Another One Step of Courage 第1章:出会い
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まさに目が合ってしまった。なんとも言えずなんともできずただただ目が合っている状態が続く。俺は気まずくなり、そっと会釈をした。すると、同じタイミングで彼女も会釈をした。それが俺と彼女の出会いだった。
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部活の実験が終わり、時計を見ると時刻は五時ちょっと過ぎ。これ以上時間が経ってしまうと暗くなり、同時にもっと寒くなるので俺は急いで帰ることにした。試験管を洗い、フラスコを棚に戻し、化学室の鍵を閉めて気持ち早めに学校を出た。冬休み明けのテストが終わったばかりでこれから春に向かうというのに寒さは異常で、ブレザーの下にセーターを着て手袋とマフラーを装備しても寒さを完全に凌ぐことは出来ないくらいだった。友人の中にはコートを着て登校している人もいたし、俺も来年はコートを買いたいと思うほどだった。俺はマフラーに顔をうずめて駅に向かって歩いていた。急いでいる時はショートカットとして学校の前の大きな公園を突っ切るようにしている。別に家でするべき急ぎの用などなかったが、冷たい雪が降って寒かったため早く帰りたくなり、公園を突っ切ることにした。すると、なんやら仲睦まじい会話が聞こえてきた。
「ちょっと、やーだ。ヒロくん、ここは公園だよ」
「だから、なんだっていうのさー」
「だって、公共の場所だよー、ちょっと恥ずかしい」
「ちょっとならいいじゃん。それにリサだってしたいくせにー」
「本当に意地悪だなー、ヒロくんは」
恐らく近くの大学生のバカップルが噴水の前のベンチでイチャイチャしている声だった。俺はまったくもって女側の「公共の場所」という意見には賛成だったが、あまりのバカップルぶりに彼らの死角に入り、バカップルの会話に聞き耳をたててしまった。
「ねぇ、ヒロくん、しっよ!」
「最初からそのつもりだよ」
えっ? と思った俺は顔を出してその二人を確認すると二人はキスをしていた。あまりにも恥じらいのないキスっぷりに見ているこちらが恥ずかしくなると同時に、そんな状況を見ている自分に嫌気がさした。ため息をしながら目線を外すとびっくりした。目の前に同じ高校の制服を着た女子がいて、まさに目が合ってしまった。おそらく彼女も現場を目撃していて、同じように恥ずかしくなって目を逸らしたのだろう。そして、そんな部分を見られて恥ずかしくなって目がそらせない、というか、俺がそうだもん。そんなことを考えている間も目が合い続けている。なんとも言えずなんともできずただただ目が合っている状態が続く。俺は気まずくなり、そっと会釈をした。すると、同じタイミングで彼女も会釈をした。完全に思考が一緒になっていることに更に恥ずかしさを感じたし、彼女もそうであることを感じた。それが彼女と俺の出会いだった。同じタイミングで目をそらして、同じタイミングで目が合って、同じタイミングで会釈をする。次に起こることはなんとなくわかっていた。俺と彼女は同時に駅に向かって歩きだした。お互いにさっきのことが恥ずかしくて、わざと早く歩いたり遅く歩いたり。しかし、いいことか悪いことか分からないが息が合いすぎて同時に同じことをするせいで距離に差が生まれない。やがて、二人共これ以上一緒のタイミングで行動すると恥ずかしくなってしまうため、そのような距離をわざと空けるようなことを止めてお互いに下を向いて駅まで歩いた。駅に入ると彼女が逆のホームに行くのが見えた。自分の恥ずかしい部分を見た女子が離れていくのに心の中で安堵をした。彼女がいなくなり、落ち着くと、自分が恥ずかしい状態にあることに気がついた。
(公園でイチャイチャしているバカップルを見物していた上にキスシーンを見て、恥ずかしくなったところの一部始終を同じ学校の女子に見られていた……クッソ恥ずかしい!)
いつも乗車口の場所に立って恥ずかしさに浸っていると、目の前に彼女がいた。また目が合ってしまい、お互いに硬直してしまった。その状態がまた続いてしまったが、すぐに向こう側に電車が来てしまって、彼女は去っていってくれた。まったく散々な日だ。自分の痴態を見られるし、変に息が合って離れなれなかったし……と思ったが彼女も同じ心境にあることに気が付いた。彼女もきっと恥ずかしいと思っているに違いない。そう思うと優越感にも似た幸せな気持ちになり、気持ちが落ち着いた。にしても……茶色と赤のチェックのマフラーを巻いて、コートをはおり、セーターを伸ばして手を隠している、スカートの丈はほかの生徒より長めでハイソックスを履いていた彼女、……可愛かったなぁ。
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そんなことがあった日から、別に話したこともない名前も知らない彼女を目で探すようになっていた。それにしても彼女を探すようになってから、自分がこれまでいかに周りを見ずに学校生活を送っていたのかということを感じた。クラスの中心人物が自分の唯一仲良くしている友人の悠斗だったり、一年上のラグビー部の先輩に学校一カッコイイと言われている人がいたり、知らないことを知って、これまで自分が化学と本に高校生活を捧げていたことがわかった。あの日から二日後、彼女は意外なところにいたことがわかった。意外なところとは隣のクラスだったのだ。まさに灯台下暗しといったところだった。同学年で隣のクラスとは言っても、話すことなんてないし、未だに見かけたらお互いあの日のように会釈をする程度、きっと恥ずかしさから来るものなんだと思う、俺側がそうだから……。進展なんてなかったけど、会うたびなんとなく、そんなふうに会釈をするのが楽しかった。俗に言う秘密の共有ってやつなのかも。
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三学期末テスト直前になると二年の文理選択についての一年生全体で集まる説明会がほぼ毎日に組み込まれたことで、彼女を見かけることが多かった。最近では会うたび会釈だけでなく、小さく手を振りあうこともあるようになった。ある日、説明会のあと彼女と目が合い、小さく手を振り合うと、隣にいた悠斗が質問をしてきた。
「なあ、楠雄? 彼女と知り合いなの?」
「うーん? どうだろうね? 多分、知り合いじゃないかな?」
「なにその曖昧な回答?」
悠斗に言われて確かに彼女との関係がわからなかった。共通の知り合いもいなければ、話したこともなければ、名前さえも知らない。一体なんなのだろうか?
「だって、話したことないし名前も知らないから……」
「は!? なんだよ、それ? 俺はてっきりいい感じなんだと思ってた」
「いい感じ? なにそれ?」
悠斗は大きなため息をついた。その後、若干憤りながら言った。
「お前とは小学校からの付き合いだけど、ずっと趣味に没頭して恋愛ごとには本当にウブだよな」
「ちょっと、馬鹿にすんなよ。俺だって恋したことありますー」
「小学校の時のエリちゃんだろ? 小学校の時の恋愛なんて、戯れごとだよ、お前がそう思ってるならいいけどさ。にしても、まあよくも名前も知らないのに会ったら会釈の関係になったな」
「まあ、ちょっとあってさ」
「じゃあ、そんなウブな楠雄に彼女のことを教えてしんぜよう」
「なんですか、お兄さん?」
小学校からのノリだった。とは言っても、真面目に彼女のことは知りたかったから、ちゃんと聞くことにした。
「彼女の名前は富田椋乃さん。文芸部に所属していて、うちの学校じゃ一位二位を争う美人さんだよ!」
「まじで!?」
「更におそらく処女。ヤリマンやらビッチっていう噂は流れないし、告白する奴の話は聞くけど、受理した話は聞かない。まさに処女の鑑だな。処女厨のお前、大歓喜でしょ?」
「失礼な! いや、俺が処女を押すのは汚れを知らないというところで、なんというか別に処女じゃなくても……」
こっちがちゃんと弁解しようとしているのに、切るように悠斗は言った。
「お前の熱弁は聞き飽きた。それはいいとして、彼女はお前とは違って理系だけでなくて、文系の勉強もできて、性格もおしとやか。まさに才色兼備で清廉潔白な理想女子だよ」
「お前こそ、めっちゃ熱弁してんな。なんかあったの?」
「まあ、一回フラレたので」
まったく小学校からの腐れ縁というのは面倒なもんだな。でも、嬉しいことにも彼女のことを知れた。でも、俺には話しかける勇気もないし、突然名前を知っていたら気持ち悪いやつだと思われるだろうから、進展なんてしないのが目に見えていた。それ以上に悠斗の話を聞いて自分との格差を感じて、高嶺の花のように思えてしまった。
……富田椋乃さんか……。
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三月、テストが終わると謎の登校期間がある。新二年生になるための準備期間なんて言われるけど、どーせ内容はプリントに書かれたことを長々と先生が話すだけ。まったくつまらない期間だし、提出書類をそれぞれ違う日に出さないといけないのもめんどくさい。その間の俺が学校に行く理由なんて、化学部の活動と彼女に会釈したり手を振ったりするためだ。長い(長いといっても午前中だけ)説明会の後の化学部の活動時間は長く取れるため色んな実験ができた。俺は部員の中でも最後まで残って実験を楽しみ、いつもどおり実験器具をしまい、化学室を出た。すると、彼女を見かけたのだ、でも様子が違っていて、例のラグビー部のイケメンの先輩と一緒にいた。腕を引かれてそのまま、校舎の裏に消えていってしまった。やはり彼女にはイケメンな彼氏がふさわしいという大きな劣等感が自分を襲った。この時になって始めて、高嶺の花である彼女に恋をしていたことに気が付いた。俺は迷うに迷ったが彼女たちが校舎裏でなにをしようとしているのか、気になりいけないという気持ちを押し殺して校舎裏にそっと入った。
校舎裏の木々がしげる空間の中にある一部だけあんまり木が生えていないところは、あとで聞いた話によると、学校の七不思議の一つで「愛の広場」と呼ばれていた。そこで愛を誓ったカップルは一生連れ添うと言われていた。もちろん、俺は信じていないしそもそもここに来るのが初めてだった。彼女たちはその広場に立ち、先輩が彼女に向かって話しだした。
「ねえ、椋乃さん? ここを知ってる?」
「えっと、学校の七不思議ですよね? 一生連れ添うとかいう」
彼女の声を初めて聞いた。とても澄んだ美しい声で、か細くも芯が一つ通ったような声に感じた。
「そうそう。だから、君に来てもらったの」
二人の雰囲気的に付き合っていないことはわかって安堵したが、それでも先輩が告白することは鈍感な俺の目にも見えている。彼女がなんて答えるかが気になっていた。
「君をここに連れてきたことでわかってると思うけど、俺は君のことが好きなんだ! いろんな女子に告白されたけど、君より気になった女の子はいない。よければ俺の彼女になってくれ!」
先輩の告白は失敗すれば先輩のこれまでの女子人気に泥を塗るようなものだ。俺はそんな先輩の勇気を尊敬しながら、嫉妬をして失敗するように思ってしまった。肝心の彼女は黙ったままでなにかを口にしようとしていたが、戸惑っていた。
「えっと、福川先輩……嬉しいんですが……その……ごめんなさい」
「へ? マジで……俺、フラレたの? そんなことないよな? だって!」
「ご、ごめんなさい!」
「え、だって、彼氏いないよね?」
「いないんですけど、その……気になってる人が……いるんです」
「はぁ!? 誰だよ、ソイツ!?」
「……ご、ごめんなさい」
彼女は覗きをしている俺の存在に気付くことなく、俺の横を通って校舎裏から出て行った。先輩は放心状態でキレ気味だったが、怖いので俺も校舎裏を出た。にしても、彼女は彼氏がやっぱりいなかった上に、うちの学校で一番のイケメンと噂されている福川先輩の告白を受けなかった。俺は小さくガッツポーズをした。でも、気がかりだったのは「気になってる人」が彼女にはいることだった。よくある断り方のように感じるけど、どうしても自分がその人だったらどれだけ良いかを考えてしまう。妄想は冴え渡る一方だ。
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新二年生となる四月、俺は神社巡りをしていた。新学期が始まる前になにがなんでも神に頼みたいことがあったからだ。それは……
「富田椋乃が理系選択で、そして同じクラスになりますように」
ということだった。もちろん、彼女は女子だしさらに文芸部とくれば、十中八九文系に違いない。でも、何もしないで心のどこかで祈ることだけじゃ抑えられなかった。なんというか、人事を尽くすだけ尽くして天命を待つことにしたといったところだろうか? 入学式の1日前の新クラス発表まで心が落ち着かない。だって、ここで同じクラスになったら、二年間同じクラスなんだしね! 発表の日が楽しみで、でも同時に怖くて怖くて仕方がなかった。でも、どんなにそんなに強ばったとしても時間は流れるもので当日となってしまう。ドキドキで一睡も出来なかった。新学期から暗雲が立ち込めている。祈りながら新クラスの書いてある紙が貼り付けられた校舎前の掲示板を覗く。そして、歓喜した! なんと同じクラスだったのだ。嬉しさのあまりで、寝不足の眠気も吹っ飛んだ。そのままのノリで生徒証の更新をしに校舎内に行った。すると、行った先で彼女がいたのだ。彼女は俺を見つけると小さく手を振った。その後、口に手を当てて微笑んだ。その口に当てていないほうの手を自分の目の下を指で指したのだ。俺は横を向き、ガラスに映る自分を見ると、すごいクマがあったのだ。新学期早々、寝不足で不安だったが、彼女がクマを教えてくれた時の優しいまなざしにそんな気持ちなんて忘れていた。
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幸せなときは流れるのは早く、同時に続く期間も短いものだ。いつかはなんて思っていたけど、やっぱり彼女には恋人ができてしまった。にしても、幸せの長さが新学期の頭の二ヶ月だけって短すぎる。相手はあのラグビー部の先輩らしい。一度はフッたけど結局OKしてしまったのかと、落胆した。それを知ってから、彼女と目が合わないようになった。合っても、会釈をすることも、会釈をされてし返すこともできなくなってしまった。目が合わなくなってしまったことは自分が目を合わせに行っていた事を指していて、自分が彼女のことをどれだけ好きで、そしてどれくらい落胆したかを自分自身に自覚させてしまった。彼女との会釈と小さく手を振る関係に満足してそれ以上の関係を求めなかった自分の失敗が明らかだった。彼女も俺が会釈や手を振らなくなったことを察したのか、そういうことをしなくなってしまった。……ああ、自分に彼女が振り向くなんてありえないけど、告白していたらこんなに未練たらしく縁が切れることはなかったんだろうな。
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彼女との会釈がなくなり、一週間が経ち一ヶ月が経ち半年が経った。俺は昔の自分に戻り、聞き耳も立てず部屋の隅で本と化学の参考書をただただ読むだけの毎日に回帰していた。同じクラスの彼女がどんな風に俺を見ていたかはわからない。でも、彼氏持ちとなってしまった彼女がどう俺を思おうが俺にはなにもできないのが現状だった。彼女と目が合うたびドキドキしていた毎日と比べてば、満足できない日々だった。
急激に寒くなった十二月のある日、俺は化学室に居残って、自分の実験をしていた。化学部の冬休み活動中にある個人発表の前の追い込み実験だった。俺が活動しているのは、冬休み前に実験をすませてしまうのが得策だったからだ。五時半まで実験をして片付けを済ませていると、教室に忘れ物をしていることに気が付いた。天気予報が珍しく雪が降るかもしれないというのに、傘を忘れてしまったんだ。今は降ってはいないが、薄暗く曇っている。俺はブレザーの上からコートに腕を通し、マフラーを巻いて教室に取りに行くことにした。自分の教室に戻る間、校舎の至る教室から楽器の音が聞こえた。吹部やオケ部などの音楽系の部活がパート練習とかで使用しているらしい。うちの教室も使われているのかなと思い、ちょっと気まずいと思いながら、教室の様子をドアについている磨ガラスの窓から伺った。すると、自分の机あたりに誰かが一人で座っているのがボンヤリと見えた。机の上になにかを置いているようだったが、とりあえず人がいるので、
「失礼します」
と言って入ると……そこにいたのは俺の机でノートパソコンにタイピングしている彼女だった。おもわず、目が合い「「あっ」」とお互いに声が出てしまった。俺は自分の机の横に掛かっている傘を取った。彼女はそれを座りながら見ているようだった。その時にパソコンの画面が見えたが、彼女は小説を書いていたらしい。俺はなにも言えず、彼女もなにも言わず俺は教室を出て行った。教室から階段まで歩き、下りるようとしたその時だった。
「待って!」
一度しか聞いたことがない女子の声だったがすぐに誰だかわかった。振り向いて確認すると、その声の主はやっぱり彼女だった。彼女は俺が振り向いたことを確認すると、小走りでこっちにやってきた。
「はあはあ」
息が切れていて、心配になって声をかけたかったが一度も話したことがなく彼氏持ちの彼女になんて言えばいいのかまったくわからなかった。
「あなたには誤解だと伝えたいんです……お願いです、話を聞いてください」
彼女が伝えたいことがなんなのかわからなかった。でも、なんやら重要なことだとわかった。
「えっと、なんで……しょうか?」
始めて、彼女と話すにあたってタメ口と敬語のどちらを使えばいいのかもわからなかった。彼女は俺の目を見た。でも、沈黙したままだった。すると、次に彼女はキョロキョロして、周りの様子を伺っていた。彼女が伝えたいことがなんなのかはわからなかったが、人に聞かれたくないことだとわかった。だから、正解かはわからないが気を利かせてみた。
「もしも言いにくいことなら、場所を変えましょうか? えっと、屋上とか……かな?」
すると、彼女はなにも言わなかったが、頷いた。俺と彼女は初めてあった日のように変な間を開けて、屋上に向かって階段を上がった。屋上に出ると、空は薄暗い雲に覆われて、いつでも雨か雪が降り出しそうだった。俺と彼女は屋上にある弁当を食べるなどの生徒の憩いの場になっているベンチに座った、一人分の隙間を二人の間に空けて。
「あの!」
「は、はい」
「えっと……」
彼女は言い出しにくそうだった。なにをどう言えばいいのか出てこない、真っ白になった今の俺の頭ではなにをしゃべればいいかなんてわからなかった。とっさに浮かんだ言葉を出してみた。
「こんな風に富田さんと話すなんて初めてですね」
「……ええ、そうですね」
やはり、気まずいのか、話は続かない。俺は彼氏持ちの気まずい女子となにをしているんだろうか? ため息が出そうになった。帰ろうと思ってベンチにかけた傘を手に持とうとしたら、彼女はまた話しだした。
「わ、私は晝間君と話してみたいって思ってました」
「え、えっと、俺もです。なんか恥ずかしいですね」
「う、うれしいです」
一小節ごとに沈黙があって、感情を噛み締めている感じで辛くて、でも嬉しかった。やっぱり、俺は彼女のことを諦めきれていないらしい。
「あの、本題ですが……」
「……はい」
「えっと、どこから話せばいいのか……」
彼女は悩みながら話しだした。
「去年のこんなふうに寒い日にあなたに会いました。それから、会うたび会釈とかしてましたよね……?」
「うん、そうですね」
そう言われて、もう初めて会ってから一年が経ちそうになっていることに気が付いた。その間には会話は一もなかってけど。
「でも、半年位前にそういう会釈とかしなくなってしまいましたよね……あれってなんですか?」
「えっと……それは」
言葉が詰まってしまった、さっきの彼女のように。俺は一度頭に整理をつけて話した。
「君に恋人ができたって聞いたから……その恋人に悪いなって思って」
自分で言ってから恥ずかしくなってしまった。まるで自分が会釈を続けていれば先輩にヤキモチを焼かせるようだからと言っているように感じたからだ。まるで自意識過剰だ……弁解しようにも言葉がでない。あたふたしていると、彼女は俺の方を見て言った。
「やっぱり、誤解があったんですね……」
「誤解?」
「私には恋人なんていません。というか、いたこともないです」
「そ、そっか……でもなんで俺に?」
「べ、べつに意味なんてないですけど……ただただ……あ、雪!」
雪が降り始めたのだ。俺は彼女と会ったあの雪の日を思い出した。そして、察しの悪い俺でも話を突然そらした彼女の気持ちが理解できた。彼女の頭には雪がのっては、溶けていた。暖かい教室からなにも着込まず制服のまま、ブレザーもマフラーもしていない寒そうな彼女に俺は自分のコートをはおらせた。彼女はコートのフードも被り、表情を隠しているようだったがちらりと見える頬の色は真っ赤だった。俺も真っ赤だったと思う。そのまま、なにも話すことなく燦々と降り注ぐ雪を二人で見ていた。いつのまにか二人の間にあった一人分の隙間もなくなり、お互い体をくっつけて温めていた。冷たい雪は俺と彼女の頬の紅みを冷ましてくれた。彼女は不意に立ち言った。
「そろそろ、帰らなくちゃね! さようなら」
彼女は早歩きで屋上のドアに向かって歩いた。俺はそんな彼女を追いかけてドアの直前で引き止めた。
「そのはおっているコート、俺のだよ……というか、せっかく二人共前進できたんだから……一緒に帰りろ……帰りましょうよ」
「そ、そうですね」
俺と彼女はその日、初めて会釈までの関係を終わらせ、もう一歩進んだ関係になった。二度目の一緒に帰る学校から駅までの道のりは一度目とはまったく逆で尽きることないお互いの話をたくさんした。この時、初めて自己紹介をした。
※過去小説になります