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THE BLUE HEARTS
クソッタレの世界
すべてのクズどものため
キ〇〇イ扱いされた日々
当時の僕にとって、ブルーハーツの歌詞はあまりに過激だった。
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中学2年生のとき。今から25年前。僕は母親が運転する車で塾に向かっていた。いつもは電車で行くのだが、その日は大雨だったからだ。
自分から「塾に通いたい!」と言ったくせに、「なんでこんな日に塾へ行かなきゃいけないんだよ」と逆ギレしていた。文字通り横殴りの雨。そんなときラジオからある曲が流れてきた。THE BLUE HEARTSの『終わらない歌』だ。
終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように
いきなりサビからはじまるこの曲。日常生活でも「クソッタレ」「クズども」とはなかなか言わないし言われない。思わず母親に「これ誰の曲!?」と尋ねた。
母親は少し間を置いてボソッと答える。
「ん〜、たぶんブルーハーツ」。
今思うとブルーハーツは過激な歌が少なくないので、親としてはあまり聴かせたくなかったのかもしれない。母親の妙な "間" がそう思わせた。
そんなこととは露知らず、次の日、僕は駅前のCDショップでTHE BLUE HEARTSのアルバムを買った。何のアルバムだったかは覚えていないが、猛スピードで自転車をかっ飛ばし帰路についたことは覚えている。
それまでは、愛や恋について歌っている曲や、頑張ろうぜ的なメッセージが込められた曲しか聴いてなかった(もちろんそういう歌も素晴らしいのだが)。そんな僕にとってブルーハーツの曲はあまりに衝撃的だった。
「死んじまえと罵られて このバカと人に言われて(ロクデナシ)」
「月曜の朝の朝礼で手首をかききった(英雄にあこがれて)」
「爆弾が落っこちる時 全ての未来が死ぬ時(爆弾が落っこちる時)」
「キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ(チェインギャング)」
※()内が曲名
ほら。結構やばいでしょ。
それから近くのレンタルショップでブルーハーツの曲を借りまくり、MDに収め、毎日のように聴いていた。たぶん全曲コンプリートした。
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時は流れて、大学4年生の頃のお話。
アメフト部だった僕は、練習風景が収められているDVDを片手に、毎晩のようにコーチの家へ行った。そこで深夜までミーティングをする。ディフェンスリーダーという立場上、全てのダメ出しを僕が一手に引き受けた。
電車で行きにくい場所だったこともあり、車で通っていた。コーチの家が見えてくると心臓がキュッとなる。何度行っても緊張する。また夜中まで1vs1でミーティングするのかと。できれば別の人に押し付けたい。なんで毎日オレだけ……と思っていた。
コーチの名誉のために言っておくが、理不尽な人ではなく、理路整然と改善点を指摘してくれる極めて優秀な人だった。今でも仲良くさせてもらっており、尊敬している。だが当時の僕にとって「きつい」時間だったことは事実だ。
コーチの家の近くのコインパーキングに停車して、深呼吸をする。そしてiPodで一曲聴いて、自分を奮い立たせる。戦場に行くぞ、と。頑張れ自分、と。そのときによく聴いていたのがブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』だった。
栄光に向かって走るあの列車に乗っていこう
*
ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない
*
あなたが生きている今日はどんなに素晴らしいだろう
練習終わりのクタクタな状態でコーチと毎日深夜までミーティングをして、睡眠時間もそこそこに次の日も練習へ向かう。『TRAIN-TRAIN』を聴くたびにそんな光景を思い出す。
僕は今年で39歳になるが、あのときよりも辛い経験はまだない。あのときよりも心が奮い立つ経験もまだない。恐らく今後もないだろう。学生時代の部活動とはそういうものである。
音楽の何がいいって、当時を鮮明に思い出すこと。感情だけでなく、匂いや音、触感を思い出すことすらある。コインパーキングのあの草っぽい匂い、コーチ宅の玄関ドアを開けたときのズチャッという独特の音。『TRAIN-TRAIN』を聴くたびに、昨日のことのように思い出す。
不思議だなー。
形はないけど「あの時代を共に生きた戦友」みたいな感覚。あのとき僕の隣には間違いなくブルーハーツがいた。
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で、そろそろ締めに向かおうと思ったのだが、ふとこんなことを思った。
ブルーハーツの曲のように、自分がつくった作品が誰かにとって「あの時代を共に生きた戦友」になってくれたらすごく嬉しい、と。
自分には何ができるだろう? と考えてみた。僕はライターなので、強いて言えば「書くこと」はできる。
たとえば、自分が書いた記事やコラム、あるいはエッセイによって、誰かの心が救われたり、奮い立ったりする。その人の中に僕の文章が生き続ける。10年後に振り返ったとき「あの時代を共に生きた戦友」になる。
そうなってくれたら最高だ。
当初はブルーハーツ愛だけ語ろうと思っていたが、書いていくうちに「書くこと」の素晴らしさを再確認した。
じっくり時間をかけて文章を書く。書いては消して、を繰り返す。再び考える。また書く。それを読んでくれた人の心に残る。
あぁなんて素晴らしいのだろう。
タイパ、コスパ、集客、マネタイズと、いつも現実的な話ばかりしてすみません。本当は僕もそれらを取っ払って好きなことだけ書きたいのですよ。
というわけで、僕の偏愛は「書くこと」です。これからも書き続けていきたいです。ブルーハーツ愛を語ろうと思ったら、予想もしてなかった結論に着地した。最後に急ハンドルを切ってしまった。まぁそれもまた書くことの醍醐味ということで。