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【奈良】吉野山 2008年②運命の、金峯山寺

2008年の写真です。

竹林院から、ぶらぶらと金峯山寺まで。
途中にあります、勝手神社。
当時は、出入り禁止でしたが、
現在は、開いております。

祭神は
『和漢三才図会』に
「勝手社 祭神一座 愛鬘命
(うけりのみこと/うけのりのみこと)」
とある。
また、「受鬘命」とも表記される。
現在の主祭神は
天忍穂耳命とされている。
大山祇命・久久能智命・
木花佐久夜比咩命・苔虫命・
葉野比咩命が配祀
されている。

わたしのルーツ、
五十猛命さまのことでは、
たくさん研究されていらっしゃる、
神奈備さんによりますと、

金峯神社の奥に
愛染宝塔院跡や愛染の宿跡が残っており、「愛染」が現れる。
「染」は「ゼン」と読み、
「髯」と書ける。
 受鬘は愛髭、愛鬘に間違えられたのは、
ママありうることだろう。

 さて、『古事記』で、
黄泉国での呪的逃走のシーンで、
「伊邪那岐命、
黒御縵(クロミカヅラ)を取りて
投げ棄(ウ)つる、
すなはち
蒲子(エビカヅラノミ)生(ナ)りき。」
 とカズラが登場する。
『日本書紀』では
黒鬘と表現されているが、
いずれにしても、
鬘は黄泉国と現世とを断絶するモノである。 神仙境吉野と俗界との境に
受鬘神を祀るか勝手神社を鎮座させたのは、当然の事ながら
呪術的意味が込められているのである。

この勝手神社は、

境内には源義経の妻女、
静御前が追っ手に捕らわれた際、
舞を見せたと伝わる舞塚が残る。
 流造檜皮葺、桁行八間・梁間二間の
本殿は
県の有形文化財であったが、
2001年に不審火で焼失したため
ご神体は向かいの吉水神社に遷座しており、本殿再建のための寄付金が募られている。

と、放火に遭っており、
今は、その影もありません。

吉水神社にて、再建の寄付金を
集めていらっしゃいます。

ぜひとも、お心在りましたら、
よろしくお願いいたします。
御朱印も、吉水神社で扱っております。

吉水神社


東南院

国軸山 金峯山寺

後醍醐天皇導きの稲荷さま

不思議な縁を感じました。
それは、出雲大社 仮殿遷座祭に来る前に、情報番組で、
金峯山寺を見たからです。
すぐに参拝できるとは
思いもしませんでした。
「桜の吉野山」というだけでも、
一度は、という思いでしたから。

久富稲荷、吉富稲荷

威徳天満宮

蔵王堂

奈良県吉野郡吉野町にある
金峯山修験本宗(修験道)の本山
本尊は蔵王権現、
開基(創立者)は役小角
と伝える。

「吉野山」とは、
1つの峰を指す名称ではなく、
これらの社寺が点在する山地の
広域地名である。
また、吉野山の二十数キロ南方、
吉野郡天川村の
山上ヶ岳(1,719メートル)の
山頂近くには大峯山寺がある。
吉野山の金峯山寺と
山上ヶ岳の大峯山寺とは、
近代以降は分離して
別個の寺院になっているが、
近世までは
前者を「山下(さんげ)の蔵王堂」、
後者を「山上の蔵王堂」と呼び、
両者は不可分のものであった。
「金峯山寺」とは本来、
山上山下の2つの蔵王堂と
関連の子院などを含めた総称であった。

日本古来の山岳信仰が
神道、仏教、道教などと習合し、
日本独自の宗教として発達をとげたのが
修験道。

蔵王権現という、
仏教の仏とも神道の神ともつかない、
独特の尊格である。
金峯山寺の本尊は3体の蔵王権現で、
その像容は、火焔を背負い、
頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、
口を大きく開いて忿怒の相を表し、
片足を高く上げて虚空を踏むものである。
インドや中国起源ではない、
日本独自の尊像であり、
密教彫像などの影響を受けて
日本で独自に創造されたもの
と考えられる。修験道の伝承では、
蔵王権現は役行者が金峯山での修行の際に
感得した(祈りによって出現させた)もの
とされている。

金峯山寺の中興の祖とされるのは、
平安時代前期の真言宗の僧で、
京都の醍醐寺を開いたことでも
知られる聖宝
である。
『聖宝僧正伝』によれば、
聖宝は寛平6年(894年)、
荒廃していた金峯山を再興し、
参詣路を整備し、
堂を建立して
如意輪観音、多聞天、金剛蔵王菩薩を
安置したという。

慶長19年(1614年)、
徳川家康の命により、
天台宗の僧である
天海(江戸・寛永寺などの開山)が
金峯山寺の学頭になり、
金峯山は
天台宗(日光・輪王寺)の傘下に
置かれる

2004年(平成16年)に
蔵王堂と仁王門が世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」の
一つとして登録。

わたしは、この蔵王堂に入るなり、
大泣きをしてしまった。

胸の中で、
「ここへ来たかったのだ!
ここへ来たかったのだ!」と、
こだまする。
その時、知らない女性に声をかけられ、
仙台から来たことを言いますと、
「あら!この金峯山寺で修行された、
塩沼さんがいらっしゃるじゃないの!」
と、地元に、そんな方が
いらっしゃることなど、
初めて聞きました。
わたしの主人のご先祖様は、
羽黒山山伏、
そして、わたしの父方のご先祖様には、
尼さんがおり、
不動明王さまを深く信仰していました。
とっさに、そのことが甦り、
わたしはここに来るべくして来たのだ、
と思いました。
出雲大社はおかげさまで、
ずいぶん参拝させていただきました。
しかし、今度は、
ご先祖様のため、
この蔵王堂に参拝しなくては
ならないような思いになり、
毎年春に、来ることになるのです。

この当時、金峯山寺では、
正式参拝させていただきました。

吉野神宮

奈良県吉野郡吉野町に鎮座する神社。
祭神は後醍醐天皇
建武中興十五社の一社で、
旧社格は官幣大社、
現在は別表神社である。
旧社名 吉野宮。

こちらでも、正式参拝いたしました。

橿原神宮においても、参拝いたしました。

こちらで購入しました、
金鵄の土鈴ですが、
その後、主人の親戚による、
長年のイジメで、思い悩み、
自殺しかけた時、
パーンと大きな音を立てて割れました。
結婚当初より、
義姉から、
「子どもは遅く産んでね。」
そのうち、
「うちには息子がいるから、
あなたの子どもはもう必要ないの。
産まなくてもけっこうよ。」の
心ない言葉に、流産もいたしました。

「死んではならぬ。良き事も起きよう」
という、神様からの言葉だったのだと
思います。
助け舟が入り、
わたしは死ぬことを免れました。
ありがたいことです。

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