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和歌山県 熊野三山を行く⑥ 熊野那智大社、青岸渡寺

すでに、アウトでしたね~🤣
閉まるの、早いわ


太平洋です!

あの山が、那智山

おお! 那智の滝だ!

この分では、飛龍神社なども
参拝できませんね

一番奥の、大駐車場に停車して歩きました

車も人も、全然、いません🤣

これまた、急坂

太平洋が見える!

那智山 青岸渡寺の仁王門

那智山 青岸渡寺

如意輪観音菩薩

補陀洛や

岸うつ波は三熊野(みくまの)の 

那智のお山にひびく滝津瀬(たきつせ)

補陀落とは、
観音菩薩の降臨する霊場であり、
観音菩薩の降り立つとされる
伝説上の山である。
その山の形状は八角形であるという。
インドの南端の海岸にあるとされた。


補陀洛寺の、補陀落渡海
船上に造られた屋形には扉が無い。
屋形に人が入ると、
出入り口に板が嵌め込まれ
外から釘が打たれ
固定されるためである。
その屋形の四方に4つの鳥居が建っている。
これは
「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の
死出の四門を表しているとされる。

渡海は北風が吹き出す
旧暦の11月に行われた。
渡海船は伴船に沖に曳航され、
綱切島近くで綱を切られた後、
朽ちたり大波によって沈むまで漂流する。
もちろん、船の沈没前に
渡海者が餓死・衰弱死した事例も多かったであろう。
しかし、船が沈むさまを見た人も、
渡海者たちの行く末を記した記録も存在しない。

戦国時代の頃になると、
熊野三山への参詣者が減少したことから、
補陀洛渡海という捨身行によって
人々の願いを聞き届けるという形で宣伝され、
勧進のための手段としての側面が現れたとされる。
江戸時代には住職などの遺体を渡海船に載せて
水葬するという形に変化したようである。

いわゆる、即身仏、ですよね。
しかも、捨て身。考えられません。

いかに、和歌山は、「黄泉の国」か。

長生殿
見晴台から
今回は、ここまで、ですね

熊野那智大社

那智大社の見晴らし台から
社務所
宝物殿
禮殿
大樟の胎内くぐり

さあ、17時を回りました

帰ります!

ここに立てただけでも良し、とします

きれいな鳥!

イソヒヨドリ、かな?

カラスさまも見てた

ご縁あらば、また

最初の石段の途中で

鹿 5頭と出会いました!

もう、17時を過ぎると
どこの駐車場も綱を張って
入れないようにしてありまして
那智大滝のほうは無理と判断

これから、橋本市まで
戻らねばなりません

サラバ 👋 那智山

海岸沿いの道路を行ってみたら
まあ、これが遠い遠い!

🤣

でも、もし
東海大震災の大津波が起きれば
逃げようがないほど
海と山が競っている
東日本大震災を経験した者として
やはり大津波は恐ろしい
わずか、20分ほどでここは襲ってくる

ちょいと停車して、
橋杭岩を見物しました

干潮の時は歩けるんですね!

画像お借りいたしました
干潮のときは、こんな感じ
弁天島

さてさて、気をつけて帰りましょう

日が沈んでしまった~

はい!

橋本市のホテルに到着しましたのは
午後21時でございました
本来ならば
熊野本宮大社まで戻り
山道の168号線を通れば
一直線なんですが
十津川村での土砂崩れで
大きく遠回り
でも、時間的には
どちらも同じくらいのようです


お疲れ !(ノ˶>ᗜ​<˵)ノ


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