『A Beautiful Mind』を観て、人生を失敗することを少しだけ恐れなくなった話。
映画を見終わった後って、どうしてあんなに充足感があるんだろう。エンドロールをぼーっと眺めながら、輝くようなエネルギーが身体の芯から指先まで広がって、心が動かされるのを感じていた。それはなにかとても大事な瞬間だと思った。逃しちゃいけない気がして、慌てて言葉にすることにした。言葉にして、形に残して、自分が何かを感じた大事な一瞬がそこにあったということを、忘れないために。
ネタバレはするつもりはないので、もしこの映画に興味を持った人がいたら、是非見て欲しい。とても面白かった。
見終わった後、色んな感想が頭をよぎった。私もこのまま、つらい気持ちを抱えたまま物理の勉強を続けてたらいずれ主人公のようになるのだろうか。アインシュタインもそうだったように、学問を極めている人はどこかしら人間的にかけている部分があって、だからこそ成し遂げられるものがあるのだろうな。私は天才じゃないからノーベル賞は取れないなあ、すごいなぁ。いや、待って、違う。私が今感じているこの充足感は、そのどれから来るものでもない。
自分語りになってしまって申し訳ないが、今この文章を読んでくれているあなたが、私のことを知っているかどうかわからないので一応話しておく。私は現在3回目の大学2年生を送る22歳だ。周りに比べるとかなり時空が歪んでしまっているが、こんなふうになってしまった理由はふたつある。ひとつは単純に勉強ができなかったから。そしてもうひとつは、自分のやりたいことが分からなかったから。やりたいと思っても、本当にそっちへ進んでいいのか不安で、ずっと立ち止まっていたからだ。
いつからか、何か新しいことをするときはいつも、本当にそのやり方でいいのか?本当にそれを続ける覚悟があるのか?時間の無駄ではないのか?と、ぐずぐす考えてしまう癖がついていた。元から飽き性なのも合わさって、もはやなにも続かない。
ここ最近もそうだった。3月下旬からほぼ全く外に出ていない私は、何もすることがなくて、ゲームして、勉強して、お腹が空いたら何かつまんで、ぼーっとして、またゲームして、を毎日繰り返していた。物理の勉強をしていても、勉強した内容を自分のウェブサイトにまとめるべきか、それは意味がある行為なのか、後から見直しやすくなったりするのか、それとも時間の無駄なのか、やる前から悩んだりした。気がつけば、私は何に対しても無気力になっていた。自分でも嫌になるほどに。
映画とは素晴らしいものだ。良い映画は人生のお手本だと言うけれど、誰かの経験を追体験し、様々な考え方や生き方を学ぶことができる。『ビューティフル・マインド』も良い映画だった。もちろん、観る人によって受け取るメッセージは異なってくるだろう。
他の人にとっては当たり前かもしれないけど、私が感じたのは『人生は長くて予測もできなくて、色んなことが起こる。だから、布団の中で丸まってないで、何か行動を起こそう』ということだ。何かやってみたとして、それがどんな結末を呼び寄せるのかなどは想像もつかないことなのだ。それは、間違うことを怖がって、何もしないで、人生の残り時間が0になるまでうずくまっていることより、もっとずっとずっと面白いはず。たくさん間違えばいい。何度も踏み外して、時間を無駄にしてもいい。何かしよう。例えそれが、人生をめちゃめちゃにして絶望することになっても、生きていれば素敵なことは思わぬところからやってくる。恐れる必要はないのだ、と。
明日からの私は、少しだけ、変われるだろうか。
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昨日、シュタインズゲート0を友達と見直したのですが、アマデウスが言っていました。一見無駄と思えるようなことが『偶然を産み、意味のないものに必然を与え、複雑に絡み合って奇跡のような出来事が生み出されていく』のだと。多くの時間を数式とのにらめっこに費やす私にとって、その式の意味を考えるのは当然なのですが、意味を考えてもすぐには答えの出ないことがあることを、改めて学びました。というか、いつから忘れていたんでしょうね、、、。