【大阪】寺社参拝記録 ④難波神社、坐摩神社
2017年10月、奈良吉野山、
金峯山寺において、
一般者の結縁灌頂会が行われ、
翌日、難波神社に行ってみました。
難波神社 仁徳天皇、素盞嗚尊
摂津国総社として
難波大宮または平野神社、
他にも上難波仁徳天皇宮、上難波神社、
難波上宮ともいう。
江戸時代には博労稲荷神社がある為に
稲荷社と呼ばれていた。
神紋は、菖蒲紋の一種『抱き菖蒲』
創建は反正天皇の時代と伝えられ、
当初は現在の大阪府松原市に
鎮座していたという。
天慶6年(943年)に
現・天王寺区上本町に遷座する。
慶長2年(1597年)に豊臣秀吉の命令で、
立退料2,000石をもらって現在地に遷座。
しかし、慶長20年(1615年)の
大坂夏の陣後には
江戸幕府によって境内地の9割を
没収される。
明治時代になると府社に列せられている。1945年(昭和20年)3月13日・14日の
第1回大阪大空襲で焼失するが、
1974年(昭和49年)7月に再建される。
十四柱相殿神社:祭神:
左殿(豊臣秀吉公・菅原道真公・
楠木正成公・徳川家康公)、
中殿(豊受姫大神・天照皇大神・
応神天皇)、
右殿(水波能女大神・春日四柱大神・
猿田彦大神・迦具土大神)
博労稲荷神社:祭神:倉稲魂尊。摂社。
商売繁盛の神様として
船場の多くの商人から篤い信仰を
受けていた。
江戸時代を通じて難波神社は
仁徳天皇を祀った神社としてではなく、
博労稲荷神社がある神社として
有名であり、
難波神社のこと自体を指して
「稲荷社」と呼んでいた。
細身の、強面のお狐さまですね。
こちらの鳥居より出て、
次の神社さんまで歩きます。
こちらのビルの入り口には、狛犬さんが!
坐摩(いかすり)神社
坐摩神
(生井神、福井神、綱長井神、
波比岐神、阿須波神の総称)
●生井神 (いくゐのかみ)
- 井水の神(生命力のある井戸水の神)
●福井神 (さくゐのかみ)
- 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
●綱長井神 (つながゐのかみ) -
井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」とも
いわれ、深く清らかな井戸水の神)
●波比祇神 (はひきのかみ) -
竃神(屋敷神。庭の神)
●阿須波神 (はすはのかみ) -
竃神(足場・足下の神。
足の神であり旅の神)
祭神の5柱の神は、
『古語拾遺』等によると、
神武天皇が高皇産霊神・天照大神の神勅を
受けて宮中に祀ったのが起源とされ、
神祇官西院で
坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)によって
祀られていた。
この神社さんに来てみたかった!
なんといっても、三つ鳥居!
当社の始まりは、
神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、
淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだ
とされる。
今でも旧社地であった坐摩神社行宮には
「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が
祀られている。
延喜式神名帳では
摂津国西成郡唯一の大社に列し、
住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、
難波津から西国へ向かう防人が
旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。
同社の神紋が白鷺なのも、
神功皇后が坐摩の神の教えにより
白鷺の多く集まる場所に
坐摩神を奉遷なされたことに由来する
催し物の最中でした。
相殿神社 - 祭神:春日神、住吉神、
大神受美、猿田彦命、大宮比賣命、
多賀社、天御中主神、産霊神、
直比神、諏訪神、事平社、大歳神
天満神社
周辺の繊維問屋の守護神。
大國主神社
祭神:大陶祇神、迦具突智神。
周辺の陶器問屋の守護神。
火防陶器神社(ひぶせとうきじんじゃ)
ともいう。
オガタマノキ
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