付けて求めてしまう
それって本当に自分が求めていることではなくて。
だからこそ、相手に求めることは違う気がするのです。

その相手には相手の正義があって、価値観があって、考え方がある。
そりゃ生まれてから今まで全く別の人生をあゆんできた積み重ねだから、
その違いは尊いものなのさ、本来。
それをわたしは否定したい訳ではない。

求めることは違う気がするから、
きっと私たちは言語があるんだろうと思うのです。

もうまったく別の星の生き物なのだよね。
だからわたしは、人の価値観に考えに人生に
もうそーれはそれは興味があるんだと思うのです。

だから、わたしはあなたと語りたいのです。

その先で、
「あー!」なるほどね。
あなたはこういう価値観があって、こういう星に生まれて、こういう人生を歩んできたから、
「今!こういう言動を行動をとったんだね!」

っていう「あー!」をわたしは味わいたい。

私自身のフィルターでは理解できないあなたのフィルターを
少しでいいから味わわせてほしい。

そして、否定してしまったものたちをすこしでも許せる人でありたいだなんて思ってしまうんだ。
きっと許したほうがずっと気が楽だからね。

反対に。許さないほうが、ずっと辛いから。
(違う話になってしまうけども、わたしは許さないものがある人はすごいと思うんだ。またその話もどこかでしたいな。)

自己満足万歳なのだけども、どうかねねと関わる人たちはそういう運命にあるのだとご理解いただきたいのです。

目の前にいる人を受け入れる過程で、きっとわたしは「対話すること。シェアすること。」がめちゃくちゃ必要。
人間が大好きだから、めちゃくちゃ必要なのです。

求めることは違う気がするから、とにかくたくさんお話したいのです。
っていうわたしの価値観の押し付けです。


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