存在から受けとるエネルギー
5月23日
入院前に
車の定期点検に行くことにした。
そこで
お世話になっている
営業マンさんと
「実は
入院することになって」
という話になった。
「え、大丈夫なんですか?
どこがわるいんですか?」
と驚いた表情で
きかれる。
「あのね
がんだったんだよね」
というと、
彼は
「うちの嫁は
脳腫瘍でステージ4。
もう
手術もできないって
言われてます。
2回再発して、
2年たってますけど
治療つづけながら
元気にやってますよ」
と言った。
「だから
〇〇さん(私の苗字)も
大丈夫ですよ!
がんばってください!」
と
車の営業マンっぽく
こぶしを握って
爽やかな笑顔で
応援してくれた。
「がんばって!」
という言葉は
好きじゃない。
なんというか、
「まだ十分じゃない!
もっとやれ!」
と
ムチ打たれているような
気分になることが
あるから。
「まだまだだ!」
「もっとやれ!」
と言われているように感じると、
すごく
悲しい気もちになるのだ。
(実は
それも
わたしの中に
不完全なわたしを
否定する氣もちがあって、
それが
反応しているだけであって、
相手は
関係ないんだけどね)
でも、
今日の彼の
「がんばってください!」
は
ちっとも
嫌な
氣もちにならなかった。
悲しくも
ならなかった。
むしろ
「ありがとう」
という
氣もちに
させてもらった。
イケメンの彼に
笑顔で
そう言われると、
えへ♡
となる
ということも、
もちろん
大いに関係あると思うけれど
(笑)
それだけではなくて、
なんというか、
その彼の
持つエネルギーが
わたしにとって
とても心地よかったのだ。
(いや、
イケメン、
大事ね、
ほんと。
笑)
車の
定期点検に行き
帰り際の
ほんの短い時間だったけど
彼に逢って
話すことができて
ココロが
清々しく
軽くなった。
人のエネルギーってすごい。
その人が
意識している
していないに
かかわらず、
そこに
存在するだけで
周りの人に
影響を与えている。
そう。
それは
人だけじゃない。
物や
動物や
植物
ここに
存在する
すべてが
固有の振動を有して
常にそれを発している。
いま
目に映るものを
そんな視点で見つめ
感じると、
普段見ている
景色が変わる。
目で
見えている物
だけじゃなくて、
見えないはずの
その振動を
知覚し始めるのだ。
それは
ある場所では
混沌としてうつるが、
わたしには
色とりどりの
きれいな世界にみえる。
片付けられていない
物で
散らかった
この部屋が
様々な
色が
ちりばめられた
宝箱のような
空間にみえる。
散らかっていても
なんだか
うつくしい
とさえ感じてしまう。
そして、
そこにある
物一つ一つに
「あ、
このこには
このこにとって
「ふさわしい場所」
というものが
あるんだな」
と感じる。
そっか。
ならば
そこに
連れていって
あげたらいいのだ。
それが
片付けの本質
なのだ、と気がついた。
いま、
直感的に
それを感じて
「なるほど!」
と自分で
納得している。
だから
「書く」
ということは
おもしろい!!
それも
たった一人で
書いているのではなくて
読んでくれている
人がいるんだ、
と意識しているからこそ
生まれる
氣づきがたくさんある。
これぞ
「共同創造」
だ。
読んでくれる
あなたが
いてくれて
いま
わたしが
表現している。
今日も
また
素晴らしい時間を
ありがとう。
いま
わたしの
ココロの中には
イケメンの
彼の
存在から受けとった
「さわやかさ」
の風に
氣づきからくる
よろこびが加わって
さらに
心地よく
さわさわと吹いている。
…ところで、
やっぱり
わたしにとって
がんは
それほど
こわいものではないのだな、
と思う。
それよりも、
やはり
「人工肛門」の方が
いまの
わたしにとっては
抵抗がある。
次回は
そのことについて
書いてみたい。
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