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【考察 2つの渦➂】 2021年7月26~28日の台風メッセージサイン

北緯40度線とは

中国のサイトで出されていた、
コロナウイルスの死者数が多い国、
だそうですよ。

ちょっと、疑問


男鹿半島には、寒風山がある。

寒風山は古くは、
妻恋山(つまこいやま)あるいは
羽吹風山とも呼ばれていた。

菅江真澄は『男鹿の秋風』で、
これは男鹿という地名から、
牡鹿の「妻恋」から名付けたのでは
ないかとしている。

万葉集
第1巻 84番歌

長皇子
秋去者 今毛見如 妻戀尓 
鹿将鳴山曽 高野原之宇倍

秋さらば今も見るごと妻恋ひに
鹿鳴かむ山ぞ高野原の上

山頂には八尺ほどの九輪の石塔があり、
1804年に菅江真澄によって
絵が描かれたが、
1810年の男鹿大地震によって崩壊


寒風山は塔の峰とも呼ばれ、
山頂付近は
薬師山、薬師長根とも呼ばれる


山頂付近には、
五箇条の御誓文を
石に刻んだ誓いの御柱
がある。
また、付近には地震塚があり
ここには5つの石碑がある


エゾヒョウタンボクは
東北地方では
青森県黒石市の黒森山、
岩手県の天狗森の夏氷山風穴、
安家森、
七時雨山六角牛山

宮城県では
三方牛山の風穴地帯でしか
発見されていない植物である。
(三方牛山とは、三方倉山)
仙台市若林区秋保

大噴火口内の南西部には
「鬼の隠れ里」(石倉)と呼ばれる
巨石が積み重なった所がある。
岩屋の中に男鹿の鬼が住んでいたとの
伝説が残っているが、
これは溶岩ドームが崩落したものと
考えられている。
岩屋の上には穴があき、
そこから水がわき出て
日照りの時にも水が絶えない岩があり、
弘法大師(空海)が穴を開けたとされ、
「弘法の硯石」
と名前がつけられている。


小噴火口を取り巻く峰は
蛇越(じゃこし)長根と言われる。

小噴火口内部には昔、
古玉の池という池があり、
そこに身を投げた、
お玉という村娘が大蛇に変身し、
古玉の池が干上がったため、
尾根を越えて西にある
新珠池(玉の池)まで移動したという
伝説からその名がある。
登山道には大蛇が通った跡だとされる
大小の石や岩がある。

主祭神>

瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)


<合殿神>

天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
豊玉毘女神(とよたまひめのみこと)
少彦名神(すくなひこなのみこと)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
大名持神(おおなもちのみこと)
塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)


※塞神三柱神とは…
  衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、
八衢比古(やちまたひこ)、
八衢比売(やちまたひめ)の3柱の総称


牡鹿半島には、大六天山がある。

牡鹿半島の第2の高峰で、
山名の「大六天」とは梵語で、
天界を指し、
漁民が天界(極楽)のような幸せを
願って神を祀った山
だという。
山頂から少し離れた場所には、
石の鳥居や鐘楼を備えた立派な神社、
三国神社がある。

女川町誌から

古来詩歌に多く歌われている。

「たづねてもあだし心の奥の海のあらき
磯べはよる船もなし」(常磐井入道)

は、その荒い海を詠じた一首である。

後者の奥の海は奥深く入込んでいる海
として、万石浦を「奥海」と
また称した様である。
万石浦の奥にある針浜の風土記に

「当浜都て海上を奥海と申唱え候、
又万石浦とも申唱え候」

と記してある。

これは先に奥海と呼んでいたのを
後ちに万石浦と改称したことが知られる。
万石浦の命名は
二代藩主忠宗公の時代と伝えている。

なお封内名蹟志には
東奥嬴(おくのうみ)と書き、
鮎川浜に在りと記し、
更に黒崎の海上金華山の島の辺是なり。
一説に浦宿・渡波の間なりといふ。
針浜の中に一島あり、鵜の島といふ。

順徳帝の叡吟あり、

「うしとても身をばいづくに奥の海の
鵜のゐる岩も波はかくらん」

とある。

針浜地方は古より由緒ある
土地柄であることを思い合せる時、
奥海の在りかも推測される様な気持がする。

大六天山(だいろくてんさん)

大六天山は北上山脈に於ける
牡鹿半島の最高峯で、
海抜四四〇・三米、
女川町と旧荻浜村との境に位している。

大六天即ち第六天は仏語で、

欲界六天

(四天王・忉利天・夜摩天・
兜率天・楽変化天・他化自在天)中の
第六の他化自在天で、
欲界の最高所
といわれている。

そしてこの天に生れたものは、
他の楽事を以て自由自在に
自己の楽とすることが出来るという。

換言すれば、大六天は脈中の最高峯で、
頂上よりは自由自在に四方を
眺め得られる地点を意味するものと
解される。

現に大六天山は眺望をさえぎるものがなく、海洋はもとより内陸一帯を望むことが
出来る高山である。
なお大六天山には
三国神社が祀られているので、
この山を別に三国山とも称した。

安永風土記横浦三国山の項に

「山上より仙台並に相馬・南部相
見え候に付名附候云々」

とある様に、ここから三国山の名が
起つたのであるという。

望郷山(ぼうきようざん)

望郷山は女川港の南方に聳える
二八九・六米の高岳である。
その南方の大六天山に次ぐ
この附近の高山で、
頂上よりの眺望が広く、
郷土女川町の大部分を俯眼することが
出来る。

と、あります。

三国神社のご祭神は、
イザナギ命・イザナミ命

牡鹿半島の野性の牡鹿です。

鹿は神様の使者・神獣として
古来から神秘的な存在で、
薬効が高いとされてきました。

鹿島神宮・春日大社などで神使とされる。
古事記において、
オオクニヌシに国譲りをさせる際、
アマテラスは使者として
アメノオハバリを選び、
その伝令にアメノカク(天迦久)を
派遣したとあり、
このアメノカクが鹿の神とされる
(「迦久」は鹿児を意味する)。
アメノオハバリは
自分の代わりに息子のタケミカヅチを
オオクニヌシのもとに差し向け
国譲りを承諾させるが、
このタケミカヅチが
鹿島神宮の祭神であり、
その後平城京鎮護のために
春日大社にも分霊された。

道教の伝承に登場する仙人が
しばしば乗騎とするのが白鹿である。
太上老君は青牛を乗騎とするが、
白鹿を乗騎としたという伝承もある。

鹿に似ている、聖獣の麒麟は
紀元前から中国に伝わる伝説上の動物で、
中国古来の鹿崇拝から生まれたようです。
慶事の前に現れ、
おめでたい兆候と考えられています。
伝説では思いやりを持った動物で
“仁獣”と表現され、
“生きている虫を踏まず、草を折らない”、
“天下泰平のしるし”
とも言われます。

鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称

普段の性質は非常に穏やかで優しく、
足元の虫や植物を踏むことさえ
恐れるほど殺生を嫌う。

神聖な幻の動物と考えられており、
1000年生きるという。
動物を捕らえるための罠にかけることは
できない。
麒麟を傷つけたり、
死骸に出くわしたりするのは、
不吉なこととされる。

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