Another One Step of Courage 第2章:小さな一歩大きな前進
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あの冬の日から毎日一緒に駅まで帰ることになった。お互いの気持ちは伝わってるはずだが、それでも言葉にはならなかった。付き合っているのかと言えば、そうでもない気がするし、付き合ってないと言えば、それもまた違う気がする。冬休みが明けた今でも続いているというのも現状だ。もちろん、彼女ほどの注目を集める人が毎日、男と一緒に帰っていれば、噂はたつ。そんな中、毎年男子の心を揺さぶるあの日がやってくる。まあ、小学校から高校一年生まで一度たりとも母親以外(母親も中学二年からくれなくなったが)からもらったことがない。つまり、耐性がついている! というわけでもない。俺もこの日になるとドキドキしながら登校する。とくに今年は彼女という、貰えるかもしれない? あてがあるから例年以上にドキドキした。
学校に登校すると、まず下足室に入っては出て行く男どもの様子を垣間見ることになる。何度も変わり映えのない上履き入れを開けては閉めて、その中にはまさに負の空間が広がっている。その中で、カッコイイ男子たちはサラっと上履き入れを開き、なだれ落ちるチョコの箱を困った様子で拾い上げる。そして、周りとの優越感を感じるために困った顔をする。まったく、俺のような男子のメンタルを朝からブレイクしてくる。そして、次に教室に向かえば小さいチョコを義理として配るハデめの女子たちと遭遇。俺は慣れているが、こういった奴は俺みたいなやつに同情してあげるフリをして一ヶ月経つと法外な返しを要求してくる。もちろん、今年も
「晝間! なんかあの子との噂が上がってるケド、今年もどうせゼロでしょ。同情義理チョコあげるわ」
と言われる。今年も安定のスルーではあるが、本当は欲しいのが、男の心情だ。そして、運命のチャンスの二回目がやってくる。男子はみな、今日のために無理にでも机の中身をロッカーにしまうものだ。まあ、俺は机になにも入れない派だから、特になにもしなかったが。そっと手をまっすぐと机の中に入れていく。まったく、手を入れるときは恐ろしいもんだ。その時、横から感嘆の声がどうやら隣の席の奴は手に感触があったようだ。俺も負けじと机の中で手を振ったが、感触なし。やり場のない力を込めて、机を5cmほど持ち上げる。今年も結局、毎年の朝のテンプレで終わってしまった。そんな中、彼女は男子に囲まれて、媚を売られている。今日はバレンタインというよりは男子が女子に馴れ馴れしくする日らしい。
そして、今日は化学部の活動に全部員がやってきた。もちろん、真面目に実験をするのはいつもメンバーの二、三人だが残りのメンバーは時間を潰すスライム実験をしている。これもバレンタインのテンプレで、できるだけ女子がチョコを入れるチャンス(時間)を引き伸ばしてあげるというモテない自意識だけ過剰な男子の無駄な配慮だ。俺もその一員であるせいで余計に痛々しい。とは言っても結局最後まで実験をするのは俺だけで、みんな痺れを切らせて帰ってしまう。いつも通り五時十五分に実験を終わらせて、5時半に化学室をでる。そして、正門の下足室から靴をとって、あえて裏門に行く。すると、いつもどおり彼女がいる。ことが大きくなることを嫌がるふたりの間の暗黙の了解だった。
「やっほ」
俺が声をかけると、門にもたれながら小説を読んでいた彼女はその小説を閉じて、コートのポケットにしまって、俺に微笑んだ。
「じゃあ、行こうよ」
「うん、そだね」
「あ! 待って!」
彼女はカバンをゴソゴソと探り出した。すると、シールが貼られた包をだした。俺にそれを両手で差し出すと顔を下に向けて顔が見えないように言った。
「えっと、いちおうバレンタインチョコ?」
俺は嬉しさのあまり顔の筋肉がコントロールできなくなった。俺はその包を手に取ったがそのせいでろれつが回らず、変な形で礼を言ってしまった。
「あ、あがとう」
「ろれつが回ってないよ」
彼女は真っ赤にした顔でそう突っ込んできた。その場で俺が包を開けると、手紙とペンシル型のチョコレートが入っていた。
「私ね、手作りとかに憧れるんだけど、変に失敗するよりって思ってね。だから、文芸部のペンにかけてペンシル型のチョコ! 家で食べてね。あと、手紙は今は読まないでね! 一ヶ月後まで返事は待ってるから……」
彼女はそう言うと、恥ずかしそうに歩きだした。俺もそれについていくように歩きだした。今日の話の内容は俺の男子側のバレンタインのテンプレだった。彼女は終始笑っていて嬉しかった。
そうそう手紙にはこんなことが書いてあった。
「義理じゃないよ。でも、本命なのかはわからないや。あなたと私は互いにわかってると思うけど、今はどういう関係かわからない。だから、今度の返事を待ってるね。いつもどおり一緒に帰ろうね。PS 来年は手作り挑戦!」
彼女の文字を見たのは始めてだったが、優しくて可愛い文字だった。こんな人を彼女にできたら俺はなんて幸せものなんだろうか……今は違うけど……。
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二年から三年での理系と文系の変更する生徒はほとんどいないというのに、テストが終わったこの時期も一年同様に謎の説明会を受けなくてはならない。覚悟がなきゃ、彼女も俺も物理・化学・生物を取らないっていうのに。先生たちのこの一年が勝負! っていうのは聞き飽きたというのに。とは言うものの今日は学校に来るのがドキドキしていた。理由はもちろん、今日が三月十四日だからだ。説明会のあと、化学部にでてから今日も裏門で会う約束をしている。と思っていたが、今日は顧問の先生がいなくて、化学室が使えないんだった。とは言っても彼女との約束の時間までまだたくさんある。そこで仕方なく図書室で化学の学術書を借りて、ホームルームで読むことにした。ちょっと失望して、教室のドアを開けると、
「「あ!」」
声が重なった。彼女がパソコンでまた小説を書いていたようだ。そういえば、そうだった、文芸部はたまにこの教室を使ってるんだった。
「ど、どうしたの? 忘れ物?」
「えっと、顧問がいなくて、実験できなくてさ。しょうがないから、ここで本でも読もうと思って」
「あ、なるほど。ちょっとまってどかすから」
彼女は俺の机の上に広げたパソコンを持ち上げて、ほかの席に移動させようとした。でも、別に座るところなんてどこでもいいので、俺は一声をかけた。
「別にいいよ。こんなの、どこでも読めるし。いつもそこで書いてるならそのままで大丈夫だよ」
「そ、そう。じゃあ、お言葉に甘えて」
彼女は手に持ったパソコンを置き直して、椅子に座りパソコンにカタカタと文字を打ち始めた。俺は窓際の席に座って、部屋の真ん中の俺の席に座って、パソコンに文字を打つ彼女の姿をちょこちょこ見ながら、俺は学術書を読んでいく。教室は彼女のパソコンのタイピングの音が耳をすませば聞こえる程度。窓からは茜色した光が教室を照らしている。
時計の針が四時半を指したとき、彼女は手を頭の上で組み体を伸ばした。
「お、一段落ついたの?」
「うん、今度のコンクールに送る作品の第三章が終わったところ。あと、四章だけになった。まあ、推敲と校正があるからまだまだだけどね」
彼女は疲れた様子だったが笑いながら言った。
「どうする? もう帰る?」
「うーん、どうしよう。とりあえず、休憩して四章の始めだけ構想があるうちにちょっと書いちゃいたいから、五時半まで粘る。でも、やっぱり今は休憩、なんか話そうよ」
「そうだね……そういえば、いつもなんでその席で書いてるの?」
「え、これ……なんとなくだけど、ここに落ち着いたの。ここってクラスの中心じゃない? なんかいろんなイメージがいろんな方向から入ってくる気がして」
「なるほど、なんかわかるかも。俺も誰もいない部屋なら部屋の中心で読書とかするもん。なんか想像力が高まる感じね」
「そうそう! まあ、もしかしたらここがあなたの席だからかもしれないけど……」
「え!?」
彼女は俺の方を見て言ったせいで、彼女の顔は俺の背中から差す赤い光に照らされて、どんな表情をしているのかは、わからなかった。
「冗談よ。そんなことより、今日は何の日かわかってる?」
「え、うん。持ってきたよ。手紙も入れておいた。俺のことだから、きっと面と向かっては言えないから」
「そうだよね。じゃあ、手紙は家で読むとして、中身だけ……お、これはなに?」
「外国のお菓子とかを売ってるとこで買った、ちょっと凝ったマシュマロだよ。なんか美味しいらしい」
「ありがと! じゃあ、後で食べさせてもらうね! そういえば、あのチョコは美味しかった?」
「うん、まあ。普通のチョコで美味しかったよ!」
「よかった。喜んでもらえて! じゃあ、喜んだついでで、続き頑張るね」
彼女はまたパソコンに向かって小説を書き出した。俺も彼女の様子を見ながら、学術書に目を戻した。こんな風な何でもない風景がいつまでも続けばいいのにな……。彼女を見ていると読書に集中できなくなり、幸せな気分になって頭がボーとする。本の文字がぼやけて見えて、まぶたがとても重たくなった。そうだ、昨日は遅く寝たんだった。
ハッと気づくと、目の前に彼女がいた。どうやら鼻をつつかれて起きたようだ。
「もう五時半だよー、帰ろ」
「あ、ごめん、寝てた。帰ろっか」
いつも通り彼女と駅にまで歩く道。誰にも邪魔されない二人だけの時間。今日はさっき渡した手紙のせいでいつも以上に緊張していた。駅について、反対ホームに行った彼女を見送るまで、いや彼女から答えが帰ってくるまで。ずっとずっと緊張したままだった。その晩、ついに結論の電話が掛かってきた。
「あ、もしもし」
「あ、うん」
「えっと、富田です。手紙読んだよー」
「あ、よかった。えっと……」
「本当はメールにしたかったんだけど、こういうことって直接がいいかなって思って」
「ありがとう……」
沈黙があった。俺も彼女も次の言わなくてはならない台詞がわかっていたからだと思う。俺は耳に当てている携帯電話を持ち直して自分の言うべき言葉を言った。
「手紙を読んでくれてありがとう。その……返事が聞きたい」
「うん、そだね。えっと……こちらもよろしくお願いします……かな?」
「! ありがとう! えっと、なんというかこっちもよろしくね!」
嬉しかった。が、どうやって喜べばいいのかわからず、なんかかしこまって、お礼を言ってしまった。
「えっと、それにあたってね……お願いが?」
「うーん、なに?」
「あの……下の名前で呼んでくれない? カップル? というものになったのに堅苦しいじゃない?」
「お、おう……わかった! えっと、椋乃? でいいよね」
「うん、椋乃でいいよ! じゃあ、私も……楠雄ヨロシクね!」
俺と彼女……いや、俺と椋乃は付き合うことになった。今思えば、始めてあったのは、一年前と二ヶ月前ぐらい。あの偶然から今となっては俺の……彼女……まったく実感が湧かないのが現状だった。
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付き合い始めても何も変わらない毎日、一緒に帰って雑談する。変わったところをあえて言うなら、お互い部活に行ってみて一人ぼっちだったら、それぞれの部屋に呼んで二人でいることくらい。例えば、化学部の活動のときに俺だけになったら、彼女を化学実験室に呼んで、彼女がパソコンで小説を書いている間、俺は実験をする。逆に彼女がホームルームで一人ぼっちで活動していたら、俺はその横で学術書を読む。その程度しか変わらなかったが、三年生になり学校にいる間以外を受験勉強に費やすようになってしまった俺たちはそれだけで十分だった。お互いに付き合っているという話が大きくなるのが嫌で、学校ではそんな様子は見せなかったので、俺と椋乃のことを知っているのは悠斗くらいだ。
過去投稿より