【奈良】吉野山 金峯山寺 2011年 結縁灌頂会に出席する
2011年10月27日。
2011年、といえば、
東日本大震災が、3月11日に起きた年。
この仙台空港も大津波に遭いました。
米軍の「トモダチ作戦」により、
空港のがれきなどを一掃していただき、
4月13日に
開港することができました。
米軍の皆様、その節は、
大変ありがとうございました。
わたしは、仙台市街に近い場所に
住んでいましたので、
大津波の被災地ではありません。
しかし、まだまだ、
復旧できない事態の中、
はたして、いくら予約を
前年にしていたとはいえ、
金峯山寺に行ってもよいものか、
非常に迷いました。
灌頂とは、
お釈迦様が誕生されたとき、
その頂に、天から甘露の雨が
降り注いだという故事から
始まったとされる行事のこと。
仏様とご縁を結び、日々の安楽と
癒しの世界、将来の極楽浄土に
御導きいただく、
守護仏を得仏することができる
というもの。
数年に一度、行われる、
信徒、一般者向けの灌頂会です。
結縁者には『得仏の証』として,
蔵王権現様とのご縁を結ばれた
証書とともに,
金峯山寺秘蔵の『金峯山・牛王宝印』を
授与します.
この『結縁灌頂』は,
入信,得度のための儀式では
ありませんので,
どなたでも、何度でも
蔵王権現様のご加護を結んで頂けます.
前回は、2006年に行われ、
5年の間があきました。
2010年の御開帳に行きました時、
結縁会が行われることを知り、
その年の4月に予約を申し込みました。
また、この年から、
午前6時からの開始時間も始まり、
応募が殺到したのだそうです。
おそれながら、東北の復興、復旧、
行方不明者の早期発見に、
代表として、
出席しようと考え、出向きました。
朝一の大阪伊丹行きに搭乗いたしました。
離陸直後は、撮影できませんが、
それは、なんとも言葉には
言い尽くせない、わが地元の変わりように、泣いてしまいました。
吉野山へは、仙台から、4時間強で、
到達いたします。
伊丹空港前から、
あべの橋行きの高速バスに乗ります。
あべのハルカス下の、
近鉄で、近鉄吉野線、終点まで乗ります。
途中から、単線となります。
近鉄吉野線には、飛鳥や壺阪など、
国名所もたくさん並んでいます。
吉野川を渡りますと、まもなく、終点です。
吉野ケーブルカーで、
吉野山の上に行きます。
黒門
金峯山寺の総門で、
昔は公家大名といえども槍を伏せ、
馬をおりて歩いたといわれます。
金峯山寺は、カエル、
脳天大神さまは、白蛇。
弘願寺 吉野山の黒門をくぐって
最初に有るお寺。
本尊は阿弥陀如来立像
(県指定文化財)で
鎌倉時代の正元2(1260)年の作です。
歯痛に霊験があるといわれる
関屋地蔵を祀っており、
毎年6月第一日曜日には
歯がため地蔵祭が行われます。
銅の鳥居
鳥居は第一門で「発心門」とも
呼ばれていた。
創立年代不詳であるが、
俗に東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)
鋳造の際に余った銅を
使い建立されたという。
妙法殿 八角三重塔
南朝妙法殿は、
南朝の四帝と忠臣たちを祀り、
第二次世界大戦の戦死者と
有縁無縁(うえんむえん)の霊を
合祀する三重塔として
昭和33年(1958)に建立されました。
かつてここには、
後醍醐天皇が行在所とした
実城寺がありました。
南朝妙法殿には旧実城寺の本尊と
伝えられる、
奈良県指定文化財の木造釈迦如来坐像が
安置されています。
また、毎年10月15日に
後醍醐天皇御聖忌法要が営まれます。
この写真の右側から、
脳天大神さまの龍王院があります。
そこは、必ず、参拝していますので、
先に行きます。
役行者の神変大菩薩さまと、
前鬼後鬼の夫婦
かなり急な石段です。
行きも大変、帰りはもっと大変。
吉野神宮近くから、車で行けます。
ほんとに、谷底です。
2008年の出雲大社、仮殿遷座祭の次の日、
吉野山に宿泊した折、
ツアーにご一緒した方から、
この脳天大神さまのことを聞きました。
それから、翌年、2009年から、
単独で、ここを参拝いたしました。
と、言いますのも、
わたしはこの時、通院していたものの、
甲状腺機能低下症、いわゆる、
橋本病に悩まされていました。
今まで、同居してきて、
小姑2人からのストレスが
重度になってしまい、
精神的には出ませんでしたが、
甲状腺機能がやられてしまいました。
この湧き水をいただきながら、
願掛けしなさいね、と教えていただき、
2009年、その通りにいたしました。
すると、その3か月後、
検査で、数年間、服用していた薬が、
不要になったんです!
この橋本病は、
甲状腺ホルモンの数値の変動で、
服用する薬の量が変わりますが、
何もしたくない、
突如、両腕のチカラが抜ける、
もっと進めば、
両足もチカラが入らないなど、
運動機能に多大なダメージが及びます。
そして、甲状腺の炎症には薬はなく、
一生、炎症との付き合いです。
また、ホルモン剤を使用するため、
ガン化も心配しなくてはなりません。
それが、ホルモン剤が要らなくなった、
それは大きなことでした。
ただ、どんなホルモン剤も、
服用すれば、ガン化の心配は、
付きまといます。
仙台から、空のペットボトル、1リットル、2本に詰めて、持ち帰りました。
2009年から、ずっと毎年、
こちらに参拝し続けていましたが、
コロナ禍で、2020年と今年は、
遠慮して、
5月19日の大祭で、
お願いしております。
神仏習合が残っています。
脳天大神様は
金峯山寺初代管長
故 五條覚澄大僧正が
霊威感得されました
頭脳の守護神であります。
覚澄大僧正は
お瀧のある修行の場所を
探し求められる中、
現在、大神様が鎮座されている谷が
その最適の場所であると考えられ、
その後、行場の開発に
取り組まれることとなりますが、
その最中、頭を割られた蛇に遭遇され、
それを哀れに思われて
丁寧に経文を唱えられ葬られました。
その後、その蛇が
何度も夢枕に立たれお礼を言われます。
最期には
「頭の守護神として祀られたし」と
云う霊言を
覚澄大僧正は聞かれます。
また、それと同時期に蔵王権現様から
「諸法神事妙行得菩薩
(しょほうしんじみょうぎょう
とくぼだい)」と云う御霊言も
授かられます。
実際に形として現れてこられたのは
頭を割られた蛇でありますが、
蔵王堂(ざおうどう)の
ご本尊蔵王権現様が姿を変えて
出現されたのであります。
吉野山に宿泊いたしました。
灌頂会の期間中は、
単独の宿泊も受け付けます。
翌日、28日、
午前6時~の結縁灌頂会に
出席させていただきました。
最初に、金峯山修験本宗の寺門が、
一週間、灌頂会を行い、
その後、一般者向けに行われます。
この期間中、2週間ほどは、
蔵王堂の扉は、閉まったまま、と
なります。
他言無用です。
素晴らしい灌頂会でした。
そうですね、簡単にいえば、
占いやスピ関係の方は、
ぜひ、受けていただきたいなあと
思います。
信徒集めではありません。
精神世界、精神修養です。
実は、金峯山寺には、
キリスト教徒も訪れるほどなんです。
宗教は何でも受け入れる。
それがこの御山です。
東日本大震災のことを
祈念してまいりました。
金剛蔵王大権現さまの尊顔を拝しますと、
願い事、悩み事など、
どこへいってしまったか、と
思うほどです。
2時間半、かかります。
阿部野橋に戻ります。
戻った、その足で、
今宮戎神社に参拝に行きました。
そこから歩いて数分の、廣田神社
創建年代は不明であるが、
神功皇后が三韓征伐から戻ってくると
忍熊王が反旗を翻していた。
皇后は王を避けて
難波に上陸しようとしたが、
船が海中でぐるぐる回って
進めなくなってしまった。
そこに、廣田の地に
天照大神の荒魂を祀るようにとの
神託が降りたので、
皇后は
天照大神の荒魂・
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀るや
船が動き出したという。
ぶらぶら、通天閣まで、歩き
阿部野橋まで、乗せてもらい
弾丸ですね~!いつもこれです。
仙台空港 帰ってきました~