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一月末の香港&LAお手伝い仕事、現地雑感
何かと海外に縁の深い日々だ。
20代初めにNYに語学留学し、現地でバイト生活をし、その後は、年に数ヵ月海外を放浪するといった気ままな暮らしを続けたのち結婚。結婚後は夫の駐在に伴い台北とバンコクに10年間暮らし、子育てをした。もちろん帰国後も未知の世界への旅心は抑えきれず、異国と日本を行ったり来たり。そしてここ数年は、海外でビジネスの簡単な(私は何のスペシャリストでもない、残念な人生)お手伝いを請け負い、一年の三分の一くらいは海外にいる。
なんとも異国に縁のある人生となった。若い頃には旅行記を新聞掲載いただいたり、エッセイを出版したりしたが、久しぶりに海外滞在雑感を。
●まずは香港。大好きな猥雑感がなくなり物価も高い平たい街に
香港には、我々シニアバックパッカーのバイブル「深夜特急」に感化され数回足を運んだ香港。あの当時は、香港映画もさかんで、それらの映画のように、香港には怪しげな路地がたくさんあり、うっかりすると別の世界に連れ込まれてしまうかのようなちょっと危なく、でも人々がそれの中でたくましく生き生きと暮らすような雰囲気があった。旅行者の勝手な感想だが、街や人に凹凸があり、歩いていて飽きることがなかった。もちろん日本が元気な時代、値段ではなく味に目が点になるような美味しいおかゆを食べながら、様々な表情を持つ街並みを楽しんだ。とんでもない資産家もいようだし、それはどんなお金かわからないけれど、ビクトリア・ハーバーから眺めるきらびやかな夜景は富と闇をきれいに映し出しているようで、なんだか手の届かない夢や幻に満ちていた。
そして本当に私の個人的な感想だが、香港は今は露店も少なくなり、どこに行っても同じようなショッピングセンターばかりが並び、物価も高い、平板な街になった。
●現地学校では南京大虐殺のあると聞く
今回現地の仕事で以前からご一緒していた現地在住の日本人女性と長い時間を共にした。家族のこと、香港のこと、趣味などなど話が尽きない。彼女はオーストラリア留学時に知り合った香港人男性と結婚し、こちらで小学生と高校生のお子さんを育てながらフルタイムでばりばり働く元気な人。気のおけない女子トークで私は現地ならではの様子をつぶさに教えてもらいながら、表面上で感じていた香港について、なるほどとうなずく場面がたくさんあった。
中でもショックだったのが、現地の小学校の授業で少なくともあの暴動前まではなかった南京大虐殺について、教わる時間があるという事実。日本に暮らす我々にとってそれが一方的にゆがめられた情報だけを伝えているだろうということは想像に難くない。恥ずかしながら私は、政治にも歴史にも詳しくはないので、実際のところ香港が現在どのような状況におかれているのか、正しくはわからない。
けれど、私が、香港は私にとって残念な方向に変わってしまった、という感想はあながち間違えではなかったように感じた。統制、規制、不自由、単一、、そんな言葉が頭の中を駆け巡る。
日本人と香港人のハーフである彼女の息子さんは、いじめられることはないようだが、そんな授業のときには少し居心地が悪い思いを抱くそう。
また、中華系のみなさんならでは、彼女もまた旦那さんのご両親と毎週一緒に過ごし、日ごろも何かと差し入れをもらったり旅行に行ったり、関係はとても密だ。家族親族を大切にする、家族には心を許す、中華圏の文化である。
折しも春節、伝統的で味も定評のある中華料理屋さんは、親族と思われるグループで大きな円卓を囲み、賑やかに食事をする光景があちらこちらで見られた。
香港に暮らす彼女に頼り、香港ならではのおいしい米麺をより現地の細かなお店を配達してくれる香港版ウーバーで届けてもらい、一緒に食べた。トッピングも味も本当に私好み。美味しい。恵比寿にあるようなので、今度行ってみよう。
変わってしまった香港と変わらぬ香港をかみしめながら、味わう米麺。楽しみだ。
●そして山火事鎮火前のLA、残念ながら詳細な様子はわからず、しかしアメリカの人は元気、タフ、アグレッシブ
香港を後にして向かったのは、山火事がまだ消火していないLA。我々が滞在した場所や日本人の多くが暮らす場所は現場から遠く、直接的な被害はないようだったが、遠く離れていても煤がひどく、車は毎日真っ白だったと聞いた。年間ほとんど雨が降らないいつもお天気が良くて気持ちいいカリフォルニア、毎年の山火事には慣れっこの様子だったが、今回ばかりは被害が大きくなくなった方々のご冥福をお祈りしたい。私たちが滞在中、2日くらい雨が降り、ようやく鎮火された模様。
しかしながら、アメリカ人は元気だ。仕事場でも早朝から夜が更けるまで、アグレッシブなアメリカの人たちに少し圧倒され、体力もあまりない私は毎日、仕事が終わり食事をするだけでもうぐったり。なんというか生命力が高い。食事の量や質の違いか、もともとの遺伝子の違いか、日ごろの鍛錬の差なのだろうか、本当にいつも彼らは元気いっぱいだと感じる。もちろん深い話ができたわけでもなく、それぞれ様々問題を抱えたり悩んだりしているだろうが、表面から受ける印象はかなり元気で強い。
今回は日程も余裕がなく、まったく観光をする時間がなかった。
前回はディズニーランドに行ってみたが、日本でも足を運ばない私にとってはさほど心躍らず、残念だった。それでも、平日にも関わらず、頭にミッキーカチューシャをつけたたくさんの人たちが楽しそうに行きかうのを見ていると嬉しい気持ちになった。
ご存じのとおり物価は、気にしていると生きていけないくらいに高い。
さてさて今月末にはNY。
またおてつたびのレポートもします。