人に期待するのはやめよう。
誰かと付き合っていれば、その人に何かしら期待してしまうことは当然なことだ。
同棲しているのであれば、自分が帰ってくるまでの間に家事を済ませていてくれるだろう。とか。
はたまた、自分の誕生日だったら何か素敵なプレゼントを用意していてくれるかもしれない。とか。
またこれは恋愛中の人に限ったことではない。
仕事でも家族でも人は生きている間に絶対に他人に対して期待をしてしまう。
けれど人に期待するということはその期待を裏切るような事があったときに期待した本人は失望してしまうのだ。
人に期待するのはもうやめないか。
僕はこう言いたい。
人に期待するから裏切られるし、失望もする。
最初から期待していなければそんな気持ちにはならないのだ。
また人に期待するということは、言い換えると人にこうして貰いたいという自分の願望だ。その願望を人に押し付けている。
本来、人は自分とは違う生き物だ。考え方も生活スタイルも容姿だって違う。違うものだらけだ。
だから人に期待したからといって自分の期待通りになることはないのだ。
自分とその人の違いを受け入れて、人にやってもらいたいと思うことはまず自分が人にする。常に利己的にならず、利他の心を忘れない。その方が自分の心だってずっと楽だ。そして時に自分がしたことに対して感謝されたら嬉しい。だが、その時も感謝されることを期待してはいけない。
僕は人に期待しない。
それは冷たいことのように聞こえるがそうではない。人に期待するよりもまず、自分が人に対して何かしてあげたいと思っているのだ。
人にしてあげることの大小は関係ない。
人に何かしてあげた時の嬉しさを感じたエピソードがある。
この間、自分の革靴を磨いているとき、父親に自分のやつも磨いてほしいと頼まれた。2足多く磨くことになるから当然時間はかかるが僕はちゃんと磨いた。何なら自分の革靴たちよりも父親の革靴の方を入念に磨いていた。面倒だなと思わなかったと言えば嘘になる。でも磨いているうちにどんどんと楽しくなっていった。
父親は60歳を過ぎているが、今でも元気に会社で働いている。健康でいてくれることに感謝だ。それとこれまで僕ら家族を養うために必死で働いてくれた。そういった過去と現在の父親に対して感謝の気持ちが革靴を磨いているうちに込み上げてきた。僕はその気持ちを革靴に込めながら磨いた。ピカピカになった革靴を見て父親は「ありがとう」と言ってくれた。
こちらこそ「いつもありがとう」だ。