今さらながら「ミオスタチン遺伝子」の現論文を読んでみた

ある程度競馬に詳しい人なら「ミオスタチン遺伝子」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?サラブレッドの遺伝子解析をすることである程度の適正距離を把握できてしまうという研究であり、あくまで経験則的な議論にとどまっていた血統論や配合論について科学的な知見が得られる可能性を示唆してくれる素晴らしい研究だと思います。

聞いたことがないという人のために簡単に説明しておくと、サラブレッドの筋肉の発育に関わるある遺伝情報にT型とC型があり、これをミオスタチン遺伝子と呼びます。子どもが生まれる時にはそれを(血液型と同じ要領で)両親から一つずつ引き継ぐわけですから、可能性としてはT/T型C/T型C/C型の三通りがあります。C型を持った馬の方が筋肉の発育が良いことが知られているので、T/T型は長距離、C/C型は短距離に適正を持った馬が多く、C/T型はその中間であると言われます。
最近では、実際に日本でもレース選択の際にミオスタチン遺伝子を参考にする関係者の方もいるようで、2024年の函館2歳Sを勝ったサトノカルナバルはミオスタチン遺伝子がC/C型であったことから1200mのレースに使われたことでも話題になりました。

このミオスタチン遺伝子についてはネット上にも色々な記事があります。おかげで僕を含めた一般の競馬ファンもその存在を知ることができたわけですが、その中でよく「C型が広まったのはNearcticからであり、それ以前の種牡馬はほとんどがT/T型だった」ということが言われます。NearcticはあのNorthern Dancerの父なので全くの予想外というわけではないのですが、Nearcticの血統表を見てみても昔の欧州の有名な馬で占められているのであまりピンと来ていませんでした。サラブレッドのムキムキのパワー要素は米国由来であると考えると、むしろ「Northern Dancerの母父Native DancerがすでにC型を持っていてそれがNorthern Dancerを通して広まった」と言われた方がしっくりきます。しかし、このNearctic説は競馬ファンの間である程度有名な事実のようになっているようで、Nearcticが起源かどうかで喧嘩している人まで見かけました。

そこで、今回はこのNearctic説の原論文を読んでみて、Nearctic説がどこまで信憑性があるのか、本当にそれまでの種牡馬にはT/T型しかいなかったのか、ということを考えてみようと思います。
(タイトルにはミオスタチン遺伝子の原論文と書いてますが、実際は遺伝子自体の原論文は別です。すみません)
僕は生物系の学問の専門家というわけではないので色々用語等おかしいところがあると思いますがご容赦ください。

論文は以下のNatureのページからダウンロードできます。


論文の概要

この論文の目的は、C型遺伝子の起源を解明することです。そのために、以下の三つの分析を行っています。(話の流れのために論文とは順序を入れ替えています)

  1. 19世紀ごろに活躍した、イギリスの有名な種牡馬13頭のミオスタチン遺伝子を調べる

  2. 現代でいい成績を残した競走馬100頭ほどの父系を辿り、C型とT型に偏りのある父系を調べる

  3. サラブレッドに限らずあらゆる地域の在来種のウマについて、ミオスタチン遺伝子の分布を調べる

つまり、1. と 2. の分析を組み合わせて議論することでどの時代からC型が普及し始めたのかを特定しようというわけです。また、3. の分析からC型の起源となるウマの種が推測できます。それぞれの分析については後でもう少し詳しく説明しますが、その前にこれらの分析で得られた結果を元にしたこの論文の主張を書いておこうと思います。

主張

  • 19世紀までの有名な競走馬にはC型を持つものはほとんどいなかったが、NearcticからC型を持つ種牡馬が現れはじめて、その息子Northern Dancerの影響で世界中に広がった

  • C型のミオスタチン遺伝子の起源はイギリスの在来種である

ここで注意すべきことは、この研究ではNearctic自体のミオスタチン遺伝子を調べたわけではないということです。昔の種牡馬について遺伝子を解析したのはあくまでイギリスの馬13頭のみであり、その中にNearcticは入っていません。それなのにも関わらずなぜNearcticがC型を広めた種牡馬であると主張しているのか、そのロジックをもう少し詳しくみていきましょう。

C型が広まり始めたきっかけの種牡馬は?

上で挙げた3つの分析のうち、はじめの2つはいつC型が広まり始めたのかを調べるためのものです。まず、18世紀前後のイギリスの有名な種牡馬(Bend Or (1877), Corrie Roy (1878), Donovan (1886), Eclipse (1764), Hermit (1864), Hyperion (1930), Ormonde (1883), Persimmon (1893), Polymelus (1902), St Frusquin (1893), St Simon (1881), Stockwell (1849), William the third (1898))のミオスタチン遺伝子を調べています。これについての結果は単純で、全てT/T型であったとのことでした。つまり、20世紀前半までのイギリスの名種牡馬はT/T型で占められていたと予想することができます。これには、当時のイギリス競馬が長距離重視であったことが主な原因であると思われます。

ということで、C型が広まり始めたのは(少なくともイギリスでは)20世紀中盤あたりということになります。そして、現在の主流血統のうちMr. Prospector系を除くほとんどの血統はNearco (1935)の直系になります。Nearcoは歴史的な大種牡馬で、その直仔の中から特にNasrullah (1940)、Royal Charger (1942)、Nearctic (1954) → Northern Dancer (1961)の3つのラインがとんでもなく繁栄しています。
そこで、Nearco直系のどれかからC型が広まったという仮説を立てます。そして、現在の優秀なNearco系サラブレッド97頭(その内C/C型56頭、T/T型41頭)がどの父系に属するかを調べていくと、Nearctic系のみC/C型を持つ馬が有意に多かったという結果を得ています。
(「有意に多い」というのは統計学の用語で、偏った結果が単なる偶然である確率が十分低いという意味です)

以上の分析から、20世紀前半まではT/T型がほとんどであったが、Nearcticを皮切りにC型を持つ種牡馬が現れ始め、Northern Dancerが世界中にそれを広めたと結論づけています。

さて、この結論にはどの程度信憑性があるでしょうか。
まず、NearcticがC型を持っていたということについての根拠は薄いような気がしてしまいます。今回の研究で確かめられたのは、(Nearco系の中では)Nearctic系のどこかからC型が広まり始めたということだと思います。Nearctic自身は優秀な種牡馬ではあったものの、現存している父系はほぼNorthern Dancerの直系のみです。つまりNearctic系≒Northern Dancer系なので、そうなるとNearcticではなくNorthern Dancerの母系からCを得た可能性もあるわけで、これだと僕の個人的なイメージと一致します。
そしてもう一つの疑問として、Mr. Prospectorを除くのははどうなのかと思いました。Mr. Prospector(いわゆるミスプロ)は言うまでもなくアメリカのパワー要素の強い種牡馬で、この馬がCを持つ可能性も十分にあると思います。さらに、ミスプロの父父はNative Dancerなので、ミスプロのミオスタチン遺伝子が分かれば上のNearcticかNorthern Dancerか問題についても有益な情報が得られるかもしれません。そのためにもミスプロについても検証してほしかったなと思います。

以上で一応Nearctic関連の話はこれで終わりですが、この研究では「Cはそもそもどの種のウマに由来しているのか?」ということについても議論しています。それに関連するのが上で述べた三つ目の分析です。これは僕がこの論文を読む元々のモチベーションとはズレるのですが、読んでみるとこれもなかなか面白く、今まで話してきたこととも関係ありそうだと感じたので、ここからはその話に移ろうと思います。

C型遺伝子の起源について

この論文では、世界中のいろいろな種類の馬のミオスタチン遺伝子の分布を調べていて、わかりやすく表にまとめてくれています。

Cited from [M. Bower, B. McGivney, M. Campana et al. Nat Commun 3, 643 (2012)]

表の左端が馬の種別名で、その隣が生息地域です。右端にはC型とT型の含まれる割合が書いてあります。表をみると、Cが比較的多く含まれている種をいくつか発見することができます。

サラブレッドのC型の起源を特定するために、この論文では一つ仮定を置いているようです。それは、サラブレッドは17世紀中盤以降は他の種別の馬と交配されなかったということです。もしこれが正しいとすると、当時のサラブレッドはほぼイギリスにしかいなかったので、イギリスに生息する馬もしくはかなり近い馬からCが入ってきたと考えることができます。そこでもう一度上の表を見てみると、スコットランドに生息するShetlandという馬がC型を50%程度の割合で持つことがわかります。このことから、この論文ではShetlandからCが入ってきたのではないかと言っています。

ただ、上の表を眺めていると圧倒的な割合でCを持つ馬がいることに気が付きます。下から2番目にあるQuarter Horseというやつです。クォーターホースというのはアメリカの競走馬の一種で、サラブレッドより短い1/4マイル程度のレースを走る馬です。このクォーターホースが実はC型の起源だという可能性はないのでしょうか?

実はこのクォーターホースには色々不明瞭な噂があります。こういう話をしてオカルトだと思われると嫌なのですが、昔のアメリカのサラブレッド生産の中でクォーターホースがかなり入ってきたのではないかという噂があって、アメリカンダミーと呼ばれていたりします。実際当時のアメリカの血統管理はかなり杜撰だったらしく、イギリス競馬界が海外血統を締め出したジャージー規制もこういう話が一因だったという説があります。このクォーターホースの影響と受けているのではないかとよく言われているのがNative Dancerです。このことを先ほどの議論と合わせると、あながち単なる噂とも言えないのではないかと思ってしまいます。

そもそも、ShetlandがC型の起源とすると、17世紀前半辺りにサラブレッドがShetlandからCを得て、そこからスピード革命までの300年ほどの長距離レース重視時代を淘汰されずに生き残ったことになります。その間はこの論文で示されているようにT/T型を持つ馬しか種牡馬として評価されておらず、繁殖牝馬としてもいい種牡馬はなかなかつけられなかったでしょう。その中を300年生き抜いてNearcticで華開いたというのがこの論文のシナリオなのです。それならば、起源がクォーターホースかShetlandかは置いておいくとしても、アメリカ血統の中でC型が受け継がれてきたと考える方が自然だと思えないでしょうか。

いずれにしても、ShetlandをC型の起源と断定するほどの根拠はないと思ってしまいました。ミオスタチン以外の遺伝子研究でこの辺りがわかっていたりするのでしょうか。

まとめ

とても興味深い論文で楽しく読ませていただきましたが、やはりこういう話で完璧な答えを得るのはかなり難しいなと感じました。昔の話なので血統書が間違っている可能性とかも考えだすとキリがありませんね。昔の馬のことを一生懸命考えたところで今の馬の生産の役には立たないだろうしこれ以上深掘りする研究は出てこないような気がしますが、やっぱり血統はロマンなので今後の進展にも期待したいところです。

参考文献

Bower, M., McGivney, B., Campana, M. et al. The genetic origin and history of speed in the Thoroughbred racehorse. Nat Commun 3, 643 (2012).


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