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出雲大社 出雲大社教 故 千家達彦管長先生のお言葉


お盆、お彼岸になりますと

出雲大社 出雲大社教の第五代管長

故 千家達彦管長先生のお言葉を
思い出します。

約30年ほど前に、神社関係者の方々と、
神楽殿で聴講いたしました。


出雲大社教 とは

主祭神 大國主大神
相殿神 天之御中主神
    高皇産霊神
    神皇産霊神
    天照大御神
    天穂日命
    産土神

出雲大社教は、

出雲大社に鎮まります、
大國主大神を奉斎主神とし、

出雲國造の祖天穂日命を教祖とする
神道教派です。

本教の由来をたずねますと、

神代の昔、大國主大神は
初めて国土を開拓し、
人々の幸福の基をお築きになり、
やがてこの国土を皇孫命にささげて、
天日隅宮(出雲大社)に
お鎮まりの後は、幽冥主宰大神として、
永遠に万民の幸福を
お護り下さることになりました。

ここに、天穂日命は

皇祖の勅命により、
出雲大社の祭主となって
大神の御神慮を奉戴し、
以来子孫は出雲國造として、
代々その使命を嗣ぎ、御杖代として
世の人々を導いてきました。

第75代出雲國造俊勝の三男、
千家俊信
は、

本居宣長に学び、研鑽を続けて
御神徳の考察を遂げ、
社家の子弟など門弟二百数十人を
育成しました。
以後、俊信の学問は、
國造家及び社家の人々によって
承け継がれ、やがて本教教義の編成に
大きな力となりました。

明治維新を迎え、

時の出雲大社大宮司・
第80代出雲國造 千家尊福は、

「幽顕一貫・顕幽一理」の
大國主大神の御神徳
をより
多くの人々に伝えて
社会教化を進めるためには、
教会組織をつくる必要を認め、

明治六年一月

出雲大社の氏子信徒をもって
「出雲大社敬神講」を組織し、
さらに社務所内に
「出雲大社教会」を設けました。

明治八年、

神道をもって国民を導くために
「神道事務局」が設けられましたが、
ここにお祀りする御祭神を定めるについて「祭神論争」が起こりました。

「造化三神と天照大御神の四柱を
お祀りすべし」

という意見に対し、尊福は、

世の人を導くには、
すべての根源的世界である幽世に
思いを致して、
生死ひとつながらの安心を
得させねばならない故、
幽冥の主宰神である大國主大神をも
お祀りしなければ
神道布教の根底がないことを主張
しました。

尊福を支持する出雲派と
伊勢派の二派に分かれての
激しい論争(祭神論争)が
繰り広げられました。

明治十四年、

ついに御祭神は奉斎せず
宮中三殿の遥拝所とする旨の
「勅裁」を仰ぐに至って、
この祭神論のことは
神学・教学論争としては決着せずに
終息しました。


こうした状況下、政府は、
明治15年1月

宗教法令を改め、神社を宗教として
取り扱わず、神官が教導職を兼ねて
布教すること、葬祭関与を禁じました。
そのため神社は
宗教活動ができないことに
なってしまいました。

明治15年5月10日

「神道大社派」を立て、

同年11月5日

「神道大社教」と改称、
出雲大社宮司の職は、
弟 尊紀に譲って、みずから
大社教初代管長に就任しました。

終戦後、神社は国家管理を離れ、
宗教団体として
宗教活動をすることになり、

また出雲大社と本教を
法的に分かっていました。

宗教法令も失効しました、
昭和26年4月以降は

明治15年以前の
〝出雲大社と一体〟の姿に立ち返り、
出雲大社を宗祠と仰ぐ
「出雲大社教」として、
新たな歩みをはじめることになりました。

出雲大社教は、

宗祠と仰ぐ出雲大社の大國主大神と
私たちとを結び、
安心立命の明るい生活を築くように
教え導くことを目的としています。


本教教義の要は、
「幽顕一如」にあります。

目に見えない世界を
幽世(かくりよ)、

我々が生活している目に見える世界を
顕世(うつしよ)といい、

幽世と顕世は
相即不離、一貫の関係にあり、
顕世の幸福は、
見えざる幽世からの恩頼により
与えられています。

この幽世を主宰されているのが、
宗祠出雲大社の御祭神、大國主大神で

「幽冥主宰大神
(かくりよしろしめすおおかみ)」

と称えられています。

人は「霊止(ヒト)」として、
霊的存在であり、
祖先からの霊質を継承し、
大國主大神のお蔭のなかで
生かされて生きている存在であります。

現世においては、
大國主大神に祈り仕え、
敬神崇祖のみかえしを尽くし、
人道を全うし、明るい社会、
楽しい家庭を築くように勤しみ励み、

死後にありては、
その魂は幽世に帰り入りて
なお幽冥主宰大神、
すなわち大國主大神の
恩頼(みたまのふゆ)をうけ、
代々の先祖たちと共に、
御家の守護神として
霊魂の安寧を得ることになります。


この生死一つながらの信仰生活の中で
「幽顕一如」の道を歩むところに
安心立命があるとするのが
本教の要諦です。

宗教にはそれぞれ、
祈りを統一する言葉がありますが、

本教においては

「幸魂奇魂守給幸給
(さきみたま くしみたま 
まもりたまい さきはえたまえ)」の
神語がそれにあたり、
教祖天穂日命より
代々出雲国造家に伝えられたと
されています。


幸魂奇魂とは、

国づくり神話の故事に由来するもので、

大國主大神は
一生懸命に国づくりに励まれ、
生きとし生けるものがその場所を得て
立ち栄えてゆくよう努力された時、
自分の生命の中に潜む「幸魂奇魂」の
大いなる霊力にお気づきになられました。

 

同様に私共も
大國主大神から「幸魂奇魂」の霊性を
受け継いでおりますが、
慌ただしい日常にあっては、
とかくこの事を忘れがちとなり、
ためにその神性、霊性を
十分に発動できずにいます。


この神語を心をこめて
唱えることにより、祈りを深め、
それぞれの心のなかにある
神性・霊性を自覚し、
大國主大神とこころを結び直し、
より良い姿によみがえりを
はからせていただくものです。

と、あります。


ここに

故 千家達彦管長先生、
講話よりのお言葉を書き記します。


一、ご先祖様からいただいた命なのだから、良い事をして、
次の命のために(子孫のために)
自分は良い先祖となろうとする心

一、ご先祖様から、
あの世で褒められるような行動

一、ご先祖様が出来なかった事を
果たして代を受け継ぐ

一、ご先祖様がわが家にいつまでも
霊として生き続けてくださいという心

一、「歩き続ける」
行きつく道はなくとも歩く

一、祈られて生まれてきた命なのだから、
あの世へ行っても祈られる人となれ



わたしは、
出雲大社教 龍蛇講の講員です。

と言いますのも、

なかなか、仙台から、
神迎祭に出席することができません。

旧暦10月11日に
御本殿で斎行される「神在祭」の後、
神楽殿において
「龍蛇神講」に加入された方々が参集して「龍蛇神講大祭」がお仕えされます。

こちらの龍蛇講に入講しますと、

上記の写真にあります通り、
神在祭の後に、金幣、御札、御神米が
届きます。
ありがたいことです。

出雲大社には、崇敬会は、ございません。
現在、検討されているようです。

ゆえに、出雲大社教の龍蛇講が、
神在祭の金幣がいただける講となります。
こちらに入講される方が多いです。

●上記の御札、御守で、おススメなのが、

「生弓生矢」「蘇守」

「おみくじ」は、
何が来るか、楽しみなところです。

「剱先」は、鬼門に貼ります。

「釜社札」は、台所に貼ります。

●神棚があります方は、

「しあわせの鈴  大」 
神棚にくくりつけて、手を合わせる時、
鳴らしてされるといいです。
神社の鈴の緒と同じように。

「御神像」も、
恵比須さま、大黒さまの親子神さまも
良いですよ。
例えば、この二神がある方は、
向かって右に大黒さま、左に恵比須さまを
置きます。
向かって右は、先祖、目上、親、位が高いを
表します。



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