夢なんて持たなくていい ~どんな自分になりたいか~
<感じたこと>
「夢ってかっこいいなぁ」
率直な僕の気持ち。
今、僕の周りには
「『夢を語る空間を作る』をコンセプトにラーメンを提供する人」
「ゴミ拾いをおしゃれにして、環境問題を訴えている団体の代表」
「大食いを武器に多くの飲食店やお店をアピールする人」
など、「自分の役割」を明確にしている人がたくさんいる。
そんな人達に囲まれた場所に身を置いたときに強く感じたことがある。
「自分も”何か”しなきゃ…」
そうして過去にはギターや平和教育、ファシリテーションの勉強・イベントなど、色々手を出してきた。
でも、どれも形にならなくてやりっぱなしのままになっちゃった。
<自分の過去と現代を結びつける>
外出自粛を機に本を読んで普段見ない動画を見るようにしているのだが、確かになと思ったことがある。
「この世界は飽和している」ということ。
情報はネット環境さえあればいつでもどんな情報でも手に入る。
好きなYoutuberの動画は布団の上で見れるし、TwitterやInstagramなんて写真を撮った直後にできる。
もっと言えば、家にいながらお金を動かし、ラグの差はあるものの欲しい物なんて手に入る。
よって、大抵の「僕のやりたいこと・欲しいもの」はすぐ手に入ると思っていい。
だったら「夢」なんて無理に持とうとしなくていいかなって思う。
それより「どんな自分になりたいか」、そこを強く考えた方がいいと思う。
今何か大きなことを成し遂げたり、カッコつける必要なないのかなって。
今ある、「大学卒業」「デザインの勉強」が先かなって。なんでもやろうとしたって全部中途半端になっちゃうから。器用じゃないから。
「夢」なんて気合い入れなくても、「人を笑顔にしたい」とか「毎日楽しく生きたい」とか、そんなんでいいじゃん。
僕は「誰かの広告になりたい」っていう抽象的な想いを持ってようかな。
その辺はまた別の機会に整理していきますかね。
じゃあ次は、「みんなといることに飽きた自分」でいきますか。
それでは、またね。