見出し画像

【同人誌解説】借り上げた我褒めは鋭利

はじめに

こんにちは、こんばんは。note初心者の蓮野ねんねです。

初めての投稿が同人誌解説なのは大変憚られるものだとは思いますが、私はこういった解説をしたくて同人誌を制作しているようなもの(?)なので、そこはしょうがないです。

というわけで、一回目の同人誌解説は、私の初制作の同人誌『借り上げた我褒めは鋭利』となります。


作品概要

『借り上げた我褒めは鋭利』は2022年5月8日の第十九回春季例大祭で頒布しました。全16P、本文10Pです。
テーマは「大人と子供」です。これは次回作の『悲劇掲げし喜劇』でも描かれます。

えっ?何で2作続けて同じテーマで描いたかって?

時間無くて『我褒め』だけじゃ描けなかったからだよ!

タイトルとずとまよの関連性

……タイトルの意味が分かりませんよね。私も分かりません!

というのも、当時「ずっと真夜中でいいのに。」さんにハマっていました。ただ、ずとまよさんのEPのタイトルってよく分からない文章なんですよね。
「正しい偽りからの起床」「今は今で誓いは笑みで」「朗らかな皮膚とて不服」「伸び仕草懲りて暇乞い」……

意味が分からない!
でも、語呂が良いんですよね。しかも全て10文字のタイトルなのです。ちなみにフルアルバムだと3文字縛りになっています(潜潜話、ぐされ、沈香学)。

まぁ、というわけでずとまよリスペクトで、タイトルをよく分からない文章にしてみました。
一応解説しておくと、「我褒め」は自画自賛という意味なので、文章全体だと「借りてきた自画自賛は鋭い」になります。

どういうこと!?
当時の私に聞いてください。タイムマシンで会ったときはしくよろ~。


表紙デザイン


『借り上げた我褒めは鋭利』表紙

だいぶ奇抜ですね……。
実は当時製本に間に合わず、例大祭当日の朝にセブンイレブンで10部ぐらいコピーしてきました。そのため、表紙は単色、顔はドアップといった簡素なデザインになっています。

余談ですが、セブンイレブンでコピーする際、なぜか全てフルカラー印刷してしまい、たったの10部なのに5、6000円かかりました。
さらに、例大祭運営と隣のサークルに献本したおかげで、頒布できる数はたったの8部のみという事態になってしまいました。
アクキーは何とか10個ぐらい持っていっていたので、大丈夫だった気がしなくもないです。

しかし、馬鹿極まりないですね……。ばかじゃないのに……。


本文解説

1P目


『借り上げた我褒めは鋭利』3P

さて、本文に移りますが、その前に内題があります。

正直言って、ページ稼ぎの産物のページだと思います。だからか、謎に「スミレ」に関する別名が下部に載っています。特に意味は無いです。

「94円普通切手」があるのは、スミレの絵が載っているからです。センスがよく分からないです。


2P目


『借り上げた我褒めは鋭利』4P

ようやく本文です。
今見ると拙い漫画ですが、当時の私はきちんとしたストーリー漫画を描いたことがほぼ皆無。まぁまぁよくできているんじゃないですかね。

ここから私は3D素体を使い始めます。これにより、ポーズにかける時間が少なくなり、時短に成功しました。

とにかくこのときの私は時間が無いです。
クリップスタジオで制作する前に紙でネームを切ったのですが、コマ割りで大苦戦します。それなので、既存の漫画のコマ割りを模写しました。具体的にはポケットモンスターSpecialとかそこらへんです。山本サトシ先生のコマ割りは構図は見やすくて分かりやすくて大変参考になりましたね。流石プロ。

そんなことをしてたので時間が無いです。しょうがないですね。

菫子がクソデカ溜息するシーンから始まりますが、本当は香霖堂に入っていくシーンから描きたかったのです。しかし、時間もページも画力も無い。そんなわけで初めから香霖堂内部にいて、3コマ目に香霖堂の看板を映すことで、読者に「菫子と霖之助は香霖堂にいる」という状況を絵で説明させるのです。

と、そんな大したことない理論を語りましたが、ストーリー漫画初心者の私にとってはこれが大難しでした。こういった簡単な描写も大変勉強になるのです。ありがたやー。

董子の服装はパーカーに黒タートルネック、そして黒レギンスといったものです。
これは「大学生のダサい服装」を調べたときに出てきた服装でした。多分、菫子の私服はダサいので……

パーカーはアディ……のロゴではなくスミレ。ちょうちょじゃないよ!


3P目


『借り上げた我褒めは鋭利』5P

2022年4月1日から成年年齢が20歳から18歳に引き下げられました。
つまり、この作品は時事ネタというわけでもあるのですが、私自身のメタ的な時事ネタでもあります。
というのも、私が成人したのは2021年度です。2001年から数えて20年ですが、実は私の年度で「20歳で成人する」最後の世代です。私の一つ下の年度(学年)の子以降からは18歳で成人します。

でも、これ一つ罠がありまして、2022年度時点での18歳でちょうど成人する子って2004年度生まれの子たちなんですよね。
えっ?2002年度生まれと2003年度生まれはどうするの……。

2002、2003年度生まれの子供は2022年4月1日になった時点で自動的に成人と見なされます!
つまり、この狭間の世代は誕生日に成人できない子が大多数なのです!既に18歳、19歳になっていますからね。かわいそう。


さて、本題に入りますと、2004年度以降の子供は18歳で成人することになります。
私は気づきました。

「それってつまり高校3年生で成人するんじゃない???」

ある意味そこがトリガーとなってこの作品を描いた気がします。
これまでは大学生の内に成人していた。もしくは社会人として。それは心の覚悟ができている。
しかし、今度からは高校生の内に成人しなくちゃならない。人によっては受験、就職が控えている所に「大人」という要素が絡んでくる。もしかしたら18歳を迎える前と変わらないかもしれないけど、心の持ちようは結構違ってきますよね。

個人的なことを言うと、この作品を初めて頒布した2022年5月8日時点で、私はまだ20歳でした。その2週間余後に誕生日が控えていて、21歳になります。
「20歳の内に初めての同人誌を頒布したい!」
一生に一回だけのはたちイヤー、もう既に形骸化した「20歳での成人」、交錯する思いが執筆の動機になりました。


菫子ちゃんがJKの内に成人することを嫌がる中、霖之助は江戸時代以前ではもっと早い年齢で成人儀礼をしていたことを伝えます。霖之助特有のズレた理論ですね。論点をすり替えています。

4コマ目で菫子ちゃんが「ウワ~」と嫌がっていますが、藤子不二雄Ⓐ先生リスペクトです。原稿中にご逝去されたので私なりの哀悼の意を込めて。まんが道大好きです!


4P目


『借り上げた我褒めは鋭利』6P

さて、このページだと菫子ちゃんが危ういという回想が入ります。

実際、深秘録の最後の霊夢ルートで、追い詰められた菫子ちゃんは自爆しようとします。追い詰められたゴキブリが最期に飛べることに気づくように、最期の力を振り絞って菫子ちゃんは輝きを残そうとします。

……これって現代人っぽくないですよね。滅びの美学というか、武士道に通ずる侍の価値観に近いです。

このことから、菫子ちゃんはシニカルな一面もある一方、自分に何かあったら命は絶ってもいい、という死生観があるのではないかと考えました。自らの醜い姿見せなさそうじゃないですかね。

大人の魅力が分からないと、菫子ちゃんは心中しかねない、その言葉が嘘ではないと察した霖之助は、周りの大人「大人観」を聞くよう提案します。
それによって、凝り固まった自らの「大人観」の考え方が変化して昇華していくかもしれない、霖之助はそう考えています。

これは私の実体験です。大人観ではなく死生観の方なのですが、色々な作品から様々な死生観を知ることで、自らの死生観を昇華させることができました。
特に「ペルソナ3」からの影響が絶大です。そもそもがメメントモリがテーマのペルソナ3は、エンディングにかけて死生観がモロに関わってきます。
そこで得た死生観とは「周りの人々との関わりによって自らの生は肯定される」です。つまり、孤独は死です。
コミュシステムというメタ的なゲームシステムを、作品性に昇華させたペルソナ3は本当に良い作品です。


5P目


『借り上げた我褒めは鋭利』7P

周りの大人と聞いて、菫子ちゃんは外の世界よりも幻想郷の方の大人に頼ることにします。

1コマ目は「絶望先生」や「かくしごと」でお馴染みの久米田康治先生式の単語羅列ですね。ちなみに、私の次回作では3段ぶち抜き立ち絵を描きますが、これも久米田先生リスペクトです。絶望した!

それにしても、菫子ちゃんはひ○ゆきみたいなタイプは一番くさしていると思いますね。「上から言ってんじゃね~!!」とか言ってそう。
なんで摩多羅隠岐奈が2回出てるかは知りません。原作でも2回出てたし多少は……。

というわけで、菫子ちゃんは幻想郷の面々に大人観を聞くことにし、香霖堂を去ります。4コマ目の出口が雑で面白いですね。


6P目


『借り上げた我褒めは鋭利』8P

なんとここから4コマパートに移ります。衝撃ですね。

というのも、先述の通り時間が無い中の制作だったのですが、当初の計画だと全て4コマの予定でした。つまり、ストーリー漫画は描かない予定だったのです。
……しかし、気づいたのです。4コマだと1Pにつき8コマも描かないといけない!馬鹿なの?

その名残で幻想郷の面々に大人観を聞くパートは4コマとなっています。一応、菫子ちゃん視点でスマホでメモ取りながら聞いている感じです。でも、菫子ちゃんきちんとメモしてないよね?


さて、霊夢と魔理沙の大人観は正反対になっています。
霊夢は大人は「気づいたらなるもの」、反対に魔理沙は大人は「努力してなるもの」であると。まぁ、ここについてはお察しの通り、原作中でのレイマリの描写に対応しています。
霊夢は天才型であり、魔理沙は努力型です。しかし、私の作中だと過程は違えど結論は同じで、「一人前の大人になりたい」という気持ちはあります。
レイマリは俺のジャスティス?それはそう。


7P目


『借り上げた我褒めは鋭利』9P

ここからはポンポンと幻想郷の面々に聞いていきます。

射命丸文は新聞記者という目線から語っています。きっと長い寿命の中で、自他含め色々な物を見てきたと思います。彼女は天狗社会という組織からは逃れられないものの、その範囲内で独創性溢れることをしたい気風があると考えています。
尤も、その成果が窓拭きに使われているのはかわいそうではありますが……。自業自得ですね。

華扇ちゃんは模範的大人として描いています。『茨歌仙』でも先生みたいな目線でしたからね。説教はご愛嬌です。

針妙丸はまだ子供なのとお椀と絡めて、正邪はおそらく豊聡耳神子のようなタイプの人物が苦手だと思ったのでそのようなことを言わせました。

早苗さんは奇天烈なことを言わせとけばいいので、少し時代観がズレた歌詞を歌わせました。余談ですが、漫画『みゆき』の最終回ではこれの全歌詞が載っているみたいですね。

マミゾウさんはひ○ゆきみたいなことを言わせました。彼女は外の世界にも通じているので情報リテラシーの概念は理解していると思います。

阿求は自らの特異体質からの大人観を語っています。これはどちらかというと死生観に近いですが、彼女の人生からしてそういう考えに至るのは自然ではないでしょうか。
次ページに橋渡しをして終わりです。


この作品で一番やりたかったのが、幻想郷の住民に自らの考え方を語らせることです。毎度ながら時間が無いので、10人にも満たない数しか描けませんでしたが、次があるなら色んなキャラで描きたいですね。

8P目


『借り上げた我褒めは鋭利』10P

丸ごと妹紅さんパートです。

ここで妹紅は菫子ちゃんの大人観に決着を付けようとします。
まずは大人観の指摘。菫子ちゃんはもう既に達観した精神を持っていて、原作でも世界をシニカルに捉える側面が見られます。ここから菫子ちゃんの大人観は固定概念に囚われていると考えました。

そして、それを指摘する一番の人物が藤原妹紅というわけです。不老不死、つまり永遠の子供が大人観を騙るという矛盾が、菫子ちゃんの大人観を変化させます。

だから、「見た目と大人が直結することは机上の空論に過ぎない」と言っているんですよね。これはつまり、菫子ちゃんが高校生の内に成人してしまう事実を元気づけていることになっていて、たとい見た目が大人っぽくなくても、もっと感情的に考えて大人になるべきでは?と問いかけています。


9P目


『借り上げた我褒めは鋭利』11P

ここは見せ場ですね。

妹紅の不死鳥の性質から「熱く」、そしてときに箍が外れる性格から「馬鹿になれ」という大人観を考えました。

実は、この場面はずっと真夜中でいいのに。の『ばかじゃないのに』が結構参考になっています。EP盤『伸び仕草懲りて暇乞い』及び3rdアルバム『沈香学』に収録されている楽曲です。失恋の曲なのかと思いきや、ボーカルのACAねさんの苦悩が込められた楽曲だったりという噂があるらしいです。知らんけど。

ずとまよの楽曲には英訳タイトルが公式で付けられているのですが、『ばかじゃないのに』の英訳タイトルは「Stay Foolish」です。ステイゴールド産駒に同名の馬がいましたね。

あれ?というか意味が逆じゃない!?

「Stay Foolish」はかの有名なスティーブ・ジョブズが発した名言で、直訳すると「馬鹿になれ」です。
丸っきり逆です。これはびっくり。

ともかく、この楽曲からインスピレーションを受け、『我褒め』の隠しテーマ及び隠しサブタイトルが「Stay Foolish」になりました。

あと、『ばかじゃないのに』の一番の歌詞が「これは二十歳(ママ)じゃない」から始まります。丁度20歳の私はその歌詞にも感銘を受けたと思います。

構図的な話ですと、妹紅特有のポッケに手を入れるポーズをしながら決めてもらいたかったので、ポーズ探しに苦労した覚えがあります。逆光バチクリ輝かせててカッコイイですよね。


10P目


『借り上げた我褒めは鋭利』12P

ラストページです。菫子ちゃんが香霖堂に帰ってきた後ですね。

ここでの菫子ちゃんの言動から、妹紅の大人観に影響を受けたことが分かりますね。それでいて、妹紅には達成できない「死」を念頭に置いた大人観は、当初の目的の「周りの大人の大人観を聞いて自らの大人観を昇華させる」ことを成していると言えます。霖之助の目論見は成功したわけです。

それでいて、霖之助は乾杯をしようとしますが、菫子ちゃんは「未成年ではないけど20歳未満だから」と拒否します。多分このやり取りって現実でもあるんでしょうね。大人と子供という境界が一番曖昧な瞬間だと思います。お酒は20歳になってから!


おわりに

以上が解説でした。
解説というより雑記みたいな感じでしたが……。

同人誌作るときって結構色々なことを考えていると思います。
ある意味、自分の手の内を明かした感はありますが、まぁしょうがないです。

だって、解説がしたかったんだもん!!

そんなこんなでnoteで色々書きたいと思います。


ありがとうございました。てんきゅー。

描き下ろし我褒め董子ちゃん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?